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『磯マーケットフェス』完全レポート

磯マ:文字有:透過

遠い昔、アレクサンダー大王が、ガラスでつくられた大樽の中に入り、深海を探検したという伝説が残されている。その時の海中の様子を描いた絵の中には、巨大な魚や奇々怪々な海獣たち、それに深海森林や海底人、挙句の果てにはなぜかカンガルーらしき生き物までもが登場している。海の底を飛び跳ねる有袋類、なかなかに幻惑的な光景である。
このように、人類は大昔から、深い海の世界に夢想と興味を抱いてきた。レオナルド・ダ・ヴィンチはスケッチの中に、現在のスキューバダイビングに連なるようなアイディアを記しているし、ジュール・ヴェルヌは『海底二万マイル』という空想科学小説の中で、神秘に満ちた深海の世界を綴っている。素潜りの勇士であるジャック・マイヨールは、百メートルの深さまで潜水し、イルカやクジラと戯れながら泳いだという。地上からは捉えることのできない、海の奥の未知の領域。その不確かなブルーに好奇心を掻き立てられた者たちは、これまでに水平線の彼方で数々のドラマを描いてきた。なんとも胸の熱くなる話ではないか。
だが、私はこうも思う。
みんな、海の深い方向にばかり夢中になりすぎて、磯のことを忘れてはいないか。
イルカとかクジラとかカンガルーとか大騒ぎしているけど、磯の件についてはなかったことにしているんじゃないか。
磯をないがしろにしてはいけない。ガラスの大樽や酸素ボンベ、潜水艇などといった大げさな装置は、磯の前ではすべて無用の長物と化すのである。
磯は、浅い。だから誰もが、容易に水中の様子を覗き込むことができる。その時、目の前には、アレクサンダー大王がかつて眺めたとされる景色に負けずとも劣らない、奇妙にして鮮やかな異世界が広がる。海綿に八本の脚を這わすタコ、春の花のように咲き誇るイソギンチャク、波間を踊る小魚、群をなしてこちらに視線を送ってくるイカの子どもたち、ウニ、ヤドカリ、アメフラシ、その他諸々、非日常に溢れたスペクタクル。そう、わざわざ深海に潜らなくても、磯に訪れさえすれば、海の驚異に触れることが可能なのだ。なぜジューヌ・ヴェルヌは『磯二センチ』という小説を書かなかったのか。理解に苦しむ。
私たちは、この磯という素晴らしい無料コンテンツを、なぜだか忘れがちにしてしまう。オリンピックにおいて、海を舞台とする競技はトライアスロンやオープンウォータースイミングなどが知られているが、磯でメダルを競うスポーツなど聞いたことがない。ビーチバレーがあるのなら、磯バレーだってあっていいはずなのに。磯はIOCからも黙殺されたエリアなのだ。陰謀を感じずにはいられない。
それから夏の盛りには、やれ苗場でフジロックだ、やれ石狩湾の埠頭でライジングサンだと、各所で野外音楽フェスが催されるわけだが、なぜ磯ではそのようなイベントは開かれないのか。岩場での転倒に気をつけながら、そしてヒトデやナマコをうっとりと観察しながら、ケミカルブラザーズのライブステージを楽しむ「磯フェス」があってもいいのではないか。磯は野外には該当しないとでもいうのか。音楽業界の闇を感じずにはいられない。
いまこそ、私たちは磯を解放しなければならない。IOCが磯を慎重に排除するならば、私たちは心の中にISOという機関を設立し、磯の復権運動を起こさなければならない。
磯遊びに興じている時、私はいつも、静かに興奮している。ウソがひとつも混じらない潮だまりの景色を前にして、心を確かに震わせている。
全人類よ、磯に興奮せよ。
いまこそ磯に興奮し、正気を取り戻す時である。


かつて私は、以上のような声明文を自作の冊子『磯ZINE』に載せた。

『磯ZINE』とはつまり、磯のマガジンであり、磯にまみれた怪文書である。創刊号を出版したのが2020年の初夏で、そして2022年の初頭には第二号かつ最終号を刊行した。「なんで二号目にしていきなり最終号なんだ」という声もあるだろうが、そこは復刊号を是非楽しみに待っていただきたい。

