受容とは宇気比《うけひ》が元か⁉️
【受容とは宇気比《うけひ》】
〜大人の寺子屋・樂學〜
《宇気比》
うけい(うけひ)は、
古代日本で行われた占いである。
宇気比、誓約、祈、誓などと書く。
ある事柄(例えば「スサノオに
邪心があるかどうか」)について、
『そうならばこうなる、そうでないならば、
こうなる』とあらかじめ宣言を行い、
そのどちらが起こるかによって、吉凶、
正邪、成否などを判断する。
日本神話では、
重要な場面で誓約が行われている。
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【うけい…れる⁉️】
宇気比とは、占いによるジャッジメントであり
ここに誓約や誓いと云う意味がある様に
この宇気比という占いによる判断に従う。
…と判断できる。
また、この宇気比の字は、
【宇】は、天、宇宙をさす。
【氣】は、エネルギー、霊力
【比】は、二人の人物を表す象形文字から成る
すなわち、天から示された事に従う二人
と云う意味がそのまま字になると宇気比となる。
となると『受け入れる』と
我々が普段使っている言葉の語源は
もしかすると『宇気比《うけい》』から
来ているのかもしれません。
これは、あくまで私の憶測であり
その様な仮説があるのか否かは分かりません。
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【受け入れる誓い】
自分を受け入れると云う『自己受容』は、
ある意味で、自身との誓い《うけい》とも
考察できるのではないでしょうか?
『本来の自分』『真我』を見付けるにも
大変に時間が掛かりますし葛藤もあります。
スサノウが放った言葉の
🟡そうならば、そうなる
🟡そうでないならば、こうなる
と言うのは、
『〇〇だ!』と言って『〇〇』になれば
それは、本当のことの証明であるし
『〇〇だ!』と言っても
その通りにならない時には
『〇〇は〇〇で無かった』
その結果を、しっかりと受け入れなさい。
そんな意味に、
取れるのではないでしょうか。
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【豊受大神】
とようけのおおかみは、
豊宇気毘売神 とようけびめのかみとも呼ばれ
その名前の中に『宇気比』の文字が見て取れる
のも興味深い。
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【宇気比の儀式】
自己受容、つまりどんな自分も真っ直ぐに
受け入れる、受け容れるのは、
天に問いかける占いであり
その結果を受け入れることを意味するなら
この『問いを天に投げ掛け』
『自らの行いから得られた結果』に従う
と云う一種の儀式を、日常生活の中において
やってみると云うのも良いのではないか⁉️
人は、何かと不都合を目の前にすると
言い訳をしたり、言い逃れをするものだが
目の前に現れた結果をしっかりと受け止め
受け入れてこそ、しっかりと次のステップが
踏めるのではないだろうか?
/
目の前に現れた事象にあらがわない
\
もちろん、この行為が必ずしも
正解を導き出すとは言い切れないが
こうした潔さをもって
自分と向き合うことは
自らを成長させるにおいて
大変に有効ではないかと思うが
みなさんは、どうお感じになるでしょうか?
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🌷SoulFlower Kamuy🌷