通知表
小学生の頃の私の成績は悪くはなかった。
5段階評価だと、だいたい4でいくつか5がある感じ。
これくらいの成績だと、親がまあまあ喜んでくれる。
ただ、ある時、何の教科だったか忘れたが、2か3を取ったことがある。
手を抜いたつもりはなかったのだけれど、良い点が取れなかった。
この通知表を渡されたとき、成績が悪くてショックを受けるというより、親に見せるのが嫌だった、ということを今でも強烈に覚えている。
父は成績についてどうこう言わなかったけれど(たぶん興味がなかった)、母は成績が悪いとあからさまにがっかりした顔をした。
この頃の私は、自分のために勉強するのではなく、親に褒められたくて、あるいは叱られてくなくて(厳密には叱られるわけではない。嫌な顔をされるだけ。)勉強していたんだと、今になってわかる。
子どもの好きなことをやらせよう、得意を伸ばそう、という話を聞くと、どちらかというと、苦手な教科も親に叱られたくなくて頑張っていた子ども時代の私は、残念な子だったのかもしれない、と思っていた。
そして、自分の子どもには好きなことを伸ばさせてあげよう、と思っていた。
だけど、、、今はちょっと違う考えを持っている。
褒められたいから勉強した結果、成績も上がり、勉強が面白くなってきた、というのも事実だからだ。
嫌いならやらなくていいよ、と言われていたら、漢字は覚えなかっただろうし、英語もやらなかっただろう。社会なんて絶対に勉強していなかった。
そうしたら、多くの友人に出会えた大学にも行けなかっただろうし、英語論文なんてもちろん書けるわけがなかった。
だから、たとえ苦手であっても、せめて小学校の勉強はきちんとした方がいいと思っている。
もちろん、成績が悪くてあからさまに怒るなんてことはしないつもりだけれど。
今日は終業式。
子ども達が通知表をもって帰ってくる。