『磯ZINE』の同人には、ダ・ヴィンチ・恐山氏、平井まさあき氏(男性ブランコ)、竹内佐千子氏、宮田珠己氏、メレ山メレ子氏、ヤマザキOKコンピュータ氏、藤原麻里菜氏、藤岡みなみ氏、妖精大図鑑氏、モリテツヤ氏、山本さほ氏にご参加いただいている。なんという豪華メンバー。これもひとえに磯のなせる業なのだろう。

川名潤氏の剛腕が光る装丁にもご注目いただきたい。「磯のヴォイニッチ手稿みたいにしてほしい」という私からのわけのわからないオーダーを見事に具現化していただいた。

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創刊号も最終号も、こちらのオンラインショップからご購入可能である。

最終号刊行の際には、同人のほぼ全員が集まって『磯フェス:オンライン』なるイベントまで開催した。

つまり私は、この数年ほど、ずっと「磯」に憑りつかれている状態だ。はたから見たら、それはなかなかに奇妙な状態であろう。なんであの人は磯に固執しているのか、大海原のポジションはすでにさかなクンに取られているから浅瀬のほうの利権を手に入れようとしているか、などといぶかしむ向きもあると思う。

正直、私の「磯活動」の動機はかなりシンプルだ。「自分は幼い頃から磯遊びが好きで、だから磯の魅力をもっと世に広めた~い」という無邪気な想いがそこにあるだけである。しかし、まさか数年にもわたって小刻みに磯にまつわるアレコレを出力する日々が続くとは、さすがに思ってもみなかった。『崖の上のポニョ』に描かれている通り、好むと好まざるとにかかわらず、海というのは向こうからやってくる。気づいた時には手遅れで、宗介のように瞬く間に潮の世界へと取り込まれているものなのだ。

実は私には、かねてからの夢があった。

まだ『磯ZINE』の構想すら思いついていない、2019年の夏。私はメレ山メレ子氏やそのご友人たちと一緒に、鳥取県で磯遊びをしていた。

メレ山メレ子氏は文筆活動の傍ら、『昆虫大学』なる虫をテーマとしたイベントの主宰をしている超人である。そんな『昆虫大学』学長は磯遊びにも造詣が深く、ウミウシやクサフグの姿に興奮し続ける非常に楽しい数日間を共に過ごさせてもらった。

シュノーケリングをしている際の、時間の経つスピード感はエグい。海の中、そして磯の周辺は実に情報量が多く、あちらこちらに目をやっているうちに、さっきまで真上にあった太陽があっという間に水平線の向こうに沈んでいたりする。昔話『浦島太郎』のオチは青年が竜宮城で三日三晩を過ごしたつもりが、いつの間にか途方もない年月を重ねてしまっていたというものであったが、あれはもしやシュノーケリングの話であったのではないか。

メレ山氏たちと磯をキメている道中、私はポロっと「近いうちに磯のマーケットフェスイベントをやってみたい」とこぼしていた。それはつまり、『昆虫大学』の磯パロディのようなことをやりたいのです私は、という宣言である。

思いつきに似たその言葉は、口にした途端に確固たる自分の夢へと変わった。おそらくだが、そのメレ山氏一行との磯遊びの日々があまりに充実していたため、私は海の熱に浮かされていたのだと思う。熟語でいうなら「熱海」だ。

自分が磯に憑りつかれ始めたのは、まさにその瞬間である。

竜宮城の門扉を開けたら、もう戻れない。とにかく『磯マーケットフェス』、略して『磯マ』をやるのだと、私は息巻いた。メレ山氏に「どんなイベントをイメージしてるんですか?トーク中心?それとも物販中心?」と聞かれたが、すでに身体を磯に乗っ取られていた自分は「……とにかく楽しくて、会場ではミラーボールが回っていて、最後はみんなで踊りだすような……、そんなフェス……」とうわ言を唱えるばかりであった。

磯遊びのシーズンが終わった辺りで、さっそく『磯マ』の準備に取り掛かることにした。まずは会場探しだ。

と、思っていた矢先、世はパンデミックに襲われた。こうなると、マーケット型フェスイベントは断念せざるを得ない。私は『磯ZINE』を作ったり、『磯フェス:オンライン』を開催したりして、磯への想いをなんとか紡いだ。時には三浦半島に出かけたりして、不要不急の磯を楽しんだりもした。世間のトーンは死んでいたが、私の心の中のタイやヒラメは舞い踊りを静かに続けていた。

