自分の時間
note初投稿となる記事がこんな内容になるとは思ってもいなかった。
これは最後まで書き終えた僕自信が抱く感情であるかもしれないし、読み終えたあなたかもしれない。
最初に言っておく
なぜかと言うと、もはやこの記事は臨床工学技士くはらの諦めの集大成だからだ。
Twitterでの140文字という表現に限界を感じたいた2019年ゴールデンウィーク手前、僕はいろんな人にアドバイスを貰いながらも、結局行動に移せずにいた。
なぜか?
現代の医療従事者のブログクオリティが高すぎるからだ。
色々あるが、ここが根源だ。
どういう事か?
ブログの領域を越えている。
いや、それが現代の「ブログ」なのかもしれないが、初心者で尚且つ目立ちたがり屋の僕かしたらハードルが高すぎる。
インターネットという誰にでも挑戦権があり、世界をつなぐ素晴らしいフィールドは、桜木花道に憧れてバスケを始めた少年がアメリカのストリートバスケでこてんぱんにやられて、身ぐるみはがされるのと同じくらいの実力主義の舞台でもある。
だから、書けなかった。
いや、書かなかった。
勝負するにはそれなりの備えや、戦術が必要になる。
それを実行する、スキルも余裕もなかったからだ。
皆が見て、喜ぶものを、目を引くものを書きたい。
承認欲求だけが先走りして、行動に移せないただの妄想君となり、140文字で思い付いた事をTwitterに落としていく日々を過ごしていた訳だ。
だが、もう諦めた。
Googleの検索システムがどうのこうの、個人ブログが人目につきにくいだの、この状況はむしろ好都合。
アクセス数など気にしなくて良くて、無駄に好きなことを書ける。
無駄な文字を書きたくり、遠回り過ぎる文章が書ける。
すぐに答えが見つかる簡潔な文章も必要だが、文字の海をダラダラと漂う事も僕には必要だ。読むのではなく書くこととして。
だれ得?
もちろん、僕だ。
それで、この文章を書く時間が自分の時間なのか?と解釈しそうな文章になったが、全く違う。
最初に言っておいてよかった。
何の準備も戦略もない今の気持ち。
ここまではただの前置きで、僕が書きたかった「自分の時間」は久々に食べたラーメンの味が記憶とは異なる事についてだ。
だけど、もう書けない。
スープが冷めてしまった。