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果たして「戦争」をぼくたちは分かっているのか?!

 年頭に希望にあふれた言葉をとは思うが、先ずはノモンハン事件から(苦笑)。
 というのは、前回、戦車に乗って中国大陸を行き来していた父が、あれじゃ、子どもと大人だ、と「びっくり仰天した」のである。ぼくとしては、「もちろん一部の大幹部は知っていた。知っていたにもかかわらず、日本の「正論」を吹き巻いたんだ。」と応じたのである。長い間そう思っていたからだが、考えて見れば、そう済ますだけでいいはずがない。
 陸軍士官学校のカリキュラムには、敗戦のこと、勝ち目が無くなってしまったらどうするかといった教程が一切なかった。カリキュラムの問題だが、果たして皆さんは、どう思われる? いきなりの問いじゃ、答えようがないけれど、ここに今に通じる根本問題が隠れている。

福島市「安洞院」から信夫山を見る。冒頭の写真も。

 日本では「関ヶ原の戦い(合戦)」(1600年10月21日)を知らない人はいない。合戦は戦(いくさ)で、英語ではbattle になる。「戦争」の war とは一緒にできない。言ってみれば、合戦は敵と味方がぶつかり合い、勝った、負けたという世界である。
 戦争だって似たようなものだ、規模の違いなんだろうと受け止める人は少なくないだろう。しかし、一緒にはできない。規模とは異なった意味があると考えて欲しい。
 ノモンハン事件で言えば、大幹部たちは知っていたにもかかわらず、それを隠して、無敵日本を吹聴した。彼らの頭には、ようし今度はやり返してやるとしか考えられなかっただろう 。もっとも、やれ、やれ、go、go 路線に難色を示した指導者もあったと思う。あったとしても残念ながら、すでに日本の軍国主義はそれを許さない。典型的には後の「ビルマ」、白骨街道と呼ばれるほど無残で、兵隊を見殺しにした悪名高い「インパール作戦」がある。現地指導者たちの声を無視して、行け、行け、go、go 路線を取った司令部がある。

坂戸市の公園で

 彼らは、戦争を分かっていなかったのだ、と僕は確信する。「道徳的勇気の欠如」、それもそうだろう。あるいは、士官学校や、陸大出身者の成績エリートたちの、閥や入り組んだ関係がそうさせたという議論、それもそうだろう。
 天皇主義や統帥権のことなどを持ち出しても、確かにそれらは重大ではあるが、何を置いても「戦争」への認識が問題なのである。大事なことは、道徳や学歴以前、要するに「戦争」を分からずに軍国主義を突っ走ったことが問題である。
 それが今日に及んでいる。遅きに失したかも知れないのだが、僕がそのことを訴えて、今日の人びとの意識に説得的に入り込めるだろうか。いささか疑わしいが、言わなければ気が済まない。

 「戦争」は、行け、行け、ドン、ドンではない。「外交」を忘れたら、「合戦」なのである。それはやがて近代になり、どこまでも勝つまではとか、決して降伏などしないぞ、となる。「生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず」という言葉のあったことを思いだす。
 かけ引きという外交利用はあろう。しかし問題は、外交放棄と言うべき戦闘への「熱気」である。これは冷静な判断を鈍らせる。「非国民」だと決めつける態勢へと向かう。そうなったら、国民一人一人の力ではもうどうにもならない。 

   故里にまだ知らざらむ父母を思ひつつあはれ拾う骨くづ 
                (美穪国樹、昭和12年『新万葉集』)

 「その頃は世の中が荒れていて復員崩れの強盗が三面記事をにぎわせているような物騒な時代でしたから、中の人は、恐る恐るガラス戸に近づいてきました。(中略)それからまた、ゆっくり顔を起こして、ぼくの視線と、まともに向きあいました。そのとき、その人の両眼から涙の粒がフツフツと湧きあがりました。つまり、それがぼくのおふくろだったのです。」
   (鶴田浩二、俳優で歌手。『あゝ戦友あゝ軍歌』昭和46年、東京12チャンネル編)

鶴田浩二さん

 鶴田浩二さんは、大俳優であり、心を打つ歌唱で知られた人であった。その彼は、「今になって特高戦死者のことを犬死だったなどという意見があるようだが、とんでもない話だ。」と語った。「犬死」と言った人々が多数に及んだことは、いかに先の大戦がハチャメチャだったかを意味していたとしても、ぼくの親の世代に近い人の言葉は大切な真実を語っている。本当に良く分かる気がする。「犬死」にするかどうかは、僕ら次第なんだと思う。

 そして今日、勝った負けた、どこそこのアパートや病院が攻撃された、死者やけが人のことが毎日報道されている。有利とか不利とか、交渉の余地はない、さらなる武器支援や制裁の訴え、独裁政権の言論封じ等、かぎりなく報道されている。
 それらが無駄だということではないが、果たして「戦争」の報道がそれだけで良いのかどうか考えたいのである。
 なぜ、全体として戦争や混乱の当事国、関係国の指導者たちが後先を考えているように見えないのか。平和な世界の建設に向かっているように見えないのか。
 ここでは「民主主義」という言葉さえもが、「駆け引き」外交の道具になってしまったと思わざるを得ない。むろん、反発は少なくないと思うが。



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和久内明
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