幽玄とコンビニ
青い海の奥にコンビニがあって、青い珊瑚が売られている。そんな夢を見た朝、出勤のために車を走らせると目の前の海がただ青く広がっている。山奥の地元を離れて海街に住むことになり、毎日のように海を眺めている。かつては特別だった海も、潮風の強さや漂う臭いに嫌気がさす瞬間がある。
フグの毒、テトロドトキシンという名前を思い出す。江戸時代には、フグの毒を使って舌がピリピリと麻痺する遊びが流行ったと聞く。イルカたちはフグでキャッチボールのように遊び、時には誤って死ぬこともあるという。人間もイルカも、命の儚さに変わりはないのかもしれない。
海の青さは、実は色の反射によるものだ。海底が浅ければより白く、深ければより黒くなる。人の心の深さは、そんなに単純に目に見えるわけではない。自分の心の海底がどれほど深いのか、測るすべもない。こうして文章を書くことは、その自分の海底にあるコンビニには何が売られているのかを測る作業のようなものだ。
毎日のように自分と同じ病気を抱える記事を探しては、生きる希望を持っている人は少ないと感じるている日々。多くの人は、生きていかなければならない絶望から病んでしまう。私もまた、その一人だ。自分が何者かを知りたくて、それを探し続けることが日々の支えになっている。
先々月読んだ、町田そのこさんの「52ヘルツのくじらたち」という本を思い出す。この本のあらすじは、孤独な鯨が仲間を求めて52ヘルツという特異な周波数で鳴き続ける物語だ。周りには誰もいないように感じるが、実際には同じく52ヘルツで鳴く鯨が存在している。僕も、そしてあなたも52ヘルツの鯨だ。幸いなことに、僕はあなたが52ヘルツの鯨であることを知っているし、あなたも私が52ヘルツの鯨だと知っている。それは絶望でも希望でもない、ただそれだけのことだ。
日々の暮らしの中で感じる絶望と、わずかな希望。それはまるで青い海の奥にあるコンビニのように、不確かで、しかし存在している。僕たちはそのコンビニに何が売られているのかを確かめるために、生き続けている。海の深さも心の深さも、きっと簡単には測れない。けれど、こうして書き続けることで、少しずつその輪郭が見えてくるのだから、創造を諦めない。
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