竜宮城に滞在中のタイムスピードは本当に早く、気づけば2022年の春になっていた。そろそろ、ようやく『磯マ』が実現できそうだ(ちなみに『磯マ』の言い方は『ステマ』をイメージしていた)。アーツ千代田3331というオルタナティブスペースの会場を押さえ、私は奔走した。

パンデミックでの待機時期の間に、かつておぼろげだった『磯マ』のコンセプトは固まっていた。お祭りだ。海の文化祭をやろう。そして3331に竜宮城を出現させるのだ。これはフェスという名の磯遊びなのだ。そして同時に、マーケット型の磯コントでもあるのだ。とにかく、お祭りだ!

お祭りといえば、縁日であるわけだから、なにはともあれ屋台出店が肝である。敬愛する作家の友人たちに「『磯マーケットフェス』というイベントをやります。さてあなたはどんなアイテムを作って出店しますか?」と大喜利形式でオファーをかけた。

そして、すべての友人たちから出店の快諾をいただき、2022年5月3日(火祝)と4日(水祝)の二日間にわたって、『磯マーケットフェス』は開催される運びとなった。

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完全事前予約制で、あっという間に300枚近くのチケットが完売となった。フェスなのだからと、チケットはワカメ型のリストバンドを用意した。

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以下は、当日の会場のレポートである。

『磯マ』大喜利には、このような回答が出店者たちから波のように押し寄せた。


●マメコ商会

メレ山メレ子氏も売り子でご参加のマメコ商会さんは、『磯マ』にて新作であるタチウオ柄のワンピース&シャツのお披露目受注会を実施してくれた。タチウオのイラストは私の畏友であり磯遊び仲間でもある魚譜画家の長嶋祐成氏である。

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当然、マメコ商会ブースは試着の列で大賑いであった。

マメコ氏は普段、虫柄の服を製作している。磯マ開催の前日、メレ山氏から「マメコ商会で虫柄のシャツも扱ってよいか」という問い合わせがあった。磯にはフナムシなどの虫もいるわけだから、当然、OKである。しかし、なぜマメコ氏から直接ではなく、メレ山氏を介してそのような伺いがあったのか。あとでマメコ氏にその心を尋ねたら「磯のイベントなんだから虫はダメです」と真顔で正面から告げられたらテンションが下がるため、代わりにメレ山氏に聞いてもらったとのこと。私は自分でも知らないうちに「磯原理主義者」的な、周囲に緊張感を与える存在性を獲得していたらしい。

ちなみにマメコ商会さんの虫柄シャツ、出店者のひとりである死後くんがめちゃくちゃ上手に着こなしていた。死後くんは柄シャツの申し子であったのだ。

●平野元気

岩手県のイーハトーブの世界からやってきたガラス工芸作家の平野元気氏は、『磯マ』のためだけにイカやタコのガラスオブジェなどの新作を出品してくれた。

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狂っていたのは「ISOガラスペン」で、「I」はよいが「S」と「O」が絶妙に書きづらい。ところが恐ろしいことに、「S」も「O」も売れたという。世の中には奇特な磯ファンがたくさんいるということを改めて思い知らされた。

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そして、「タコ耳栓」である。

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こちらの商品は事前に紹介ツイートした段階で大バズりして、さらに『磯マ』開催中にお買い上げいただいた方々の使用感ツイートがさらに特大バズりして、平野さんと私のアカウントには世界各国からの「タコ耳栓、ギブミー」的なDMが届きまくった。

挙句の果てには中国でパチモンの「タコ耳栓」を販売するサイトまで現れる。まさかの『ニセ磯マ』爆誕である。

もはやディズニーランドとかキティちゃんみたいな状態になってしまった「タコ耳栓」であったが、平野さんは詰めかけるお客さんたちに粛々と自身の作品を販売していた。

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ちなみに会場では「イカ耳栓」も披露されていた。こちらは会場に来ないと知りえない情報だったので、中国でニセモノは流出しなかった模様。

