八月の亡霊
【八月の亡霊】
長野の八月は、穏やかに過ぎてくれる。
東京の八月は、街のそこかしこから
『死』が漂うのを感じて時々辛くなる。
意図せずに家に連れて帰ってしまうことも多い。
この町では、それが無くていい。
とは言え、伊那の駅付近では
何となく血生臭さを感じたりするが
その理由は、まったくワカラナイが
歴史的背景の中で、何かあったのかもしれない。
霊的感受性の強い人にとって、
八月を過ごす場所は気をつけたい。
幼い頃に、大阪梅田で開催された
戦争展に何度も連れて行かれ
母の戦争体験を幾度も聞かされて育った
僕にとって『戦争と死』がある種
このカラダにこびり付いてしまっている。
だからこそ、53歳の今になっても
『戦争とは何なのか?』
『戦争とは如何にして起きるのか?』
…を考えてしまう。
それが故に、現在だからこそ明かされる
近現代史に意識が行ってしまう。
世の中では、戦後78年と言うが
私は『敗戦から78年』と数える。
日本は、未だ戦後は迎えていない!
…と云うのが、私の解釈だからだ。
敗戦から78年、終戦の後の計画が
いよいよ稼働し始めて居る過渡期と云うのが
私の現代の読み方だ。
米は、二つではなく、10発の原子爆弾を
日本に落とす予定でいた。
日本人をこの世から抹消したい!
その念いは、カタチを変えて実行されている。
…と、私は感じている。
そして、その事に9割以上の日本人が気付かずに
されるがままに好き放題されている。
その事に、苛立ちと憤りを隠せないが
目立った発言は、避けようと思いつつも
静かに、ここでは語ってしまう。
八月の亡霊たちが抱える
悲しみと憎しみと憤りとやり場のない
気持ちは、汲みきれない程の念いだろうが
君たちの念いに呑まれてしまっては
再び、悲しみや憎しみ、争いを生むだけだ。
姿なき者の声に耳を傾けるなら
亡霊たちの声ではなく
還るべき所へ還った魂の声だろう。
🌷SoulFlower Kamuy🌷