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思い出は今いる場所に置いていこうよ - 渡邉美穂卒業で感じたアレコレ

前回の卒セレ記事がほぼ卒業記事のようなものだったんですが、書いておきたいことも思いついたので、渡邉美穂の卒業を受けて感じたことなどを改めて触れておきたいと思います。
推しが卒業するってこういうことなんだな、という参考にでもなれば。もちろん人それぞれ考え方なんて全く違うと思うので、参考になる保証は全くないですが。

タイトルは美穂も憧れていたあの先輩アイドルの卒業曲よりお借りしてます。
卒業間際にも「憧れていた人の現役時代を生で見ることはできなかった」とか、そういう触れ方してましたけど、名前は出さなかったですよね。
未確認フェスの時も「憧れの人が以前やっていた」みたいな触れ方だったし、今は一般人ということを配慮してるんですかね。初期の髪型も憧れの人影響だったはずで、今思うとアイドル観とかめちゃくちゃ影響受けてると思ったりもします。

渡邉美穂のいない日向坂46

さて、美穂が日向坂46として表舞台に立たなくなってから、早1ヶ月半が経ちました。
7末まで在籍はしていたものの実質的な卒業は6月末で、7月からは日向坂46は次のステージへ進み始めたと言えるでしょう。

個人的にはもう少し「美穂のポジションは誰が入るのかなぁ」とか、そういうところを楽しんで観れると思っていたのですが、思っていた以上に「そもそも観る理由」が自分の中から消え去ってしまい、7月以降の音楽番組や配信でのライブも全く観なくなってしまいました。
習慣になってるひなあい&ひなちょいは今のところは継続して視聴していますが、ラジオもこのラジくらいしか聴かない状態になり、いわば「モチベーションを失った」ということなのかもしれません。
どこを見たらいいかが分からないんですよね。思っていた以上に美穂がどの曲に参加するのか、どの位置にいるのか、それを起点にして周りのメンバーを見る、みたいな見方をしていたことに気づいた、という感じです。
推しが卒業した時に、「次の推しを選ぶ」というアクションを取れる人は強いなと思います。

日向坂46というグループが今後どうなっていくんだろう、という興味はあります。それこそ誕生の頃から見守ってきたグループですし。なのでひなあいは見るだろうし、情報もある程度キャッチアップするんだろうとは思います。
ただライブ行ったりグッズを買ったりすることはもうないんだろうな…というのが今の気持ちですね。その熱が出てくる気配は今のところなく、推しメン登録から美穂が消えてしまったら、そこがファンクラブも退会するタイミングなんだろうと思ってます。

ちなみに思っていた以上にというか思っていた通りというか、ひなあいとか見てる限り美穂がいなくて変わった、ということは無いと思います。
そもそも参加してなかった企画とかもいくらでもあったので、これは予想通りですね。
どちらかと言うとひなこいとかひな図書とかのゲームのストーリーで、不在を感じることが多くなった気がします。あれ全員に無理矢理セリフ用意しますからね、足りない…という感情になりやすい。
グループ内部の動きとして影響あるのかどうか、に関しては外からは分かるものでは無いですが、明らかに花ちゃんズの2人の動きが以前とは違っているので、まぁ大丈夫なんではないかなと思ってます。自分達がやるんだ、という強い意志みたいなものを感じます。あとは河田さんがしっかりしてきたな、という印象です。

消えゆくメッセとブログの話

さて、卒業すると必ず出るのがこの話題。
「なんとかブログやメッセを残してもらえないのか」
というやつですね。
ブログに関してはちょっと面白いと思うのが、櫻坂を卒業したメンバーのブログ、櫻坂のやつはクローズされてるんですが、欅坂時代のはそのまま残ってるんですよね。その辺管理はどうなってるのでしょうか、興味深いです。

メッセに関しては、お金払って購読してたものなのだから、今後も閲覧できてもいいじゃ無いかと言いたくなる気持ちもわかりますが、サブスクの映像配信サービスでお気に入りの映画が配信終了するのと仕組みとしては同じような気もします。
だから乃木坂のファンはメールのままの方が良かったんですよね。メールなら残りますからね。

さて、そんな消えゆくブログやメッセ。消える前になんとか残しておこうとする動きはどこでもあると思います。
自分もメッセで送られてきた写真や動画、印象的だった文章とかを保存したりもしてたんですが、そのために見返した時に、ふと思ったんですよね。メッセってまるでラジオみたいだな、と。ラジオみたいな音声送ってくれるメンバーもいますが、それの話ではなく全体的にです。

