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受け身だった

たぶん、わたしはずっと受け身だった。
わたしみたいな女に、選ぶ権利などないとどこかで思っていた。

勝ち負けみたいなところでも多少、考えていたかもしれない。

見たことも会ったこともない相手のことを想像しては、
あなたの相手なのだからきっと美人なのだろう、
わたしでは到底釣り合わない、と思ってきた。

しかし今朝、寝起きで明確に思ったことは、
今、あなたは、わたしの恋人だ、ということだった。


わたしは恋愛経験が乏しい。
恋愛というものに関して抱く感情の種類について、
把握している感覚はさほど多くない。

たとえば相手を好きで好きで仕方ないと思ったり
相手を想うと胸がきゅうっと切なくなったり、
相手を目前にして鼓動が高くなって緊張したり
叶わない恋であったり、失恋したりして悲しくなって
胸が痛くて苦しくて悲しみに飲まれる感覚だったり。

そういう、ありきたりな、いわゆる
「恋」をしているときの感情にカテゴライズされるような感覚が、
あなたといるときにはほぼない。


異性として、恋愛対象としてしっかり意識して
ときめく感じが本当にほぼ、ない。
美しい見た目をしているからと言って、
それはただ「美しい人だ」というにすぎず、
別に自分の好みの顔ではないから
顔からかっこよくて好き、と思って恋愛感情に発展するルートもない。

だから、良い意味で顔はあまり関係ないというか、
もっと本質のところで見ている部分が多いとは思う。
もちろん、見た目が9割なんて本が出ているくらいだから、
見た目が左右する感情というものも多少なりあるのかもしれないが。

だけど、あなたと一緒に過ごす時間や空間の、
穏やかで落ち着いていて調和した感覚というものの大きさは計り知れない。
わたしの知っている恋愛感情はここにはないけれど、
あなたのことを腹の深いところで穏やかに”愛している”ような感じがする。

それは例えば、大好きな親友の女の子に抱くような、
親兄弟に抱くような愛情と限りなく近い感覚がする。

あなたといると、穏やかな気持ちで日々を過ごすことができる。
楽しくて嬉しくて幸せな気持ちでいられる。

ああ、わたしこの人のこと好きだなぁ、とふと思う。
あなたがいなくなったら寂しい。
あなたが奥さんのことを愛している事実、
奥さんと何かしていることを想像すると嫉妬して苦しいこともある。



あなたがいない日もわたしは一人でもそれなりに楽しめるし、
別に生きていけないなんてことはないけれど
あなたといたほうが、もっともっと笑っていられるし、心軽やかに生きていられる。
不調な日でも、あなたといればなんとか乗り越えられそうな、そんな気になれる。

世知辛い世の中で、本当にいろんな人がいる中で、
価値観が近く、思考系統も似ていて、笑いのツボも遠くない。
言葉や歌のシンクロも面白い。同じことを同じタイミングで思っていたり
あなたとは何か深い縁があると思わざる得ない。

そんな人と、ずっと一緒にいられたらいいな、と思うことは
全然おかしいことじゃない。
わたしが過去抱いてきた恋愛感情ではなくても、
わたしはきっとあなたのことを愛しているし、想っている。




けれどもどこかで、わたしはあなたにとって所詮体だけで
本質は見られることはないんだな、と思ってしまっている。
だから本当に相手できないときはうちに来ないんだろう。
そう思うほうが、現状を解釈するのに都合がいいからだ。


事実、性欲処理に使われていると思ってもおかしくないくらい
あなたはわたしにたくさん求めてくれる。

わたしは女としての自分自身の容姿にも、声にも、自信がない。
そのうえで、行為そのものに対する奔放な意識と、
男性のその欲求に対する寛容さ、そして受け入れ態勢みたいなものがある。
行為に対する拒否感や嫌悪感が根本的に薄く、
きっと、男性に求められることと、それにこたえることで
自己愛だとか自己肯定感だとかを満たしているような部分も大いにある。

それでいて、整った顔、美しい体、
清潔でキレイな体と、わたしの中の欲求を掻き立てる匂い。
相性がいかほどかという話はさておいても、
あなたは優しく思いやりのある、熱情を包含して向かい合ってくれる。
そんな人の止まらなくなった欲求を、日々の鬱憤を、やるせなさを、
受け止めてあげたいと思わないわけがない。