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『磯マ』の次の日には、朝の番組で「タコ耳栓」が紹介され、香川照之氏が嬉しそうに耳からタコの腕を覗かせていた。

超絶ガラス工芸作家の平野氏を世界にお披露目できて、とても嬉しかった。


●memini&licoyas

『磯マ』を開催すると決めた時、一番最初に召喚したいと思ったのがmemini氏である。

私はmemini氏のことを「指先に奇跡の3Dプリンタを宿し者」と呼んでいる。memini氏が作りだす彫金アクセサリーはどれも精巧で、ため息のでるような逸品揃いである。そんな彼女に「磯テーマでボケてくれないか」とお願いするのは非常に畏れ多かったのだが、快く出店を引き受けていただけた。

mamini氏は磯へとリサーチに出かけ、そこでビーチコーミングした石や釣りの錘などをモチーフに、磯アクセサリーを展開してくれた。「磯は身に纏う時代」の到来を告げるアイテムである。

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さらにmemini氏のブースに蟹モチーフでアクセサリーを製作しているlicoyas氏が横歩きで緊急参戦してくれた。『磯マ』の一角は蟹で染まり、磯濃度が一気に高まった。

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モノホンの蟹も参加していた。

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そしてふたりは「カニチェキ」という、まったくもってどうかしているアイテムの販売まで行っていた。「今日もありがと♡」って、誰が誰に言ってるんだ。

その中に「グソクムシチェキ」もあった。おいおい、ちょっと待ってくれ。グソクムシは磯じゃなくて、砂地じゃないのか。そしてどちらかというと浅瀬ではなく、深い海の方面の生き物ではないのか。そのことをlicoyas氏に問い詰めると「でも、死骸が磯に打ち上がることもあると思う」と言われ、ぐうの音も出なかった。この「打ち上がる」という概念を持ち出された辺りで、『磯マ』はなんでもありのイベントに化け始める。


●死後くん

旧知の仕事仲間でもあるイラストレーターの死後くんは、カニ型の二輪挿し花瓶「カニりん」を『磯マ』に持ち込んでくれた。

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磯と花の融合である。なぜサンプルが菊の花なのかは、なんだか怖くて聞けなかった。

後述するが、『磯マ』では後夜祭として『磯アフターパーティー』を執り行った。そこで「磯オークション」なる企画が開催され、最後に『磯マ』出店者全員のサインが書かれた釣りジャケットが出品されたのだが、それを死後くんの娘さん(六歳)が無垢さ全開で競り落としてしまった。

で、死後くん、その釣りジャケをめちゃくちゃ上手に着こなしていた。柄シャツの申し子であり、ジャケットの申し子、それが死後くんなのである。


●宮田珠己

私の文筆業先輩にして、磯遊び仲間の宮田珠己氏はディスカウントストア「DA磯」をオープンしてくれた。

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『ウはウミウシのウ』というシュノーケリングエッセイを上梓している宮田珠己氏(私は中学生の時にこの名著に触れ、磯世界の深みに開眼した)。彼がこの日のために用意したアイテム数が、なかなかにすごい。

「DA磯」においての目玉商品は、やはり「ジーザスクラ磯」手拭いであろうか。宮田氏曰く、「カエルアンコウに乗って来迎したジーザスに、磯十二使徒にいれてもらえなかったガンガゼ・パウロ2世が直訴している有名な場面がモチーフ。ウニの仲間はすでにパイプウニが十二使徒に選ばれているので無理。ジーザスはマンジュウヒトデが選ばれたために同じく十二使徒に入れなかったイトマキヒトデの例を挙げて断れり」とのこと。なにを言っているのか、ほとんどわからなかった。「磯十二使徒缶バッジ」もイカれていて、イカしている。

ちなみに磯マのスタッフパスのイラストは、すべて宮田氏によるものだった。私は宮田氏の絵のファンでもある。彼の線には、なぜか宇宙を感じる。

『磯マ』でお店を切り盛りする傍ら、宮田氏が描いていた「磯迷路」もエグかった。

宮田氏とは『磯マ』開催に向け、事前準備と称して沖縄県の座間味諸島に磯取材に出かけた。『磯ZINE』の同人であるヤマザキOKコンピュータ氏も合流し、三人でコブシメを観察できたことはよい思い出だ。

