「1本5000円レンコン」から考えるグローカルビジネス|野口憲一
中小企業の海外進出が専門の明治大学・奥山雅之教授とNPO法人ZESDAによるシリーズ連載「グローカルビジネスのすすめ」。地方が海外と直接ビジネスを展開していくための方法論を、さまざまな分野での実践から学ぶ研究会の成果を共有していきます。
今回は、農園経営者と民俗学者という二つの顔を持つ野口憲一さんが、自身の農園で育て上げた「1本5000円のレンコン」を大成功に導いた事例から、戦略的なブランディング手法としての海外進出について。日本における農業経営の実態を研究者の目で分析しつつ、ビジネスマンとして価値設定権を取り戻してみせたマインドと手法とは?
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グローカルビジネスのすすめ
# 07 「1本5000円レンコン」から考えるグローカルビジネス
近年、新たな市場を求めて地方の企業が国外市場へ事業展開する動きが活発になっています。日本経済の成熟化もあり、各地域がグローバルな視点で「外から」稼いでいくことは地方創生を果たしていくうえでも重要です。しかし、地方の中小企業が国外市場を正確に捉えて持続可能な事業展開を行うことは、人材の制約、ITスキル、カントリーリスク等、一般的にはまだまだハードルが高いのが現実です。
本連載では、「地域資源を活用した製品・サービスによってグローバル市場へ展開するビジネス」を「グローカルビジネス」と呼び、地方が海外と直接ビジネスを展開していくための方法論を、さまざまな分野での実践の事例を通じて学ぶ研究会の成果を共有します。
(詳しくは第1回「序論:地方創生の鍵を握るグローカルビジネス」をご参照ください。)
今回は、アカデミアにて民俗学を研究しつつ、自らの農園のレンコンを世界に展開する野口憲一氏にご登場いただきます。近年「ハイテク農業」をはじめとして、農業は注目を集めています。しかし、実際の市場には、その変革を長らく阻んできた、社会的な認識と流通システムが存在します。野口氏は農産物をブランド化することによりこの複雑な問題にメスを入れ、世界中のミシュラン星つきレストランに卸すほどの実績を残してきました。グローバルな競争力をもったモノを、ローカルはいかにして生み出すことができるのでしょうか。「1本5000円レンコン」のエピソードから、グローカルビジネスの成功につながるマインドと手法を学びます。
(明治大学 奥山雅之)
はじめに
肩書きが多くて紹介に困るということをよく言われますが、私は会社役員として実家のレンコン農園の経営に携わると共に、日本大学にて非常勤講師を務めております。社会学の博士号を有しており、専門は民俗学と食・農業の社会学です。実際に今でも大学でオンライン講義を担当しています。最近は経営コンサルタントも始めました。ここでは、自分の肩書を民俗学者と名乗ることにしましょう。
さて、本稿では、「1本5000円のレンコン」を販売するなかで得られた知見をもとに、ローカルからグローバルへの展開が、特にローカルにおいてどのような意味を持つのかについて説明しようと思います。
このレンコンは私が役員を務める株式会社野口農園のラグジュアリーレンコンです。レンコンの一般的な販売価格は1本当たり1000円程度、つまり「1本5000円レンコン」の価格は、相場の5倍です。
私は、この原稿の基になった第13回ZESDA×明治大学グローカル・ビジネス・セミナーを依頼されるにあたって、「グローカルビジネスについての苦労話を語ってください」との注文をいただきました。しかし私は即座にこの注文を断りました。なぜなら、端的に言って、海外進出の苦労は何一つなかったからです。いわば、「雪だるまが転がるようだった」、というのが率直な感想です。しかしその雪だるまの核となったのは、確かに私が作り上げた「1本5000円レンコン」でした。すなわち、「1本5000円レンコン」を日本(≒世界)で初めての、そして同時に日本一(≒世界一)のラグジュアリーブランドレンコンとして鍛え上げたことが、海外進出成功の鍵だったのです。
だからと言ってこのレンコンがそう簡単に売れたわけではありません。海外進出の苦労がなかったこととは異なり、ブランド化に至るまでの過程は、本当に悪戦苦闘の連続でした。しかし、結果としてこの破格値の高級レンコンは、多すぎる注文を断り続けなければならないような商品となりました。それでは、なぜ私はこのような常識はずれな価格のレンコンを売り始めたのか、まずその経緯について説明していこうと思います。
問題の所在 ── 1本5000円レンコンの背景
「はじめに」でも述べたように、私は、会社役員としての立場の他に、研究者としての顔を持っています。長らく農業や農家についての民俗学・社会学的な観察を続けてきました。その中で、一般的には注目されにくい、農家や農業の状況が見えてきました。以下にその主な内容を四つのポイントにまとめてみました。
一つ目は、農業に対する社会的イメージの再生産です。あまりポジティブでないイメージがメディアを中心として再生産され、農家の実像はそこに入る余地がなく、メディアによって作られたイメージが広められているという状況がありました。
二つ目は社会的なやりがい搾取の構造です。これは2000年周辺に始まったと私はみています。それまでの農業に対する社会的なイメージは、単に儲からない仕事あるいは大変な仕事というものが主でした。しかし、1999年後半から2000年にかけて、TOKIOの「ザ!鉄腕!DASH!!」などの番組の登場により流れが変わってきます。
最近でいうと「金スマ ひとり農業」などです。例えば雨の日は家の中で蕎麦を打ったり、読書したりして、そして晴れの日には畑を耕すというようなイメージです。そこには、現代社会の早いスピードに取り残された人々、疲れてしまった人々が、癒しとして農村の暮らしを求め、消費するという構図が出てきます。
生活のスピードが遅いということは、ある意味の癒しになります。表面的にはポジティブに演出されているものの、本質的な価値観には変化はありません。
このことは、農産物の価格観が固定されているということと深い関係があると思います。車で例えると、ファミリーカーとスポーツカーは、同じ車という商品カテゴリーにあっても、常識的に価格が異なるものとして受け止められています。しかし農作物に関しては、そのような値段の違いが受け入れられていません。品質や栽培方法に違いがあっても、小松菜は小松菜、レンコンはレンコンだと捉えられてしまいます。この点が利益率の低さの根本的な原因になっています。
このような状況につながる原因としては、農家がこれまで価格交渉権をほとんど持たなかったということが挙げられます。現在は少しずつ改善される動きもありますが、大半の農作物はJAに全量出荷され、JAから市場に持ち込まれ、そこで仲卸が購入したものが量販店に分配されるという流れが一般的です。そのプロセスの中には、市場で付けられた価格をJAがそのまま表示するという慣例があり、農家の意思が価格に反映されることは一切ありませんでした。
要するに、実際に農業を経営している人とは異なる人々によって、販売価格が一方的に決定されることが長く続いたのです。一つ目のポイントと合わせて、都市部の人間が勝手に作り出した「儲からないけど、楽しい職業」というイメージが固定化されてしまい、その結果やりがい搾取の構造が生み出されていたのです。
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