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沈む石になり清流を見つめるように生きる。【モーニングエッセイただの何者でもないあなたへ10】
友人が引っ越して住み始めた川沿いのとある街を訪ねた。電線がない空が爽快で友人と出かけた朝の散歩も気持ちがよかった。
わたしも今年は内側と外側ともに激動の年だけど、友人もそうで、他にも意識が近しいなあと感じてる友人達はそれぞれのテーマに沿っていろいろなことが起きている(た)のを聞くと、
焦らずに自分は自分のことをすればいいんだな。
とあらためて思える。
起きていることを問題やただのトラブルと捉えるか?自分の内側の意識が作り出したものと捉えるか?でだいぶ見える世界も変わる。
この辺についてはモーニングエッセイでは詳しくは書かないけど水曜日の宇宙エッセンスマガジンではまた書いていこうと思う。
こういった景色が登ってきたと見えるのか?下って行くと見えるのか?そして達成感とするのか?疲労感とするのか?そのどちらでもないのか?
見える景色が変わるというのは、自分の価値観や意識の方向性で全く変わるので、それぞれの世界はそれぞれの頭の中にまたあるということ。
だから自分の世界は自分で作るしかない。
そんなことを友人と話してると、私たち幸せだよね〜ほんとにありがたいね!って話にしかならない。
でも同じ内容のこと、例えばわたしが両親ともに入院しててコロナ感染予防のため面会もできない…母の病状も重い…と他の誰かに話したら、その人はその人の世界観で受け取るので(大変だね…お気の毒に…)とか(かわいそう…)とか思われるかもしれない。
いや、大変だけれども、その大変さはたぶん、そういう心配をしてくれる人が思う大変さではないのだ。内容が違う。全く説明する気もないけど。そして説明すること自体が難しいから。
その世界観に乗ってしまうと、もうそれはわたしの世界の話ではなくなるので、
そっと沈む石のようになって、清流にただ流れる葉っぱや枝や泳いでいる魚などを眺めるように、その勝手にやってくる心配のエネルギーを受け流す。
そんなイメージをすると、ざわざわとした胸の内が一瞬で静かになるのだ。
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