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シリコンバレーのハッカー文化と東京オタク文化の大きな違い/古川健介『TOKYO INTERNET』
今回のnoteは古川健介さんの「TOKYO INTERNET」の第2回をお届けします。ヒッピーカルチャーとテクノロジーの融合から生まれたシリコンバレーのハッカー文化が、「世界を変える」という〈目的〉に突き動かされていたのに対して、日本のネットカルチャーは、〈手段〉や〈プロセス〉に価値を見出すところに特徴があります。日米のネット文化の違いを、様々なサービスやコンテンツから明らかにしていきます。
イラスト:たかくらかずき
インターネットの聖地は? といわれると、当然ながらシリコンバレーが思い浮かびます。前回の記事「東京っぽいインターネットサービスは「遊び半分」がキーワード」でも書いたように、シリコンバレーには「世界を変えろ」という空気があり、それを成し遂げる都市の文化があるのではないかと思っています。
じゃあ、そのシリコンバレーの文化の源泉は何なのか? というと、60年代にピークを迎えていた、ヒッピーカルチャーなのではないかと思っています。
ヒッピー文化は、ベトナム反戦運動からの影響を強く受けているといわれています。戦争のような、残酷な現実に正面から反対する姿勢がベースにあり、そこから国や大企業に反発する精神に広がっていきました。大きな存在に対して、正面から理想を掲げていくイメージです。
そして、ヒッピー文化自体は、ライトな層にも広がっていき、国や大企業になんとなく反発する気持ちから、親世代が作ったアメリカの中流文化に対しての反抗心レベルまで存在するようになりました。どのみち、アメリカの中流文化に流れていた、規律や道徳心への反抗心があり、そこから限りない自由を求めたり、異国感を求めたり、薬物で精神を解放する、という行為が文化として根付いていったのです。
Apple創業者のスティーブ・ジョブズも、このヒッピー文化から大きな影響を受けており、LSDを使ってアレしてたことでも有名です。
このヒッピー文化は、それ自体、ムーヴメントや文化の一端に過ぎなかったのですが、テクノロジーというパワーを手にした瞬間、理想を現実化することが可能になりました。それがシリコンバレーの「世界を変えろ」というメッセージの元になっているのではないかと思っています。
たとえば、ヒッピー文化における「Power to the people」の精神があります。これは個人の手に力を取り戻そう、という意味ですが、シリコンバレーの起業家たちより、テクノロジーの力で、本当に力を取り戻してしまっています。iPhoneで撮った動画をYouTubeにアップし、FacebookやTwitterにあげることで、個人でも大きな影響力を行使することが可能になりました。
ヒッピーがテクノロジーという武器を手に入れることで、世界を本当に変えることができるようになったのが今のシリコンバレーのグローバル企業たちであるという仮説です。
もちろん、シリコンバレーがインターネットの聖地になった所以としては、スタンフォード大学などがあることや、ヒューレット・パッカードなどの第一次世代の企業があることで、ベンチャーキャピタルやエンジェル投資家が多く出たことによるエコシステムが回り始めたことなどは、大きな理由です。しかし、文化的背景でいうと、ヒッピー文化が根付いてたことが大きいのではないかと個人的に考えています。
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