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それはスポットライトではない

大学3年生の秋、アカペラの全国大会に出場した。初めての大舞台。僕たちは完璧だ、僕たちは最高だ。誰の真似でもなく、新しい存在、オリジナルでスペシャルな存在。それを世の中に見せつけたかった。

本番当日、北海道から大阪までの移動の疲れなんて感じなかった。「いよいよだ」、そう思った朝からの記憶がほとんどない。気が付くと、僕は目の前の審査員の言葉に打ちのめされていた。どうやら僕の歌が「ズレていた」らしい。ステージ上で致死量の光をあび、鼓膜には届かなかった音の粒たちが目の前に落ちている。僕の歌はどこか遠くへ行ってしまっていたわけでなく、誰にも届かずに目の前に転がっていた。

その日から、僕は自分というものに自信をなくしてしまった。その後も大会に挑戦してみたが特にこれといった受賞を飾ることはなく、社会人になってからも、あの大阪梅田のステージ上で感じた気が遠くなる感覚を思い出すことがある。アカペラの賞レースには、はっきりと勝者と敗者が存在する。勝者はテレビ出演やYouTubeでの注目を集め、事務所スカウトやファンに囲まれる。散っていった敗者は、存在しなかったかのように忘れ去られる。

だけど、最近思うんです。散っていった世の中の多くの敗者こそが、実は主人公なんじゃないかって。ピース又吉さんの「火花」にもこんな言葉がある。

「勝者がはっきり分かれるこの大会で、淘汰された奴らは絶対に無駄じゃないねん。1回でも舞台に立った奴は絶対に必要やってん。これからのすべての漫才に俺たちは関わってんねん。」

特別なステージや人前に立たなくても、僕たちが日々、浴びている太陽や蛍光灯の光、電柱の明かりに照らされながら何かしらの物語を生きている。誰かの模倣と破を繰り返しながら、僕たちは過ごしているのだ。

あのアカペラの大会で負けたことも、絶えずふりかかってくる挫折も、すべてが今の僕を作っている。そして、僕もまた、誰かの人生に影響を与える存在なんだ。このタイトルも、この考えも、元をたどれば誰かの引用や模倣に過ぎないかもしれない。でも、それでいいんだ。今の自分が誰かのこれからに何かを残せるとしたら、それはとても幸せなことだ。

生活の全ての光は、スポットライトではない。けれど、その光の中で、僕たちそれぞれの物語が相互に影響しあって、それはほんとうのしあわせを形作っていく。


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