が、わたしのその日の体調や行為に対する気持ちがどうなのかということを
心配するふりだけはして、ほぼ無視して欲求をぶつけてくるときも多々ある。
それはわたしが押しに弱いことや、行為をせまればなし崩し的に体を許してくれるということをよくよくわかっているからだと思う。
そこに関しては、身勝手で酷い男だと思わざる得ない。不服申し立てをしたい。

しかし、「痛くてもだるくても多少我慢すれば対応できるなら、受け止めてあげたい」などと思ってしまっているとろこも多分にあって、つまり答えてあげることで悦びを得ているところもあるわけで、、

そういう押しの弱さや受動的かつ献身的なところはわたしのいけないところだとも思うが、
ひとりで鎮痛剤を飲んで横になってくたばっているよりも、抑うつで無気力でなんも動けなくなっているよりも、何倍もマシだよな、くらいにはどこかで思ってしまっているから仕方がない。

その反面で、もっとわたしを尊重してくれよ、と思うのも事実で、体調不良や痛みを考慮して行為を差し控えて、ただ寄り添って抱きしめていてほしいと思う気持ちもある。

だって、そうやって自分の欲求を押し殺してでも、優しく抱き止めてあげたいと思う愛を傾けたい相手であれば、そんなのはたやすいはずだからだ。偏見ではなかろう、与えたがりで愛情深く、優しさをもっているあなたであれば、なおのことだ。

だけどそれは、求められないことだろうと思っていた。
先にも書いたが、体だけの関係だ、と思っていたほうが都合がいい。
愛されているのなら、じゃあこの目の前の矛盾だらけの現状に理解や解釈が追い付かなくなってつらくなってしまう。
だからすぐ、許していた。

でも、もしかしたらきちんとお願いをすれば答えてくれるのかもしれない。そう思いたい自分もいる。でもやんわり断ったところで、わりと押してくるあたり、期待薄かもしれない。
しかし、男性の性への欲求に対する認識や理解がないわけではない、なんならかなり理解しているつもり。それに、これまで受け入れ続けてきたものを、優しさとか愛情みたいなものだけでどうこうできるとも思わない。

ただ、「体だけじゃなく内面も好きなんだ」と言ってくれる言葉の証明をしてほしいのだと思う。けれどそれが叶ってしまったら、もっともっと愛されたい、と、願ってしまってきっときりがない。


現状では、わたしたちの関係性は明確に「不倫」である。

でもわたしにとってはいわゆる「恋人」なのだ、と、思った。
今朝やっとそうやって認識できた。

※※ここからの内容は、あとでわたしの可哀そうなただの妄想でした、と言ってしまえば片付く程度の話で、わたしの脳内で展開されているに過ぎない内容であるということを前置きして、それを予防線としておく※※


一般的な呼称としてとらえれば何とも違和感がある響きであるが
そうならば「パートナー」というほうがいいか、
とにかく今のわたしには、一緒にいれば心身共に前向きになれる
プライベートも仕事も充実させていける”良い人”なのである。

寝起きのクリアな頭でそう思うのだから、
やっと腑に落ちたのだと思う。

ずっと否定しておきたかったけれど、少なからず、相手にもその気持ちがなければ態度や行動でわかる、きっと腑に落ちることはなかった。
食生活も、性生活も、ただ隣で眠るということでさえ、相性のいい人。
お互いを心身ともに支えあえる人。

奥さんを差し置いてわたしといる時間を長く取るということも、性に対することも、ほかのさまざまな分野に関して共に取り組めるということに関しても、
今のところわたしのほうに、思いだとか気持ちの面ではかなり分があると言っていい。

しかし、婚姻関係にある時点で奥さんのほうに世間的には分があることは否めない。これまで生きてきた数年の年月の思いも、わたしとのそれとは比にならないだろう。
何かあれば間違いなくあなたは世間体を優先してわたしを切り捨てて、奥さんとの婚姻関係解消には至らないだろう。(この考えも、そう思っていたほうが解釈するのに都合がいいからそう考えているにすぎないが)

そうなったときに、相手との関係性についての発展を望んでいれば、深く失望し傷ついて悲しみに暮れるのは自分だ。そんなことは端からわかっている。だから曖昧なままを続けることを自分に許した。

あなたは、俺も君も今後どうなるかわからないから今を楽しむ、みたいな言い方をする。
これまでは受け身だったから、モヤモヤしたまま受け流していたように思うが、本当はそんなフワッとした感じで、向き合ってほしくなどない。