『磯マ』は宮田珠己氏が醸しているニュアンスがなければ実現できなかった。運営にもご協力いただき、スペシャルサンクスである。


●ワクサカソウヘイ

私ももちろん、出店した。『磯ZINE』を並べ、そして手芸が得意な友人と一緒に企画して作った新作「カニギンチャク」をリリースした。

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この「カニギンチャク」、自分自身がいたく気に入っていたため、売れるたびに我が子を旅に出すような感覚に襲われた。完売御礼、是非大切に使っていただければ幸いです。

そして『磯ZINE』と「カニギンチャク」、どちらかをお買い上げいただいた方には、磯の暴露動画「カーニーチャンネル」が視聴できるQRコードをお渡しした。

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磯の暴露(という名の磯の生き物の生態説明)をホワイトボートで行う、肌着の男。私はこの「カーニーチャンネル」を撮るために、宮田氏と出かけた沖縄であえて日焼け止めクリームをあまり使わず、肌を黒く焼いてきた。意外とネタ元を知らない人が多くて、「ガーシーチャンネルっていうのがありましてね……」と『磯マ』の最中に最近の芸能界事情を説明するはめになった。

あと、イソギンチャク(俺)と一緒にチェキが撮れるコーナーも設置した。

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「イソギンチャクチェキ」、語感のよさだけで思いついた物販である。「これは誰ともかぶらないだろう」と思っていたら、memini氏&licoyas氏の「カニチェキ」が現れたわけで、そしてどっちも意外と手を出すお客さんが多くて、磯とチェキの相性は意外とよいことがここに証明された。

そして磯で拾ってきた石も販売した。

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ひとつ百円である。これが飛ぶように売れたので、自分で展開しておいて「経済って不思議……」という狐につままれたような気分になった。

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石関連でいうと、お客さんが選んだ石をアクセサリー化してくれる「石遊び」なるコーナーをmemini氏がやっていたり、二日目に『いい感じの石ころを拾いに』の著者でもある宮田珠己氏が自身の石コレクションを出店者さんたちに配布し始めたりしていた。石の価値は『磯マ』内にて、流転しまくっていた。

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あと、私は会場内にて煽りマイクパフォーマンスも担当した。

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「みなさん、『磯マ』へようこそ~!ぜひすべてのお店に立ち寄って、心の磯を満潮にしていただければ幸いです~!」などと唱えた。パチンコ屋店員の心地が味わえて楽しかった。


●堀道広

漫画家で奇人の堀道広氏は新作「磯仏像」を出品してくれた。正式名称は「巻貝螺髪こくそ像」で、巻貝で仏像の螺髪が表現されている。

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「こくそ」と呼ばれる漆と木粉を混ぜたもので作られていて、奈良時代に作られていた「乾漆像」と同じ技法でできているらしい。堀道広って本当に「変な人」界の天井にいるんだな……。

堀氏はお店のレイアウトに鯉のぼりを掲げていた。「なるほど、磯だから魚の鯉を……」と一瞬だけ感心したのだが、よく考えたら鯉は磯になどいない。堀氏にはいつも騙されそうになる。

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「磯チンプラ似顔絵(プラ板似顔絵)」というコーナーも堀氏は展開してくれた。会場では波とウミネコの鳴き声をBGMで流していたのだが、その中で時折にオーブンの「チン!」という音が響くのが、全員のツボだった。

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堀氏は搬出時に、私のお店のレイアウトで置いてあったウニの殻を買って帰っていった。IKEAのビニールバッグに鯉のぼりと共に無造作に詰め込んでいたので、割れていないか心配である。

愛すべき堀道広氏と久々に遊べて、私はとても幸せだった。


●妖精大図鑑

 ダンスやコントや映像などで独特な世界を作りだすユニット・妖精大図鑑は「ぷにぷにウミウシもどき」や「磯ガチャガチャ」など、磯にまつわる新作ファンシーグッズを大放出してくれた。

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話題になっていたのが「海のテレホンカード」で、裏側にあるQRコードをスマホで読み取ると海の音を聴くことができる。エモが過ぎる。これを持っていれば、いつでも磯に電話がかけられるのである。

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特にキッズたちに好評だった妖精大図鑑ブースであったが、ふと見るとこんな商品が置かれていた。

