FIRE後は無価値な事すら楽しんでしまえ!
サクッと自己紹介
365日がむしゃらに働いて30歳でサイドFIREした男。現在34歳にしては ちょけてます。100人規模のFIREコミュニティ運営中。YouTuberとしてしゃしゃるのが趣味です。誠に僭越ながら実は真面目です。
まいど!ワクワクFIREのまるです!
現代人の多くは「有意義なことをしないといけない病」にかかっています。
果たして本当に有意義なことをしないといけないのでしょうか?
FIRE後は「価値があるかどうか」に囚われない発想が重要
FIRE(経済的自立と早期退職)を達成した後、多くの人が「次は何をしよう?」と悩みます。
FIRE4年目の僕でも、いまだに悩むことありますもんw
これまで働くことで忙しかった日々から解放されると、突然訪れる膨大な自由時間に戸惑うのも無理はありません。
その時間をどう使うか、何をすれば「有意義」かを考えすぎてしまうこともあります。
しかし、FIRE後に本当に必要なのは、「価値があるかどうか」に囚われない発想です。
むしろ、無価値に見えることを楽しむことこそ、FIRE後の生活を豊かにする鍵なのではないでしょうか?
じゃあ無価値なことってなんなのさ?
ここで言う「無価値」とは、他人から見て役に立たないと思われたり、社会的な成果につながらないような行動を指します。
僕は「FIREしてからも社会貢献はしろ!!」とシゲキックスをほおばってんのかい!ってくらい口を酸っぱくして何度も言ってます。
しかし、社会貢献とは繋がらない無価値なことを楽しむ余裕が無いと、FIRE生活は楽しめないとも思っています。
じゃあ無価値なことってなんなのさ?というお話。
たとえば、海辺でひたすら波を眺める、好きなだけ昼寝をする、子どもみたいに泥だらけになって遊ぶ。そんなことです。
ちなみに僕は、よく哲学散歩をしています。
「自分は本当は何を成し遂げたいのか?」
「まだ自分の知らない自分がいるのでは?」
こんなことを、イキッた面して考えながら散歩しています。
他の人からすると、まじで何の生産性も無い時間ですね。
これらは仕事をしていた頃には「無駄」と切り捨てられていたかもしれません。
しかし、FIRE後の人生では、「意味がない」ことを楽しむ余裕こそが本当の贅沢と言えるのです。
無価値なことが心を豊かにする理由
一見無意味に思える行動は、実は私たちの心と体に多くのメリットをもたらします。
科学的には、ただぼんやりと過ごす「無為の時間」が創造性を高めたり、ストレスを軽減したりすることが明らかになっています。
↑アイデア本とかで言われがちですね。
さらに、無価値な行動を純粋に楽しむことは、僕たちに子供のような好奇心や純粋な喜びを思い出させてくれます。
子供の頃のように、また無邪気にはしゃぎたい。これは僕のFIRE後の夢でもあります。
大人になると、「時間を無駄にしてはいけない」というプレッシャーを抱えがちですが、FIRE後はそのプレッシャーから解放される絶好のチャンスです。
無価値な楽しみ方の例
では、具体的にどのような「無価値なこと」を楽しめるでしょうか?いくつかのアイデアを挙げてみます。
①古本屋で手に取った意味不明な本を数ページだけ読んでみる(著者に失礼かw)。
②子どもの頃に好きだった遊びをやり直してみる(ドット絵のゲームとかお絵描きとか)。
③朝から何もせずに、ただ雲が流れるのを眺める(ここが僕のアナザースカイ!)。
どれも「何してはりますの?」と問われれば、「ほっといておくんなまし」としか答えられないような生産性のないものばかりです。
しかし、それでいいのです。何も生産性を求めない時間は、自分自身をリセットし、人生を新たな視点で見つめ直すきっかけになります。
無価値なことを楽しむことで得られるもの
FIRE後の生活において大切なのは、成果や目標に縛られないことです。
無価値なことを楽しむことで、心に余裕が生まれ、結果的に「生きているだけで楽しい」と感じられるようになります。
そして、不思議なことに、そうした時間の中で生まれる発想や気づきが、これからの人生を豊かにするヒントになることもあります。
最後まで読んで頂きありがとうございました!
現場からは以上です!
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