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アグリフォレスト agri-forest って聞いたことありますか?森林農業とでもいうのでしょうか?むむむ。森は生き物、をリアルに学びました。
今回のコンポントム Kampong Thom の旅の一番の理由は森林をそのまま利用した農業の視察でした。広葉樹の森林が広がる地帯で、雨が降ると近隣の河川が良い具合に氾濫し、肥沃な土が広がる場所とのこと。(私の解釈した英語ではそうなる。)農業という言葉から思い浮かぶものは何かというと、土地を開墾・改良をし、肥料・農薬を利用して生産管理をし、売り物になるものを自分たちが生活できる以上の量をきちんと作る、が一般的なのではないでしょうか?しかしここの森林農業はそうではなく、昔ながらの土地の特性をそのまま生かして、人間もその土地の一部となって、今あるものだけから最大限の収穫を得るもののようです。そんなところを見学させていただき、みなさんと一緒にお食事をいただきました。
・一部の木々は燃やすのだが、根っこを残しておくとそこからまた木が出てくる。
・5年経ったら低い灌木の森ができている→5年ごとに少し木を燃やすが伐採したり、根っこをとって更地にすることはしない
・木々の根っこの間に穴を開け、複数の植物の種をまとめていれる
・複数の種から植物が育つが収穫時期が違うので、そのまま育てる。
・稲作は陸稲に近い(掘れば水が湧き出てくるので、どうも水はしっかり土地に含まれているらしい)
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この地域では森林伐採ののちカシューナッツ畑をどんどん作っていて、徐々に栽培過多による値崩れが始まっているそうです。しかし、「カシューナッツ畑にしたら永遠に儲かる」という思い込みから森がどんどんカシューナッツ畑になることを有識者は嘆いているのですが、どうすることもできないのが現状のよう。彼らの畑(森林?)の真横にもカシューナッツ畑が広がっていて、苦々しい顔をしながら説明をしてくれました。
カシューナッツ畑のみならず大きな農園を作る場合は木々を根こそぎ取ってしまうので森では無くなってしまうんですよね。。森が森でなくなったらどうなるか、、、それは自然がなくなり、土地に力がなくなり、人間にパワーを注いでくれる大地がなくなるということではないでしょうか?世界中で森林伐採をして畑を作ったり、焼畑農業をするために樹々を燃やしたりしていますが、それは森がなくなり、自分たちを生きづらくしているだけだということに私たちはなかなか気付けなかったようです。(だからどうするんだ!を考え、行動しましょ。)
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私はアグリフォレスト agri-forest という言葉を初めて聞いたので、それ自身に驚きました。知らない土地に行くからこそ知ることができるものがあるのだな、と。水牛の水浴びも面白かったし、コロナでたくさん売りに出されていた外国資本の宿泊施設の話、しっかり管理された中でしか生きてこなかったからこそ、木の根本で育つ野菜や稲を育てる農業を聞いて、見て、驚きました。
日本の子どもたちの教育をもっと良いものにしたいと思っていろんなことに、ものに首を突っ込んでいるのですが、まずは大人の一人ひとりが自分の生きたい道を納得し、努力し、楽しみ、同様にそうしたいと思う人をサポートするような自然と人間、人間同士の関係性の構築が必要だとわかりました。まさにソーシャルキャピタル。日本ではこの単語の中に自然が入っていないことが多いなと気がついた旅でした。(大人も学べば、子どもたちも真似て学ぶようになると思いますよ〜。)
<関連余談:やはりここはカンボジア だ!>
この日はコンポントムからプノンペン に戻り、そのままキリロム まで帰る予定だったのですが、19時過ぎに予約していたタクシーが来られない(別のお客さんの夕食が始まり、彼らを送り届けてからでないと迎えにいけないと言われる!)とのことで、急遽友人に電話を入れて泊めてもらう羽目に、、、翌日は朝7時に集合し、乗合バスでキリロムに帰ったのですが、満員バスだしエアコンは効かないし、窓を開けていて土埃がバンバン入ってくるし、「やっぱり、ここはカンボジアだった」という締めくくりでした。しかし、だからこそ発展しかない国だ、とも。この物凄いパワーを日本の子供達に見せたいな。そこで、「うるさい、汚い、遅れている」と感じるだけでなく、「これからの国の今」を見ることで、自分の役割とかやりたいことなどを感じてくれることを仕掛けたいと思いました。(髪も口の中もジャリジャリで、耳の中も真っ黒。けど3時間の乗合バスは5ドル。来てみたいと思いませんか?)