「サザエさんの右側」ぬいぐるみである。狂気を感じざるを得ない。

妖精大図鑑のメンバーの皆さんには、『磯マ』会場と『磯アフターパーティー』の音響や照明も担っていただいた。「フェスだから絶対にミラーボールは置きたい……!」という私のわがままも叶えていただき、大感謝である。

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●いとうひでみ

イラストレーターのいとうひでみ氏は、「シーパラダイス初江」に扮して、お客さんの心の中にある磯を透視し、それを描くコーナーを実施してくれた。そうなのだ、我々は皆、心に磯を宿しているのだ。

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この「磯透視」コーナーも大人気で、待ち列ができるほどであった。みんな、心の磯の状態が気になるのであろう。ちなみに「シーパラダイス初江」は、元々は海女さんであったのだが、ある時に人の心の磯が透視できる自身の能力に気がつき、現在の活動に至ったという。なにその経歴。

休憩中に出店者であるダダオ氏が「磯透視」をやってもらっている図が、なんだかヤバな感じであった。

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また、いとう氏が『磯マ』のために作ってくれた「磯人魚ステッカー」も滅法素敵だった。

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私はいとう氏の描くイラストの以前からのファンで、その質感にどこか海の雰囲気を感じていた。今回、『磯マ』にかこつけてようやく邂逅を果たせて嬉しかった。

いとう氏はこれまでは磯に対する興味は薄かったが、『磯マ』に参加したことで想いが変わった、と後に語ってくれた。閉幕後にはすぐに伊勢湾へと旅に出て磯を堪能してきたとのこと。それを聞けただけでも「『磯マ』をやってよかった…!」と思った。


●木下ようすけ

二十年来の友人である木下ようすけ氏は、「シャコパンチTシャツ」というこの夏の磯遊びにぴったりのファッションアイテムを卸してくれた。

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よく見ると、シャコが磯遊びをする者たちに制裁を加えている絵柄なので、『磯マ』に対するカウンターアイテムともいえる。

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そして木下氏は「磯調味料似顔絵」コーナーも実施してくれた。手に必ずウニを握らせ、そしてお客さんのイメージ調味料をも書き添えてくれる似顔絵である。要素が多い。ちなみに私は「マジックソルト」でした。

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他のお客さんの似顔絵を見せてもらったら「あご出汁」とか「塩麴」とか書き添えてあったので「なるほど、調味料も磯サイドに寄せているのか……さすが……」などと唸っていたのだが、よく見たら「ケチャップ」とか「本みりん」とか「つぶマスタード」とかあったので、ゲームオーバー。そのことを木下氏に詰め寄ったら「でも、磯でケチャップを舐める人だっている」と言われ、また私はぐうの音も出なかった。


●鳥羽市立「海の博物館」

今回の隠し玉的出店者は、鳥羽市立「海の博物館」である。

まず強く主張したいこととして、「海の博物館」はマジで凄まじい博物館なので、鳥羽に訪れた際には必ず立ち寄っていただきたい。海のすべてが、そこに展示されている。

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で、そんな「海の博物館」のミュージアムショップが『磯マ』に電撃参戦してくれることになった。関東圏で手に入れることはまず不可能な海の魔除け「セ―マン・ドーマン」の手拭いや、アワビ貝ピアスなどを出品してくださった。

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どのアイテムもたくさん手に取っていただけて幸いであった。『磯マ』を通じて、日本屈指の海洋王国・鳥羽に目覚めていただければ、より幸いである。


●橋本太郎

『磯マ』の一角において、独特な熱狂を作りだしていたのが、グラフィックデザイナーの橋本太郎氏である。

彼が開催したのは「シルクつりリーン~令和の魚拓~」なるコーナー。イカの形をしたシルクスクリーンの版を釣り上げ、それをその場で巾着袋などにプリントできるという、最高のアクティビティである。「屋内版の磯釣り」なんて、天才過ぎないか。

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ひどく感動したのは、釣り上げるのがやけに難しいという点と、それから釣っている最中に横から「大漁旗を持った猫」が軽快な音楽と共に応援してくれる点である。

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『磯マ』の会場では、この猫のダンシング曲と堀道広氏の「チン!」とが交互にふとしたタイミングで響くという、謎のグルーヴが生まれていた。