あなたはこの関係性に限らずとにかく優柔不断で、決めないことを決めているとすら取れる言動行動をよくするから、別にこの件だからそうやってフワッとさせているというわけでないことは承知しているし、白か黒かはっきりしろ、とまで言いたいわけではない。

しかし、明確な着地点までわかる必要はないけれど、方向性くらいは決めておきたい。
あなたが決めないのなら、わたしがわたしの中の思いを決めておく。それが、受け身だったこれまでから、変容していこうとするこれからのこと。

まず決めたのは、あなたとプライベートのすべてを含めた関係性を続けるのは3月いっぱいまでだ、ということ。
それまでに、あなたの中になにがしかの方向性が決まらないのなら、わたしはもう別の方向に切り替える。

次に、あなたとの関係性を本当はどうしたいのかというところ。
他のいろんな条件やあなたは本当はどう考えているのか、ということはさておいて、ただ純粋にそこだけみるのだとしたら

まず、あなたが独身だったなら、わたしたちは付き合っていたと思う。
と、実際のところは言えないな、と思うのは、自分に自信がないから。仮にあなたが独身だった時にわたしみたいな女を恋人として選ぶのかは疑問だと思ってしまうからだ。

しかし、そういう劣等感からくる面倒な思考を忘れ去って考え直してみれば、一緒にいて楽しくいろんなことを共有できる価値観や好みの近い相手と付き合うことは自然なことだ。だからきっと、付き合っていたと思う。そういうことにする。

仮に二人が純粋に彼氏彼女同士だとなっていたなら、自然とそのうち結婚を意識する日が来る。
結婚、という制度そのものというよりも、生涯を支えあうパートナーとして相手を考え始めると思う。お互いがお互いのパートナーとなりうる適性があることを理解すると思うからだ。

これから先の長い人生を考えたときに、きっとあなたとなら何か起きても一緒に前を見て生きていけるんじゃないかと思える。セックスが介在しているからそう思うのではない。
もちろんそれも男女の関係性の中では大事なことだが、長い時間を近くで過ごして、キャパシティの広さや何事も前向きかつ寛大に考えようと転換する意識をもって生きていて、愚痴や文句を垂れ流さずポジティブでいようポジティブに転換しよう、成長していこう、優しくよりよい人間であろう、とするその姿勢が基盤にある人間だと理解したからそう思うのだ。

あっけらかんとして、明るくて、前向きなあなたといれば、わたしの細やかで面倒くさい思考や情緒も、軽快に乗りこなして扱っていけるような気にもなる。

わたしに結婚願望や子供を持ちたいという願望はないし、今のところ将来設計も上手く立てることができないけれど、あなたのそばで生きていたら、わたしの不安定な精神は比較的安定することができ、一緒にいろんなことをしていろんな場所に行きたい、いろんなものを食べたい、と思えるだろうとすぐわかる。仮に子どもができたとしてもきっとあなたはいい父親になるなと思うし、新しい人生の仲間として、人生の共闘関係を家族として築き上げることができる。
今すでにもう、同じようそうやって思っている。


そこまでわかっていても、あなたが既婚者である以上、奥さんとの関係性がどうだとか言うのはさておき、
あなたのことを好きだとかもっと愛されたいとかもっと甘えたいとかいった気持ちを前進させることはできないし、そんな風に思い描ける前向きな明るい未来を、こうして言語化しない限りは想像すら許されない、と思ってしまう。

できることといえば、仕事のことに対応することと、あとはせめて性欲や寂しさややるせなさの受け皿になることくらい。
性に関しても、本当はともに高めあってもっと楽しめる相手なのに、その段階には今いない。わたし自身がそれを受け入れられないのだ、今この状態では。だからオーガズムにも達することはない。そうやって思っているうちは無理に決まっている。

約束された未来なんてないけれど、今のよくわからないままのフワッとした関係性は本当に気持ちが悪い。
このままをダラダラ続けることは、自分で自分をないがしろにしているような気にもなって腹も立つ。この先、どうなるのか不安にもなるし、何よりも本当に自分は大切に思われているのかを考えて悲しくなったり、結局奥さんがいる家に帰って行ってしまうことに毎日一抹の寂しさを覚える。生理の周期で情緒が豊かになると途端に感情が溢れ出してところかまわず泣き出したりしてしまう。

