なぜ公立のインターナショナルスクールが日本にはないの?
今はカンボジア・キリロム国立公園のリゾートにいる。今朝のレストランではみんなフランス語を話していた。しかし、一見したところはいろんな国の顔をした人たちで、不思議だった。ヨーロピアン風、日本人風、東南アジア風、インド風、アフリカ風、、、
本日は「公立のインターナショナルスクールがなぜないのか」について書いてみたい。しかし、まだない。
インターナショナルスクールという名称はもう古い、時代にそぐわない
そんな話を聞いたことがある人は少ないかもしれない。私にはたくさんの日本国外に住む知人がある。興味の赴くままにこの数年生きてきたが、するとそんなことが起こった。マレーシア、シンガポール、カナダ、デンマーク、南アフリカ、ルワンダ、カンボジア、、、数え上げるとキリがない。日本人もいればその国の人もいる。
いろんな国の人に「公立のインターはある?」と聞くのだが、英語で授業をする国ではほとんどない様子。デンマークにはあった。シンガポールでは外国赴任から戻ってきた家族が行けるようにシンガポール現地校以外にインターのような学校があると聞いた。(シンガポール国民は必ず現地校で学ぶ義務がある。)余談だが、日本人が海外赴任した時は会社が子供のインターの学費を出してくれるが、帰国したら日本の学校に行くのが辛い子供たちが多く、それも課題になっている。日本でインターに行きたくても会社は費用負担してくれないし、近くにない場合も多い。
Inter Cultural School
この単語を見たときに、日本に公立のインターナショナルスクールがないのはなぜかと思ったのだ。日本がほぼ単一民族ではない状態に、徐々に変わっている日本に住んでいては気が付かない、というのが現状だ。しかし、日本中のさまざまな地域で、いろんな国籍の子どもが公立の学校に通っている。時には保護者向けプリントが8ヶ国語で書かれている地域もあるという。そこで、考えたいのが、インターカルチャーという事象だ。街や文化だけでなくヒトが一番わかりやすい。DNAもそうなのかしら?
・インド人に見えるアメリカ人
・日本人に見えるカナダ人
・東南アジアの顔に見える日本人
・中国に住む韓国人
・イギリスに住むアメリカ人
日本では西洋人、欧米人という単語を使うことが今も多いと思う。どちらもヨーロッパや、ヨーロッパとアメリカ(どういうセットだろう?)に住む人なのだが、Chinese American=中国出身のアメリカ国籍の人、だと私たち日本人と同じ顔をしている(と私は思う)。インド系デンマーク人は見た目はインド人だが国籍はデンマークだ。もしも誰かが南アフリカの人と結婚するとしよう。国籍はわかるが親やそのまた親がどの国出身かによって外見は全く異なるので私たちの想像を超えた外見の人が挨拶に来る可能性がある。(SNSがあるから、事前にオンラインで顔を見ながら話をしているとは思うが。)今の世界の若者世代(仮に20代以下としよう)はすでに外見と中身が違っていることに気づいておく必要がある。40年前にフランスに行った時「国民の7割はアフリカからの移民だったり、奴隷として連れてこられた人たちのこどもたちだと言われて、フランス人=全員白人と思っていた私は驚いた。
Inter National は昔ながらの、国と国が交わることがベースになるものだが、今は各々の国がすでにさまざまな国籍の人が混ざり合った状況なため、Inter Cultural がイマドキであるし、そんなこれからの社会で健やかに生活ができる国民を育てるのが国の教育だと思う。
さて、そのもう古いかもしれないインターナショナルスクールだが、日本には公立のインター校がない。
なぜだろうか。
日本人は学校では日本語で学ばないといけない、という法律があるのだろうか?(よく知らない)しかし、日本全国中等教育では英語の授業は「英語で学ぶ、英語で教える」ことが奨励されているし、最近増えてきた一条校のインターナショナルスクールは言語としての日本語教科以外は全て英語で学んでいる。つまり、できるのだ。教員さえいれば、日本でも公立で英語で全教科を教える学校はできるのだ。なぜないのか?これはイラナイからではない、と思う。
English Immersionの学校やコースはポツポツとできてきている。素晴らしい。
・広島県立叡智学園(高校の1コース)※world school と書いてあった
日本でも成人を過ぎてからも他国のように二重国籍が許されるようにもなるかもしれないですね。
これからの子どもたちが日本を含む世界中のどこででも楽しく生きていけますように。