前世紀ロボットアニメを支えた「ホビー」としてのプレイアビリティ(『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章 今世紀のロボットアニメ(2))【不定期配信】
今朝のメルマガは『石岡良治の現代アニメ史講義』をお届けします。今回は、アニメ史におけるロボットアニメのプレゼンス確立に貢献した2つの要素、「プラモデル」「ゲーム」に着目して解説します。
▼プロフィール
石岡良治(いしおか・よしはる)
1972年東京生まれ。批評家・表象文化論(芸術理論・視覚文化)・ポピュラー文化研究。東京大学大学院総合文化研究科(表象文化論)博士後期課程単位取得満期退学。青山学院大学ほかで非常勤講師。PLANETSチャンネルにて「石岡良治の最強☆自宅警備塾」を放送中。著書に『視覚文化「超」講義』(フィルムアート社)、『「超」批評 視覚文化×マンガ』(青土社)など。
『石岡良治の現代アニメ史講義』これまでの連載はこちらのリンクから。
前回:20世紀のロボットアニメを概観する(『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章 今世紀のロボットアニメ(1))
『エヴァ』『コードギアス』で視聴者が注目するのは「ロボット」ではない
前回は簡単に前世紀のロボットアニメ史の流れを一瞥してみました。予告でも触れた論点ですが、今世紀のアニメファンにとってロボットアニメの存在感はかなり低下しています。それでは、かつてアニメを代表するジャンルとされ、今でも精力的に作られ続けているロボットアニメの魅力とはなんだったのでしょうか? 「カッコイイ」「全能感を満たせる」等、個別の説明はそれぞれ重要ですが、興味深い事実として、今なおロボットアニメについては、大張正己をはじめとした職人アニメーターの匠の技を賞賛する文化が生きていることが挙げられます。『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』(2015、2016年)でも、メカ作画が重要になる要所要所で、1980年代から活躍している大張正己が参加していることは有名です。彼は『スパロボ』でもしばしばメカ作画を担当していますが、前回『スパロボ』プレイヤーの固定化・高齢化傾向に触れたように、クリエイターも消費者も、今なお80年代からの流れを受け継いでいるところは否めません。
さて、前回、80年代前半のロボットアニメの多くがポストガンダムとしての性格をもち、90年代後半〜00年代前半はポストエヴァとしてまとめられると指摘しました。ではそれ以降現在に至るロボットアニメはどうでしょうか?「ポストガンダム」「ポストエヴァ」というまとめが、個々のタイトルに愛着を持つ人の強い反発を起こすことは承知の上で(例えば私自身は『イデオン』を「ポストガンダム」と呼ぶことについては、違和感もありますが、便宜的な大枠ではそう呼んでも良いという感覚を持っています)、00年代後半〜10年代のロボットアニメをあえてまとめるならば、「ポストギアス」と呼べるのではないかと考えています。
2017年から『コードギアス』の続篇企画が動くことが発表されていますが、このことは、逆説的にここ十年の新規オリジナルタイトルの中では最も存在感があった事実を示しています。「今世紀のロボットアニメ」を考えると、ガンダムやマクロスなど定番タイトルを除けば、今世紀初頭は「ポストエヴァ系のタイトル」そして2006-2008年の『コードギアス 反逆のルルーシュ』、そして「ポストギアスの模索」とまとめられるように思います。大半の「ポストギアス」狙いタイトルが挫折するなか、当のギアスの新シリーズが動き出したというイメージです。もちろんいくつかランダムに上げるだけでも『交響詩篇エウレカセブン』(2005年)、『ゼーガペイン』(2006年)、『天元突破グレンラガン』(2007年)、『銀河機攻隊マジェスティックプリンス』(2013年)等々、一定のファンを得たタイトルがありますが、ロボットアニメファンプロパーを超えた影響力という点ではやはり、『コードギアス』の存在感が際立っています。