今こんなにわたしの毎日の多くのシーンを占めているあなたとの話を、家族や周りの人たちに堂々と話せないことも悲しい。こんなに楽しくて嬉しくて幸せなんだということを、言えないのはさびしい。生理が終わればまたケロっとしていたりもするが、この繰り返しをずっと続けて、結果あなたが離れていく未来しかないのなら(あなたが真摯に向き合う気がさらさらないのなら)
今ダラダラと続けているこの関係性を維持し続けようと選択をとることは、なんという時間とエネルギーの無駄だろうかと思う。不安や寂しさを抱えながら、楽しさや嬉しさに全振りできない中途半端なところも、本当に良くない。

わたしはもっとちゃんと真っすぐ愛されて、愛することができる。そしてそうやって生きていたい。そのためには、中途半端な優しさも、優しさを取り繕うための嘘もいらないのだ。

だから3月いっぱいと決めた。長くてもそこまでが限度だ。


わたしはおこがましいという理由から、別に別れてほしいなんて思わない、奥さんの幸せを壊す気はない、などと言ったが、もちろんそれも本心にはかわりはないが、
もうそういうのはやめよう、と思った。受け身をやめるのなら、そういうことになる。

あなたが奥さんと別れてわたしと一緒になるのか、
奥さんと別れることなんてできないしわたしとも一緒になる気はないから3月いっぱいで関係性を終わりにしてただの友人兼ビジネスパートナーとしての関係性になるのか、しかない。

前者の方向性で話を進めることができるのならわかりやすい。
それなら3月いっぱいでとする必要もないし、前向きにあなたとの関係性や将来性を考えることができる。
けれど、あなたは曖昧で不確実なことしか言わないし、3月末になっても優柔不断で決め兼ねるような感じだろうから、きっとこの選択肢の可能性は薄いと考えている。そういうハッキリしないのが一番嫌だ。本来、そういうハッキリしない男は好かんと思うタイプのわたし。あなたが、それを許せてしまうくらいウィットに富んで楽しい人だったから、気にならなくなった、というに過ぎない。

というわけで、後者が一番きっと可能性が高く、ありきたりで無難な選択肢であろう。
そんなのつまらないよ、と思うけれど、きっとあなたは「人生色々ある」とか「人間の感情って面白い」とか言って上手いこと丸くおさめた気になって満足しようとするんだろうから、そんなんだったらもう知らない、のである。あなたの人生ですね、と。


で、4月以降に、あなたとの関係性を前進させることができるのか否かはさておき、前進させようと思いながら向き合うと決めようと思う。

あなたはわたしの恋人だと、そうやって思って向き合えば、素直にもっと甘えたり返したりできる気がする。保険をかけるのはやめよう。もっと全力で向き合おう。全力、ってなんだかわからないけど、真っすぐの自分で向き合って、拒否されるならそこまでの相手だということ。

躊躇って、抑え込んで、対峙しているようでしていないみたいな中途半端な姿勢をもうまずはわたしからやめよう。それって、どうやってやるのか、もしかしたらあまりわかっていないかもしれない。でもとにかくやってみる。

中途半端で気持ち悪くなる原因は、わたしの在り方にもあるはずだ。
ビジョンを描こう。あなたとの未来のビジョンを。いい方向に向けて。
そして自分自身の生活や暮らし、この先の人生についても真剣に向き合おう。

そうしたら、あなたがいてもいなくても、わたしはわたしを生きていける。
あなたがいれば、もっと楽しくて強くなれるっていうだけだ、いわば、オプションみたいな。だいぶ最強なオプションだけども、オプションにもいろいろ種類はあるし、あなた以外にも男はいるのだということも忘れちゃならない。

大切なことはどんな人生を生きたいのか、だ。
その生きたい人生の中に、素敵なパートナーがいればその存在が
よりよい人生にする手助けをしたり、彩を与えてくれるのだと思う。

わたしはわたし自身の身を立てることを続け、
より楽しく笑える人生のために、素晴らしい人生の伴侶を見つけともに生きていくこと。


・やりたいことをやって生きる(好きや得意が収入など生きる糧になる)
・人生を彩りサポートしてくれる素敵なパートナーやメンター的存在と生きていく(人生で何かをやるときに相乗効果を生み出せる人と一緒になる)
・いつも新しい体験に触れてワクワクドキドキして生きる

まだまだざっくりはしているが、この方向性で考えよう。
あなたとは、二つ目のパートナーとなりえないかどうかを、3月いっぱいまでしっかり考える。検討する。そういうことにしよう。


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