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「どうせ無理」という呪縛#11

こんにちは。わくわくらすです。
【わくわく+暮らす】をモットーに生きている20代社会人です。自分の好きや日常を形にしたくてnoteを始めました。

テレビを見ていて、若者が「今の日本には何の期待もしていない、何を言っても、なにをやってもどうせ無理なんでしょ。」と言っていました。

ちらっとしか見られなかったので、この若者にどんなバックグラウンドがあったかはわかりません。起業しようと思って失敗したのか、自分の意見や考えをことごとく否定される経験をしたのか。

何をやっても変わらない、どうせ無理、だから何もしないという思いを持つ人が日本人には多い気がします。(外国人とのデータがあるわけではありません。)

原因の一つには、子ども時代の学校生活があると思います。

30~40人の同年代が一つの教室で学び、一人の担任が面倒を見る。この時点で30個以上の価値観がそこに存在し、空気を読むことが求められる。空気を読めない行動は、集団から外されることを引き起こす。だから現状に適応することだけが目的となる。

最近思うのです。大人よりも子どもの方が何度も現実に打ちひしがれているのではないかと。

「学習性無力感」という言葉を知りました。

主な例として、鎖につながれた象とエサを食べられないカマスがあります。

幼い象の足に鎖をつけて、それを杭で固定する、動けないから何度も何度も鎖を引っ張ります。杭は抜けません。像はこの鎖は外せないものだと学習します。成長し、杭は外されましたが鎖はそのまま足についたまま。一見自由でどこにでも行けるのですが、象はその場から動こうとしません。足に鎖がついている=外そうと努力しても無駄、ということが学習されているのです、

大人は子どもに言います。無理だと思うほどやってみたのか?やってもいないのに無理だというんじゃない、と。

これは正しくて、正しくないです。

子どもは頭の中で、何度も鎖を外そうとしています。そして何度もそれに失敗しているのです。

できない、無理だと思う経験は少なくても、それに代わる体感は何度もしているのです。

では、そんな鎖から解き放たれるためにどうすればよいのか。

カマスの理論というものがあります。

水槽の中にカマスのえさを入れますが、両者の間には透明な仕切りがあります。えさまで行こうとしてもしきりにぶつかります。この経験をするうちにカマスはえさまでたどり着けないと学習します。仕切りを外します。えさまで自分を阻むものはありません。それでもカマスは無理だと思い込んでいるので、えさには向かいません。ここまでは象と一緒です。

ではこのカマスをえさに向かわせるためにはどうしたらいいのか、どうせ無理と思っている子どもにどうしたら前に進んでもらえるか。

答えは簡単。もう一匹カマスを水槽に入れるのです。

学習性無力感を持っていないカマスはえさまで一直線。それをみた無理だと思っているカマスは、「あ、いけるんだ」と思い、そのカマスについていきます。前を走ってくれる存在がいると無力感が薄まるのです。

大人も子どもも一緒だと思いました。どうせ無理という閉塞感を打ち破るのは、それを打ち破っている他者を見ること。自分にもできるんじゃないかという実感を与えることではないでしょうか。

だから私は本を読んだり、人に会ったりすることが大切だと思います。自分の中だけで答えを見つけようとすると、頭の中の自分に何度も否定されてしまうから。

どうせ無理と思っている若者に、えさまでたどり着いている姿を見せるのも我々大人の役割ではないかと思うのです。

ではまた次の記事でお会いしましょう。

お読みいただきありがとうございました。

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