自分の持ち場を!忘れずに前へ行こう。
大変な数か月でした。noteブログが2か月以上もストップしてしまって、こりゃもう駄目なんだと、思われた方もあることでしょう。正直この間は、やむ無し、でした。
急遽、事務所移転をしたんですが、断捨離につぐ断捨離です。それはまだいいとして、重いものを運んだり、書籍等の扱い・整理が大変で、いつの間にやら12月に入るとは、想定をはるかに越えました。
やっと一段落で再開します!思うところを存分に、心機一転。どうぞよろしくお願いします。
この間、インターネットやメールが通らず、TVをつけることがあって、それらのかなりの部分が、食べ物、それをほうばる人、並んだ芸能関係者たちのクイズ番組やトークが支配的で、ちょっと面喰いました。
文字を綴り、何かのテーマでものを考える時代は、もう終わったの?と思わされますが、ことによるとその通りかもしれません。しかし、ものを考えるには言葉が必要、文字が伴わなければならない、というあまりに自明の事柄を捨てることはできないわけです。
投げる言葉、投げ返す言葉があふれ、言葉も文字も無くなってはいないけれど、形態があっという間に変わってしまったのかもしれませんね。短くて、ざっくばらんな言葉なら目に止めやすいようで、SNSなど、最新時代の最たるもの。さぁ、どうしたものか。
そうこうしているうち、人は様々な持ち場を持ち、関係し、支え合って生活していることに、今さらながら思い至りました。
果たして自分はどんな持ち場を?今現在そう見てみると、ありました、ありました。
芸術、社会、教育など、色々考え、実践もしてきたじゃないか。それに「哲学」なんて言っている。自分で選んだ道ですから、それを生きつつ、それを活かして、一人でも多くの方に、自分の思うところを考えていただく、そういう持ち場を得ていることは、我ながら疑い得ない。
20年以上も前に、知の閉塞(閉塞知)に問題を感じて、海外の学会でも取り上げられたことを一過性のものにしてはならないのでした。noteブログでは、知のひけらかしにならない「本当に思うところ」を綴っていきます。
考えたことの結果として、その時は気付かないが、間違いや思い至らぬこともあるに違いない。しかし、気づいた時に直し、読者にも教えていただきたい。ものを読んだり、あれこれの分野に思いを巡らす持ち場があるのは幸いだし、発信しなければ意味が乏しいでしょう。
さぁ、再出発の次回、書きたいことが沢山あるので、何になるか、お楽しみにして下されば有り難く!
(冒頭に書いた通り、事務所移転は苦難の連続でした。エレベーターを使ってから、12段の階段を上り下りしなければならないのは、(僕は問題ないですが)足を痛めた人には大変です。20年以上も働いてくれた広い事務所ですが、先を考えればやむを得ません。ずいぶんコンパクトになりましたがマンションの1階が近くに見つかりました。心機一転して、前に向かいます!)