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モーニングエッセイ18.一人遊びが好きな五歳の頃が最強だった。

子供の頃からひとりで遊ぶのが好きでした。

小学校へ入る前までは、近所に同年代の子供がいなくて

兄たちとも年齢が離れていたので遊び相手がいなかった

というのもあるし

今の時代のように母親が家にいても

一緒に遊んでくれたり子供の相手をする・・・

ということがなかったように思います。

母親はわたしが小さなころは内職や家事で忙しかったので

つまらない・・・と訴えかけても

「鼻でもつまんどきな」なんて冗談でごまかされるだけでした。


ひとりで何をしていたかといえば

近所をぶらぶらしたり、

家の裏の墓地の供物台みたいなところで

ひとりおままごとをしたり、

家の中で絵を描いたり・・・そんな感じだったと思います。

田舎でしたし昭和の頃だったので

今より子供が野放しにされていたような時代でした。

その代わりに他所で迷惑かけると

普通にその場で大人に叱られていました。

近所の子の家に遊びに行って、

そこのうちの子が冷蔵庫を開けてもいいというので開けたら

おばあさんが出てきて

「ひとんちの冷蔵庫なんて勝手に開けたらダメだよ!」

と叱られて、他所の家でのマナーを学んだことをいまだに覚えてます。

今は大小関係なく

子供がやった全部の責任を親が担わされるような時代で

大変だな・・・と思います。

昔は隣近所の大人たちが地域の子供たちを

みんなで育んでくれているような雰囲気がありました。

必要があれば介入するけど

普段は放っておきつつも

なんとなく見守ってくれる中で

自由に遊んでいた子供時代でした。

わたしは幼稚園から集団行動を学んだので

そこから試行錯誤でコミニケションが出来るようになったけど

それまでは、友達らしい子もほぼいなくて

ひとりでいることが多く、虫や蛙やいきもの相手に空想したり

たまに近所の寺に勝手に行って

檀家のおじいちゃんおばあちゃんに交じって

ちょこんと正座をして法要に加わったりして

母親が探しにきたことも・・・今思えば少し変わった子供でした。

遊びがマンネリ気味でつまらないとは思ったことはあるけど

ひとりでいることが寂しい

と感じたことってその頃はなかった気がします。

行動範囲は子供だから狭いけど

自然の中は発見があり毎日が新鮮でした。

集団行動の中で

いつからか、ひとにどう見られているか?を気にするようになり

臆病になってしまったけれど

あの五歳くらいまでの自分は自由で最強だったなと感じます。

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星の王子さま?をなんとなく思い出した
カメの王子様の像

小さな頃はほとんどの子供たちがそうだと思うけど

わたしも大人たちが話していることも内容はわからないけど

建前やこころと裏腹なこととか

実は敏感にわかっていました。

(このおばちゃんニコニコはしてるけど子供嫌いそうだな、とか)

その中でわからないふりをして

子供らしくふるまったりしていたのも覚えてます。

人間としては生活力はなかったけど

中身はもしかしたら今より大人だったのかもしれません。


そんなふうに振り返って思い出してから

あの頃のマインドに近づきたいなとずっと思っています。

そうしたら、最近、「たのしい」という感覚が蘇ってきました。

ずっと失われてた感覚。

言葉では「たのしい」「うれしい」「わくわく」とか

使ってたけど、いつの頃からかその言葉たちは

絵に描いた餅のようになってしまっていました。


からだの内側から湧き上がるようなあの感じ。

まさに湧いてくる「わくわく」

後先考えずに

今のことだけを集中してたのしむ。

現在がどういう状況であれ関係ない。

自由っていうことのほんとうの意味を

あの頃のわたしは知っていたんだと思います。

そして純粋に「たのしむ」って

体力もいることなんですよね・・・。

せっかく「ワクワク」してもすぐ疲れてしまったら

まあ、いっか・・・となりがちです。

ワクワクはあくまで着火剤のようなもの。

そこからエンジンがかかって動いてこそ、なので

体内年齢も五歳・・・とはいかずとも

少しでも若返っていつでもサッと動けるように
日々からだもこれ以上鈍ることのないよう動かしています。


若いころは体力あっても

気持ちの余裕がなかったりして

やりたいことやれてなかったりもあると思います。

実は中高年以降が人にもよるけど経済的にも精神的にも

若いころよりは余裕が出てくることもあるので

(経済的余裕はまだまだですが)

せめてカラダという大事な財産は保てるように・・・と思ってます。

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プランターに植えたキュウリの苗の花が咲きました。
野菜の花もかわいいね。

また書きますね。
よかったらまた読みにきてください。
何者でもないあなたの訪れ、待ってます。

朝のじかんに、浮かんだこと書くというルーティンを始めようと思いつきました。書く時間はまちまちでも、その中身は朝のじかんに決めていきたいと考えています。
流れでここへたどり着いたあなたへ、通勤のじかん、帰宅のじかん、通学のじかん、家事のじかん、休暇のじかん、1日の終わりの寝る前に…など、いろんな時空を超えて何かの灯火になるようなことを書きたいと希望します。いろんな肩書きや普段の役割を超えた純粋な「あなた」ただの何者でもない「あなた」に届くように。

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