第二章 ミニ四駆(2)「ミニ四駆のコックピットには誰が乗っているのか」 | 池田明季哉
デザイナーの池田明季哉さんによる連載『"kakkoiiの誕生――世紀末ボーイズトイ列伝"』。第一次ミニ四駆ブームと『ダッシュ!四駆郎』について論じた前回に続いて、今回は第二次ブームと『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』とフルカウルミニ四駆が宿した「キャラクター」性に迫ります。
"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝
第二章 ミニ四駆(2)「ミニ四駆のコックピットには誰が乗っているのか」
第1次ミニ四駆ブームを支えた『ダッシュ!四駆郎』(以下『四駆郎』)が1992年に連載を終えた後、それを引き継ぐ形で1994年から1999年まで「コロコロコミック」誌上に連載されたのが、こしたてつひろ『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』(以下『レッツ&ゴー』)だ。
『レッツ&ゴー』は原作となる漫画版と平行して、アニメ化されている。アニメ版は、展開が原作を追い越してしまったことから独自の解釈を強く打ち出していくことになった。アニメ版におけるミニ四駆描写の特徴(具体的にはスケール感を錯覚させるカメラアングルや、ミニ四駆の高いコントーラビリティ)も重要ではあるのだが、ここではこしたてつひろが手がけた漫画版を中心にして論じていきたい。
『四駆郎』では、父を目指す「親子」の物語と現実を目指す「ホビー」という価値観が結託した、垂直的な構造によって支配されていた。これに対して『レッツ&ゴー』では、「兄弟」を描く物語と「スポーツ」的な価値観による、水平的な構造を軸にして展開していくことになった。
▲こしたてつひろ『爆走兄弟レッツ&ゴー!!(1)』(小学館てんとう虫コミックス、1994年)
矮小な「大人」と無数の「兄弟」
『レッツ&ゴー』は、そのタイトル通り、星馬烈と星馬豪という兄弟を主人公とした物語だ。兄の烈は頭がよくテクニカルなセッティングが得意で、そのマシン「ソニックセイバー」もコーナリング重視とされている。対して弟の豪はスピード重視のセッティングを好み、愛車「マグナムセイバー」も直線を得意とするマシンとなっている。烈が小学校五年生で豪が四年生と年齢に差をつけてあること、どちらかといえば豪に感情移入させるような作りになっていることは、烈のような優秀なレーサーを不器用な豪が目指していくような構造にすることも十分可能だったことを思わせる。しかし実際には、烈と豪は異なるスタイルを持った対等なレーサーであることが強調されていくことになる。
『レッツ&ゴー』の第一回においては、豪がレース中にマグナムを破損させてしまい、烈がそれを助けるという展開が描かれる。しかし第二回においては、豪がスタイル重視で搭載したライトが、停電で真っ暗になってしまったコースで烈(および他のレーサーたち)を助ける構図になっている。この第二回では、ソニックとマグナムの両方がレース過程で大破しており、烈と豪は失格になりながらも二台を繋ぎ合わせたマシンで走ることを決断する姿が描かれる。この第一回から第二回までの流れは、烈と豪の兄弟が、異なるがゆえに互いの欠点を補完していく存在であることを印象づけるものだ。この烈と豪の対等な関係は、物語を通じて、チームメイトとなる他のレーサーたちや、ときには対戦するライバルたちにまで、オープンに拡張されていく。
▲破損したマグナムセイバーを支えるソニックセイバー。
『爆走兄弟レッツ&ゴー!!(1)』42p
ここで強調しておきたいのは、「兄弟」を増やしていくような水平的な拡張に、「大人」が含まれていることだ。
『レッツ&ゴー』においては、星馬兄弟の父親は、戦後中流的な「普通のサラリーマン」として描かれており、ミニ四駆に大きな関わりを持たない。代わりに烈と豪に「セイバー」を託す役割を与えられているのは、ミニ四駆の開発者である土屋博士だ。土屋博士は、劇中では過去飛行機のパイロットであったことが語られてこそいるものの、レーサーではなくあくまでマシンの開発者に徹する。『四駆郎』における源駆郎のような偉大な「父」としては描かれず、それどころかコミックリリーフとして笑いを誘うような役割が与えられてさえいる。またレーサーであり大会をナビゲートするミニ四ファイターも、概ね同様の扱いがされている。こうした大人たちが意図的に「子供っぽく」、あるいは『四駆郎』時代の水準からいえば矮小に描かれるのは、象徴的な意味での「父」の出現と、垂直的な構造の復権を回避するためだろう。本作における「大人」は、あくまで「兄弟」の延長にある存在として定義されており、こうした工夫からは、水平的な構造を徹底的に維持しようとする姿勢が見てとれる。
▲土屋博士は無邪気で子供っぽい側面が強調して描かれる。
『爆走兄弟レッツ&ゴー!!(4)』21p
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