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すき焼きの夢

「いつも使っている雪平鍋を使ってすき焼きを作ろうかな、と思っている。
場面変わって、先日、アートセラピーのワークをした仲間達と一緒にいて、これから自分がファシリテーションするかもしれない状況でドキドキしている。」

この夢をワークしたのは、参加しているドリームワークのzoomでの勉強会。方法がおもしろくて(風変わりで?)、夢見者以外の人が夢にでてきた物や人の「役になりきってイメージを広げる」、というもの。
(通常のドリーム・ワークでは、自分の夢に出てきた人や物に「なりきって」みることはある)

もとはシアター形式で、夢に出てきた物や人になりきって、夢を演じるという「ドリーム・シアター」だったのだが、zoomでの開催になり、オンライン上で劇として演じるのは難しいので、イメージを広げる方法になっている。

私の夢では、すき焼き、アートセラピーの役をそれぞれ別の参加者にやってもらった。例えば、すき焼きの役ならば、聞いた夢の話と夢の絵を元に、「すき焼き」になりきってしばらく目を瞑る。イメージが展開していくのにまかせる。やってみると、不思議とイメージが湧いてきて、すき焼きの気持ちになって何か感じたり、周りが見えたりするのがおもしろい。

それぞれの役の人に、どんな感じだったか聞いてみた。

すき焼き(豆腐)の役:
豆腐は気持ちよく汁に使っているが、だんだんグツグツしてきて他の具材が煮えすぎちゃうんじゃないかと思ってる。自分も熱くてたまらず鍋から出たい!と見上げた空が青くキラキラ光っている。

アートセラピーの役:
青い、深い、泉の底にいる。すごい勢いで上に上がると外へわっと出た。空がキラキラ。室内に場面が変わり、いろんな人がいて、みんなそれぞれに何かをしている。だんだん部屋(体育館?)がいっぱいになってきて窮屈になった。

これを受けて、夢見者である私が感じたのは・・・
●雪平鍋はいつも家族のための料理に使っている。だから、「鍋から出たい!」は母役割の外にも活動を広げたいという意味か。他の具材も煮えてきたということは、子どもも育ってきているということかな。
●私にとってアートセラピーをする意味は、「青い、深い、泉の底」を見にいきたい、つまり「心の奥の静けさ」や、「光の源」のようなところに触れたいということかもしれない。

と、こんな感じで、それぞれが感じたことをシェアする。それぞれの主観でしかないと言われればそうなのだが、不思議と、自分の夢の中に出てきたものを人に演じて(イメージを広げて)もらうと、ヒントをもらう。これがワークの醍醐味というか、人と人との相互作用、化学反応が起きているようでおもしろい。

また、その後の話し合いで、「すき焼き」と「ファシリテーション」は、「料理する力」という意味で共通しているのではないか、というのだ。まさかの展開!どういうことだろうか。

すき焼きという料理は、肉、ねぎ、豆腐、春菊、しらたきなどの具材を切って割り下で煮るのだけど、素材はある程度大きく切ったほうが割り下に負けないし、火はくつくつおいしそうな具合を加減する。それぞれの素材の持ち味が引き出されると、おいしいすき焼きとなる。

ファシリテーションは、自分の力だけでコントロールしようとすることはできない。自分も含めたその場にいる人たち、その時とその場の状況、の全てを信じて「場に任せて逆らわない」「場を信頼する」ことは、師匠から何度も教わったことだ。(マーケティングリサーチ時代の師匠と、アートセラピーの師匠、お2人とも同じことを教えてくださっていた!)
「その場に任せ」て、なおかつ場に流されずにワークの進行やタイムキープをする。場に浸る自分と、場を客観的に見る自分という、一人2役のようなイメージだ。料理に例えるなら、キッチン環境、素材の持ち味、鍋などの調理器具、などを信じて料理するということだろうか。

料理は、「具材に任せて逆らわない」。
ファシリテーションは、「場に任せて逆らわない」。

確かに、なんとなく共通点がありそうだ。

料理の意味も多義的です。料理とは、もともと「物の道理」「宇宙や世界の道理」といった「理」を「料る(はかる)」(推し量る、見当をつけて処理する)ということで、人間生活においてもっとも基本的で大事なことの一つです。それゆえ料理の夢は、人間関係、社会生活、友人関係、対人関係、恋愛、仕事、学業などをうまくこなしていく(料理していく)といったことで、困難や問題点に対して適切に処理していくものでもあります。
ー中略ー
また、そのままでは食べられないものを食べられるようにするということから、創造性や成長、訓練、新しいことの学びといったことを表す場合も多いです。
           「夢分析の治療ポイント」平井孝男著(創元社)

とあるように、料理の夢は料理のことだけにとどまらないようだ。

まさかすき焼きの夢が、ファシリテーションのことと、繋がっているとはワークするまでは夢にも(?)思わなかった。料理は家庭の中のこと、ワークのファシリなどは家庭の外のこと、と分けて考えていた。そこに、共通するのはなんと、「場に任せる」「場を信頼する」ことだった。家庭の中のことと、外のことに向かう姿勢が、わたしの中で、もう少し近づいて、溶け合っていくと良いのかもしれない。このことは、温かいお出汁のように、じわじわとわたしの心に染み渡っている。

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