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京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録第2回 サブカルチャーから考える戦後の日本【完全版】

本誌編集長・宇野常寛の連載『京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録』。今回は、2016年5月20日にお届けした第2回「サブカルチャーから考える戦後の日本」の完全版をお送りします。20世紀前半に普及した〈自動車〉と〈映像〉が、いかにして現代社会を作り上げたのか。そして、戦後この2つをアメリカから輸入し独自発展させた日本が、同時に抱え込んでいる〈ネオテニー性〉について考えます(この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年4月15日の講義を再構成したものです)。

いま、サブカルチャー的な思考を経由する意味

 前回は60年代の「政治の季節」の終わりから70年代以降のサブカルチャーの時代、そして2000年代以降のカリフォルニアン・イデオロギーの台頭までの流れを、駆け足で見てきました。1970年代から20世紀の終わりまでは世界的に人口増加=若者の時代であり、そして若者の世界は脱政治化=サブカルチャーの時代だった、とおおまかには言える。もちろん、サブカルチャーと政治的な運動の関係は内外でまったく異なっているし、一概には言えない。しかし重要なのは、マルクス主義の衰退からカリフォルニアン・イデオロギーの台頭までは「世界を変える」のではなく「自分の意識を変える」思想が優勢な時代であって、そこに当時の情報環境の変化が加わった結果としてサブカルチャーが独特の機能を帯びていた、ということです。そして、そのサブカルチャーの時代は今終わりつつある。
 普通に考えれば、サブカルチャーの時代が終わろうとしているのなら、僕はとっとと話題を変えてカリフォルニアン・イデオロギー以降の世界を語ればいい。情報技術の進化と、その結果発生している新しい社会について語っているほうが有益なのは間違いない。僕は実際にそういう仕事もたくさんしてます。
 でも、ここではあえて古い世界の話をしたい。それはなぜかというと、皮肉な話だけれど、いま急速に失われつつあるサブカルチャーの時代に培われた思考のある部分を活かすことが、この新しい世界に必要だと感じることが多いからです。

 かつてサブカルチャーに耽溺することで自分の意識を変え、さらには世界の見え方を変えようとしていた若者たちは、いま市場を通じて世界を変えることを選んでいる。実際に、僕の周囲にもそういう人が多い。学生時代の仲間とITベンチャーを起業して六本木にオフィスを構えているような、いわゆる「意識高い系」の若者たちですね。彼らは基本的に頭もいいし、人間的にも素直です。付き合っていて不快なことはないし、仕事もやりやすい。だけど、話が壊滅的に面白くない。
 なぜ彼らの話が面白くないのか、というとたぶんそれは彼らが目に見えるものしか信じていないからだと思うんですね。彼らはたとえば、うまくいっていない企画があって、それに対して予算や人員を再配置して最適化するような仕事はとても得意です。しかし、今まで存在していなかったものを生み出すような仕事は全然ダメな人がすごく多い。もちろん、そうじゃない人もちゃんといて、彼らはものすごく創造性の高い仕事をやってのけているのだけど、その反面これだけ賢い人なのになんでここまで淡白な世界観を生きているんだろう、という人もすごく多い。ブロックを右から左に移動するのはものすごく得意で効率的なのだけど、そのブロックを面白い形に並べて人を楽しませることが苦手な人がとても多い。正確にはそれができる人とできない人の落差があまりにも激しくてびっくりするわけです。

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