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これから大事なのは「コンテンツを生み出せるアーキテクチャ」ではなくて「アーキテクチャを進化させるコンテンツ」なのではないかという話
先日、けんすうさんと久しぶりにゆっくり話をした。動画がPLANETSのチャンネルに上がっているのだけど、ここで僕たちが話したのは前半が彼のはじめての著作『物語思考』についてで、後半が彼がかつてPLANETSのメールマガジンで連載していて、そしていまだに未完になっている『TOKYO INTERNET』についてのことだ。
この対談、話しているうちに盛り上がっていって、ぜひ後半まで見てほしいのだけど、今日は動画公開より先にこの対談を経て考えたことをまとめてみようと思う。
結論から言うと、僕はけんすうさんと話してこの国のインターネットはもう1回コンテンツに回帰するべきなのではないか、という思いを強くした。以下はその理由だ。
そもそも僕たちはこの10年ほど、コンテンツよりもプラットフォーム(のアーキテクチャ)に注目してきた。
読者の中にもその時代を代表するコンテンツ……たとえば『君の名は。』とか『アベンジャーズ エンドゲーム』よりも、それら(の話題)が流通するプラットフォーム、つまりYouTubeやTwitter(X)やFacebookのほうがより強く時代を象徴していると多くの人は考えてるはずだ。
要するに、そこで受容されるコンテンツは究極的にはなんでもよく、その受容の形態を決定するプラットフォームのほうが影響力が高い、ということがもはや常識になっている。
たとえば陰謀論の問題一つとっても、Qアノンだろうが反ワクチンだろうが、人間は信じたいものを信じてしまうことは避けられず、それがより簡単に拡散し、換金できるプラットフォームの側からアプローチするほうが、「それは間違っている」と啓蒙するよりも重要だと考える人のほうが今は圧倒的に多いはずだ。
そして、この日僕たちが語ったのは、この両者(コンテンツとプラットフォーム)が逆転する可能性が出てきたのではないか、ということだ。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…
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