京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第22回 〈テレビアイドル〉の最終兵器としてのおニャン子クラブ
本誌編集長・宇野常寛による連載『京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録』。今回は、80年代半ばのおニャン子クラブの登場から、「歌謡曲からJ-POPへ」移り変わるなかで拡散していく90年代のアイドルシーンを振り返ります。 (この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年7月8日の講義を再構成したものです)
おニャン子クラブの衝撃とアイドルブームの終焉
角川三人娘が活躍したのとほぼ同時期、80年代半ばに大ブームを起こしたのが、秋元康プロデュースのアイドルグループ「おニャン子クラブ」でした。
(おニャン子クラブ「セーラー服を脱がさないで」映像上映開始)
(画像出典)
知っている人も多いと思いますが、AKB48の原型となったのがおニャン子クラブです。ほとんど素人に近いような女の子が何十人もいるという形態ですね。まあ、身も蓋もないことを言えば人の好みは様々ですが、何十人か揃えておけば、好みのタイプの女の子が一人ぐらい見つかるでしょ、ということで大人数になっているんですが、それ以上に重要なのはこの「普通さ」「素人っぽさ」です。それが「作り込まれていない本物」感として人々を惹きつけたわけです。
おニャン子クラブは、「夕やけニャンニャン」というフジテレビのバラエティ番組から生まれています。歌番組ではなく「バラエティ番組」、というところがひとつの特徴ですね。当時フジテレビは非常に勢いがあって、「オレたちひょうきん族」があって「笑っていいとも!」があって、そしてこの「夕やけニャンニャン」がある。これらの番組の共通点は、「内輪感」です。楽屋でタレントかアイドルがしている芸能界の内輪話があえてそのまま放送されていた、というところが画期的でした。
普通に考えたら「お前たちの内輪話なんて知らないよ」ということになりそうですが、そうではないんですね。東京の芸能界で楽しそうにやっている人たちの内輪話を眺めることで、視聴者は一見遠くにある東京の芸能界を身近に感じることができる。自分もテレビ番組のなかに入っているような錯覚が感じられるわけです。これは当時大流行した手法でした。「笑っていいとも!」とかを毎日見ていると、自分もその一員になったような気がしてきますよね。いまのテレビのバラエティ番組って、当たり前のように芸能人同士がキャラいじりとか内輪話をたくさんしていますが、あれはこの頃生まれた手法なんです。
80年代当時、まだそれほどグローバル化も進んでいないなかで、一番かっこいい世界は東京のメディアの「ギョーカイ」でした。出版、放送、広告ですね。比喩的に言えば「東京でテレビの仕事をしている」というのが一番かっこいい時代だったから、テレビ業界人たちが楽しく集まって内輪トークをしているのがすごく輝いて見えたわけです。たとえば当時の「ギョーカイ」のスターとして糸井重里がいますが、彼が作っている雑誌の投稿欄に、一般読者と同じ感じで糸井重里が自分の意見を載せたりするんです。糸井重里は編集する側なのに、ですね。そういった手法によって、「糸井さんと僕たちは友達なんだ」という感覚を一般読者にも感じてもらうような仕掛けになっていた。
「夕やけニャンニャン」は、アイドルをオーディションで選んでいく段階すらもテレビで放映してしまっていた。素人に近いような、どこにでもいそうな女の子たちがアイドルデビューしていく様子を見守るわけです。彼女たちはとんねるずとかと一緒に、なんでもない他愛のない内輪話をしているんですが、その楽しそうな様子を観ることでみんながアイドルたちのことを好きになっていく。あえて〈楽屋〉を半分見せることによって、視聴者の親近感を得る。これが80年代のフジテレビ的な演出手法の特徴で、その後のテレビバラエティの演出のひとつの大きな流れになっていきます。
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