どういうことかというと、ラジオって基本的にはその瞬間の生の声を楽しむメディアだと思ってるんです。収録の番組もあるけど、1番の醍醐味は生放送だと。
なので今radikoでタイムフリーできますけど、リアタイしてる時とはちょっと温度感が違う。ましてやANNの過去回がサブスクで聴けるようになりましたけど、あれなんかはもっと違う。その時の社会の状況だったり、パーソナリティの状況だったり、自分の状況だったりが合わさって、初めて完成するメディアだと思うんです。
なので過去の放送回を聴いても、その必要な構成要素が何一つ存在しないから、どれだけ面白く聴いていた回だったとしても、全然刺さらない。そもそも後世に残そうと思って喋ってないですよね。だからある意味それで正しいんじゃないかと思うんです。
メッセもそれに近いものがあって、動画も写真も文章も、今見てもやっぱり心を動かすことってほぼない。カワイイねーとかはあるけど、それだけともいえます。その瞬間だからこそ、送られてきた喜びとかいろんな感情が合わさって楽しめてたんだな、後世に残すつもりで送ってない内容は、やっぱりその瞬間に楽しむためのものなんだ、と。

そう思うと、無理に残す必要はないのかな、と思ったんです。その送られてきた時の感情は、メッセを形に残しても蘇ることは無い。逆に悲しくなってしまうのではないか、そんなふうに思いました。
思い出したかったら、ちゃんと残すために作られた作品がある。音楽だったり、ドラマやライブの円盤だったり、雑誌のインタビューなんかもそう。作品にちゃんと思い出が刻まれてる。それで十分じゃないかと。こういう作品は後世に残すために作られてるものなので、後から見ても違和感はないと思うんです。
それにまだこれで終わりじゃないですしね。「今見ることに意味がある」情報は、また再始動したら何かしらで発信してくれるものだと信じているので。

ということでまさに「思い出は今いる場所に置いていこうよ」と感じた話でした。

「成功」とはなんなのか

渡邉美穂が卒業を決意した理由を一言で言うならば、「演技の仕事にもっと挑戦したい」ということになるのだと思います。
ここに関しては人によって受け止め方が全然違って、厳しい人だと「今までの仕事はグループの看板あってのもので、1人でやっていけるわけがない」みたいな意見だったり、逆に単推しだった人だと「絶対大女優になるよ!」みたいな感じだったり、結構極端ですよね。

個人的には「挑戦したい」なのだから、どういう結果になったとてそれを後悔するようなことにはきっとならないだろう、と思ってるんです。
そもそも「大女優」とか「1人でやっていく」って何?というのはずっと思っていて、例えば橋本環奈のようになれなければ失敗なのか?といえば全然そんなことはないですよね。アイドル出身の女優ということで例に挙げさせてもらいましたが。
主役級でバンバン出続けている人なんてほんの一握りで、世の中にはそうでない役者の方も沢山います。ではその人たちは何かを失敗してるのか?といえばそんなこともないですよね。自分が後悔しない道を進めているかどうかが重要なわけで、周りから見て「成功してる」と思われるために何かをやるわけではない。
なのでグループにいた方が勝算が高い、というのも一理あるとは思いますけど、限られた時間をどう使いたいかの話であって、そもそも見てるところが違うんだよな、と思います。

個人的にはずっと推していたメンバーなので、もちろん多くの作品で見れたら最高だと思ってます。
ただそんなに甘い世界ではないことはよく知っているし、だからこそ本人が後悔せずに挑戦し続けられることを願うのみ、というのが正直な気持ちです。
その結果がどうだろうと大した意味はない、というと言い過ぎかもですが、別に好きならどんな規模の作品だって見られる時代ですしね、挑戦し続けているのであれば。


ということで卒業してから1ヶ月半(在籍最終日からは約2週間)で感じたアレコレを書いてみました。
美穂が表舞台に戻ってくるのはいつになるのでしょうか。美穂推しがみんな飛行機雲見たらセンチメンタルになる病にかかってるし、ロスが行きすぎてアオのハコにハマり出す人も次々出てきているようなので、早くまた元気な姿を見せてくれることを願ってます。

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