更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー 第2回 秋葉原・その1【第4水曜配信】
今朝のメルマガは〈元〉批評家の更科修一郎さんの新連載『90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー』の第2回をお届けします。
中国人観光客で賑わうオタクの街・秋葉原。80〜90年代のパソコン黎明期から大きく様変わりした街並みを眺めつつ、日本のサブカルチャーの母体となった、「文系文化」としてのコンピュータの記憶を語ります。
▼プロフィール
更科修一郎(さらしな・しゅういちろう)
1975年生。〈元〉批評家。90年代以降、批評家として活動。2009年『批評のジェノサイズ』(宇野常寛との共著/サイゾー)刊行後、病気療養のため、活動停止。2015年、文筆活動に復帰し、雑誌『サイゾー』でコラム『批評なんてやめときな』連載中。
本メルマガで連載中の『90年代サブカルチャー青春記』配信記事一覧はこちらのリンクから。
前回:更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー 第1回「湾岸・有明」
第2回「秋葉原・その1」
夏の終わり、総武線のホームに降り立ち、眼前のミルクスタンドでかずさ牛乳を飲んで、降りていく。
電気街口の改札を出ると、柱や外壁のデジタルサイネージが、次々と新刊の漫画やライトノベルの広告を映し出していて、目が眩む。
駅舎から通りに出ると、新旧入り混じった光景が広がっている。
ラジオセンターの猫の額のような隙間には電子パーツの専門店がいくつか残っており、昭和の匂いを漂わせているが、アキハバラデパートやラジオ会館は建て替えられた。代わりにオタクコンテンツ専門の百貨店(?)や外国人観光客向けの免税店が無造作に立ち並んでいる。
さて、末広町側へ歩くのは何年ぶりだろうか。
秋葉原がオタクの街と呼ばれるようになって20年以上経っているが、筆者が秋葉原へ行くのは、仕事の打ち合わせだけだ。あとは、年に数回、「秋葉原以外の繁華街を知らない」知人と飲む時だ。どちらも昭和通り側のヨドバシAkiba周辺で済んでしまうので、電気街口から出ることはない。
電気街口が街の玄関であることに変わりはないが、2005年、電気街口の反対側にあった日本鉄道建設公団の土地にヨドバシカメラが建ったことで、人の流れはずいぶんと変わった。00年代に入り、秋葉原から電気街としての本来の役割は失われつつあったが、一般的な家電を買い求める客は新設された「中央改札口」を通り、かつては裏側であったヨドバシAkibaへ向かってしまう。
そのため、本来の電気街は、完全にオタクの街──ジャンクなサブカルチャーの街になっている。もちろん、歩けば他の要素もあるはずだが、メディア上でのパブリックイメージはそういう街になっている。
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中央通りへ出ると、交差点で中国人観光客の集団がバスから降りて、免税店の開店時間を待っていた。
もっとも「爆買い」自体は一段落しつつあるし、当て込んで「爆買い」仕様にしていた銀座の百貨店は閑古鳥が鳴いているのだが、秋葉原はその点に於いて、老舗で大衆的で安定している。
そして、かつての電気街の記憶はこの光景にだけ残っている。
白物家電の売れ筋は電気炊飯器と温水洗浄便座と聞いたが、知人は「中国人はなんでそんなものばかり買うのだろうか」と首を捻っていた。
電気炊飯器や温水洗浄便座は日本独特の事情によって進化した商品で、中国で入手することは困難だ。コピー商品はあるだろうが、特殊な進化を辿っているから、忠実に真似ることは難しい。
だからこそ日本で買っていくのだが、電圧は違うし、水質も悪いから、結局、早々に故障してしまう。修理するか、買い直すか――日本製品を買った中国人観光客はどちらを選んでいるのだろうか。
なんで、そんなことを知っているのかというと、十年ほど前、海外で暮らしていた筆者の家族が、ハイアールの冷蔵庫を買ってきたことがあるからだ。ゼネラル・エレクトリックの冷蔵庫が壊れたのだが、半年後に帰国する予定だったから、繋ぎのつもりで買ったのだ。
ところが、三ヶ月で壊れてしまった。
当時の印象は「販売力に技術力が追いついていない」で、なるほど、ハイアールが三洋電機を買収したのは当然の成り行きであった。
その後、故あって長期滞在していたビジネスホテルのコインランドリーでハイアールの洗濯機を使っていたが、何の問題もなかった。まったく同じモデルの新旧品が三洋とハイアールのロゴで並んでいたのだから、当たり前だが。
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