反応が愛
ニューノーマルと言われはじめ
僕自身が身近で1番実感していることは
様々なオンライン化
今までは会議室に集まり会議、ミーティングをしていたのも今はオンラインでするのが当たり前になった。
どこでも参加できるという便利さはあるが、
現場や出張中だから出なくても良い会議に、参加できないという言い逃れが難しくなってるという不便さもある。
そしてオンラインで開催される会議やミーティングには
複数に参加しているため、ついつい反応が疎かになってしまう。
無視している訳でも無いが、「ワザワザ自分が反応しなくても」と思い、全般的な質問に対する事や、ミュートを外す煩わしさだったりで無反応になってしまう。
そこでふと過去に「反応は愛だ」という言葉を学んだ事を思い出した。
人は無関心な物には反応を示さない
例えば、男性の自分からすれば、豪華なジュエリーや美容グッズなどには微塵も関心が湧かない
女性からすれば
車のカスタムや何かしらのガジェットを詳しく語られても面白く思わないのが大半だろう
反応というのは何も感じなければ反応しない
でも、自分の好きなものや興味があるモノが触れたり、見たり、聞いたりすると反応してしまう。
それも、意識的というよりかは無意識に
「反応は愛だ」と大袈裟っぽく表現しましたが
好きな異性がいる場合も無意識に考えてしまうでしょう
その場にいても居なくても
野菜を育てる中でも、段々と成長し育って行くに連れて愛情が湧いてくるし大切に育てようとする。
反応とはコミュニケーションのきっかけであり、始まり
反応が良い人と無反応な人がいたら、反応が良い人に話を振るし、話したくなります。
植物でも花を咲かせ、実を実らせ反応するのだから
自分も小さな反応を忘れないようにしたい。
コロナで少し失い欠けていたものかもしれない
また大勢で集まった時、無反応で心までもソーシャルディスタンスにならない様にしたいと思う
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