それは執着だった
「ワクワクを見つけないといけない」と思っていたことに気づいた。
好きなことをしよう、ワクワクすることをしよう、と言われている。
だから、ワクワクすることをしたい、と思ってずっと探してきた。
けれども、それがいつか「ワクワクすることを見つけなければいけない」という強迫観念のようなものに変わっていた。
どうやら私は、自分が好きなものより、誰かが好きなことを一緒に探すとか、誰かのためになることをするのが好きなようだ。
だから、クライアントのワクワクを見つけるコーチングをしている。
クライアントがワクワクを見つけた時はもちろん、方向性が分からなかった人が、自分の進む道を見つけた瞬間の輝く顔を見るのが好きだ。
それから、誰かに頼まれたことをするのも好きだ。
ついお世話を焼きすぎてしまいそうになるので、注意している。
でも、それは自分発ではない。
あくまで誰かをサポートするというもの。
それではいけないと思っていた。
でも、それでもいいのかもしれない。
誰かのためになることを、一生懸命にやる。それが嬉しいなら、それでもいいじゃないか?
あるいは、そうやっていると、いつの間にか、これが自分がワクワクすることだというものが見つかるのかもしれない。
いずれにしても、ワクワクするものを探さなければいけない、という考えで血眼になってさがしていても見つからない。
これはおそらく執着だから。
だからいったん手放して、頭で考えることをやめよう。
自分の感覚を信じて。
それは、そんなに難しいことではない。
とてもとても、シンプルなもの。