あと、どうでもいい情報として、私と橋本氏は顔が似ている。

また一緒に遊びたい。


●安部萌

安部萌氏は、「磯バッグ」を作って出品してくれた。

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磯遊びの際に拾った貝などを入れたりできるバッグである。濡れても丸洗いできる素材でできているので、魚突きのお供としても活用できる。私はこれを一目見た瞬間、「めちゃくちゃカワイイ……!」となった。ウミウシや波のニュアンスもカラーパターンに込められているらしい。案の定、あっという間にソールドアウトとなり、二日目には受注生産の形での販売となっていた。

安部氏はこのあとの『磯アフターパーティー』で「ISOダンス」を舞ってくれもした。バッグは作れるし、ダンスも踊れる。そして磯遊びも好き。安部萌、おそろしい子……!


●ダダオ

そして、ダダオ氏である。

私は彼にどうしても『磯マ』に参加してほしかった。それは彼が磯のディープな面を表出することのできる、類まれなるグラフィックデザイナーだと信じていたからだ。ダダオ氏の住む鳥羽まで出向き口説きに行ったところ、「あ、出ます」とすぐに承諾をもらった。やったぜ。

ダダオ氏は「磯テープ」や「磯グラビア」、そして海辺の漂着物をオブジェやピンバッジにしたものを出品してくれた。

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『磯マ』の波打ち際で、ダダオブースは怪炎を上げていた。海とは、生と死が濃く入り混じる場所でもある。潮の中で一度死んだ陶器や流木がやがて漂着し、ダダオ氏によって新たな価値を与えられ、再生する。それはまるでなにかの祀りにも見えた。ダダオ氏が参加してくれたことで、『磯マ』は磯に対する解像度を高めることができたと思っている。


●『磯アフターパーティー』

『磯マ』が閉幕した日の夜、後夜祭として『磯アフターパーティー』を同会場で行った。

まずは宮田珠己氏と私がオークショニアとなっての、「磯オークション」を開催した。ちなみにこのコンビの名称は「サザビーズ」にかけて「サザエーズ」にした。

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出品物は宮田珠己氏による「タコブネの殻」、平野元気氏による「磯笑い(磯の文字をガラスで福笑い化した珍品)」、memini氏による「ISOブローチ」、そして出店者全員のサインが入った釣りジャケットである。画像を見てなんとなく察してもらえれば幸いなのだが、人は「磯とはなにか?」という設問を考えすぎると、最終的には「文字」に行き着く。

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落札希望者の方々にはカニポーズで挙手をしてもらった。大盛況で、会場中にカニポーズが咲く景色は壮観であった。全員が磯の熱に浮かされていた。


そして続いては、劇団ワワフラミンゴさんに新作「磯のたのしみ」を上演していただいた。

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ワワフラミンゴさんが新作を公の場で披露するのは、およそ二年半ぶりのことだという。

可愛くて、そしてちょっとだけ怖い印象をたたえたおよそ15分のこの作品が上演されると、小さな水泡が湧くようなトーンに会場は包まれた。あの15分間、私たちの目の前には、確かに磯の景色が広がっていた。客席からの笑い声と拍手が、なんだか潮騒に聴こえたりもした。


最後は安部萌氏に「ISOダンス」を踊っていただいた。

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安部氏の身体のうねり、それが蟹に見えたり、ウミウシに見えたり、波の揺れに見えたり。それはまさしく、磯のダンスであった。圧巻のタイやヒラメの舞い踊り、『磯マ』はその瞬間に満潮を迎えた。踊り終わった安部氏を前に、私はしばらく言葉が出なかった。それでもなんとか「安部さんにとって磯とは?」と謎質問を繰り出した。安部氏は体力を完全に使い果たした状態だったのでハアハア息切れしていて、勝利力士インタビューみたいになっていた。

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これが『磯マーケットフェス』のすべてである。

三か月くらい準備に勤しんでいたのだが、体感としてはあっという間の出来事だった。竜宮城に滞在中の時間は、やはり早く過ぎ去るのであった。

ご来場いただいた皆様に、深く感謝申し上げます。また一緒に磯遊びしてください。


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#磯マ






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