ただ、同時に触れなければならないのが、『エヴァ』の時点ですでに、多くの視聴者の関心がロボットにはなかったという事実です。1990年代に典型的なサイコドラマとしての側面が、爆発的ヒットとなった理由としては重要でしょう。『コードギアス』に関しても、ロボットである「ナイトメアフレーム」の存在感としては、メインキャラクターの一人枢木スザクが操る「ランスロット」の発進ポーズが最も有名で、他の印象はそこまで大きくないのではないでしょうか。個人的には紅月カレンが乗り込む「紅蓮弐式」なども興味深いのですが、もっぱら『DEATH NOTE』の夜神月を彷彿とさせる主人公ルルーシュをはじめとするキャラ、そしてルルーシュが床を崩したりギアスで他人に命じる描写の印象が顕著です。しかしもちろん、『コードギアス』は突然変異的に出てきたわけではなく、ロボットアニメとしての系譜も見逃すわけにはいきません。実際のところ、『コードギアス』には、野心的ながらも一般にはアピールしなかった高橋良輔監督の『ガサラキ』(1998-1999年)のリベンジとしての性質をみることができます。『ガサラキ』は途中で反米クーデターのモチーフが肥大化してしまった感があるのですが、同作では副監督を努めた谷口悟朗が、『コードギアス』では諸勢力の政治的利害関係をひたすらシャッフルした結果、例えば日本にとっての敵国をアメリカではなく架空の「ブリタニア帝国」とすることで、政治的読解という点では右派も左派も「等しく逆撫でする」ことに成功しました。
けれども一般的にみるならば、ロボットアニメの人気作をロボットの魅力のみから語ることが困難であるという、一見逆説的な状況が当たり前となって久しいといえるでしょう。しかし前回予告したように、ここで一旦、『ガンダム』がもたらしたロボットへの関心がどのような展開を辿ったのかについて、様々な「男児向けホビー」の観点から見ていきたいと思います。
なお、ホビーを性差で規定することについては議論の余地がありますが、以前キッズアニメの章で「女児向けアニメ」の射程について述べたときと同様の便宜的な区分と考えていただけると幸いです。私自身は男女に明確に向けられたコンテンツを出来る限り「両方」触れるようにしていますが、過去に遡れば遡るほど、アニメにおける性差の規定が大きなものであったことを思い知らされます(かつてはアニソンの歌詞に「男の子だから」「女の子だから」がしばしばみられたものでした)。
以下、前回「ロボットアニメ」に関して前世紀から今世紀に至る流れを簡単に見てきたのと同じ時代を、主としてプラモデルとゲームに即して辿っていきたいと思います。
ガンプラ市場の大きさが「宇宙世紀ガンダム」の続編企画を支えた
ガンダムシリーズ最新作『鉄血のオルフェンズ』の反響についてひとつ興味深いことがあります。視聴率やソフト売上という点では必ずしもブランド力に見合っていないという見解もあるのですが、主役機「ガンダム・バルバトス」をはじめとして、「ガンプラ」の売上という点ではかなり好調であるという事実です。
そもそも80年代のロボットアニメブームはほぼ『ガンダム』の存在や、再放送中に爆発的に売れた「ガンプラブーム」の余波という側面があるのですが、プラモデルというホビーの世界が、アニメから半分自律した世界を形成していたことが、興味深い展開を生みました。
現在に至る『ガンプラ』のクオリティの奇形的ともいえる発展についてはよく知られていますが、前回「リアルロボットアニメ」の典型として挙げた『太陽の牙ダグラム』は、もっぱらプラモデルの売上の力によって放送延長となり、75話という長期アニメとなりました。現在では後続の『装甲騎兵ボトムズ』の方がアニメ作品としての存在感は大きいのですが、80年代のガンプラブームの直撃世代である私の印象としては、『ダグラム』のプラモデルは、デザイナー大河原邦男の無骨なデザインがいい感じに出ていて、ガンダムをよりリアル寄りにしたメカが魅力的でした。
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