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勇者シリーズ(6)「勇者特急マイトガイン」|池田明季哉(後編)

デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』
『勇者特急マイトガイン』において強調される主人公・舞人自身の「男性性」や「成熟」のイメージ。「勇者シリーズ」前作までの美学とは一見相反するこのモチーフが、本作のメタフィクショナルな結末にもたらした意義とは?

池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝
勇者シリーズ(6)「勇者特急マイトガイン」

■搭乗型ロボットとしてのマイトガイン

これまでの勇者シリーズでは、自らは戦う力を持たない地球の少年と高い戦闘力を持つ異邦人のロボットが相補的に機能する構造となっていた。玩具においても戦闘は勇者ロボの領分であるからこそ、小ロボをストレートに拡張していくかたちが採用されていた。ゆえに谷田部勇者は、少年がロボットに指示を行うことで戦いを進める――指示する主体と戦う主体を分離・協調させる構図に到達した。そしてそれは、結果として無力な少年=遊び手の子どもと、戦うロボット=玩具の関係を正確に記述することになった。

しかしマイトガインはこの構造を大きく変革する。谷田部勇者において少年がロボットに対して指示を行う構図にたどり着いたのは、戦うことができない少年と、戦うことしかできない(それを主任務にしており日常生活への溶け込みには困難があるという意味で)ロボットという構図を維持しながら、少年の主体を反映させるためのギミックであった。もし少年――舞人が自ら戦うのなら、その主体は旋風寺舞人が担うことになる。旋風寺コンツェルンの主体が究極的にはその総帥である舞人であるように、勇者特急隊の主体もまた、舞人に集約されている。

こうした特徴は、マイトガインをマジンガーZやガンダムといった搭乗型のロボットに限りなく接近させる。本連載では「魂を持った乗り物」という概念を通じて、20世紀末のボーイズトイが21世紀的な想像力を先取りしていると分析してきた。確かにマイトガインもまたガインという存在を宿している以上、「魂を持った乗り物」の一種であると言うことができるだろう。しかしガインが舞人の意思決定に影響を与える度合いは高くない。たとえばダ・ガーンは命令を受けるまで行動できないという欠点と、単純な命令を複雑な行動にブレイクダウンして判断したことが強調して描かれていた。そう考えると、ガインは勇者特急隊という組織――あるいは旋風寺コンツェルンの構成員と同列の立場として捉えることができるだろう。指示に基づいて勇者ロボが戦闘するとしても、それは執事や秘書が業務をこなすのと本質的に変わらない、トップダウンにしてウォーターフォール的な主体拡張といえる。

「乗り物」と「魂を持った乗り物」を区別したのは、「乗り物」が身体をストレートに拡張することでマスキュリニティを表現するのに対し、「魂を持った乗り物」は、精神をダイレクトに物理的現実に反映する精神と肉体の短絡に対して、別の主体が挟まれることによって生まれる中間性を指し示すために必要な概念であった。

そう考えれば、マイトガインは「魂を持った乗り物」でありながらも、「乗り物」に近い美学を宿しているということができる。たとえば勇者シリーズの先祖と位置付けたGIジョーについての議論では、軍隊という組織をそのリーダーというひとつの主体を拡張する巨大な身体として捉え、アメリカのヒーローたちもこの系譜に位置づけた。マイトガインが描く美学も、勇者シリーズとしては最大限にこうした美学に寄っている。

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