5th表題に対する違和感の話
日向坂46 5thシングル「君しか勝たん」が間も無く発売される。
タイトルが発表されてから、音源公開、MV公開、音楽番組での披露と、着々とリリースに向けたステップを踏んできているが、未だ自分の中では腑に落ちないままだ。
(MV公開の時だけちょっと持ち直したけど)
タイトルが安易にバズり狙いなことが要因ではなくて(それもかなり大きいけど)、他に違和感を覚える点が2点ほどある。
今回はその考えをまとめてみようと思う。
君「しか」勝たんの違和感
そもそもこの手の言葉に日本語としての意味がどこまで込められているのか、という問題はあるのだけど、「君しか勝たん」という表現は普通に捉えれば君「だけ」が勝つ、ということになる。
恋愛に関して言えばまぁそりゃそうだよね、という気持ちにもなるが、このタイトルで販促活動をしていくと、ところどころで「○○しか勝たん」というワードを使わざるをえない。
日向坂46の強みは22人の個性がバラバラで、でもそれがうまく1つになっていることだ、と個人的には思っている。なので「個人名しか勝たん」と言われるととても違和感がある。
特にセンターがかとしなので「かとししか勝たん」が登場する頻度がいちばん高いと思うのだけど、もちろんかとしは凄い(語彙力…)。学力がちょっと怪しい以外は本当になんでもできると思う。
ただ「かとししか」って言われると「いや、他のメンバーもそれぞれいいところが…!」ってどうしても思ってしまうのだ。もちろんそこまで意味を持たせてないのは分かってるんだけど「みんな勝ってるんだよ」って感じてしまう。
別に「勝たん」も厳密な意味で勝ち負けの話をしてるわけではないこともわかるのだけど。
「日向坂46しか勝たん」ならいいんでしょ?となったとしても、いや、スタッフとかいろいろな人たちが協力してこその輝きだから…!とか考えてしまうので、もうどうにもならないんだと思う。
つまりは結局「○○しか勝たん」という日本語にハマれてないだけで、時代についていけてないことを高らかに宣言しているだけなのかもしれない。
一人称の違和感
もはや今更触れるような話でもないのだが、やっぱり「僕」という男性目線で歌われる曲への違和感がもう飽和状態になってしまっている。
これも宮田愛萌個人PVの予告で「私たちの未来」という楽曲を聴いたり、アイドルブラッド総選挙でハロオタぶりを遺憾なく発揮した渡邉美穂の影響で、Buono!の「初恋サイダー」を聴いたりしたことが関係しているのかもしれないが、やはり女性アイドルグループがずっと男性目線の歌を歌っているのは普通に違和感しかない。
恋の歌でなければ多少は違和感も薄れるとは思っている。
男も女も関係ないようなテーマであれば、別に一人称が僕だっていい。
正直恋に関してだって本来は男も女も関係ないと思うのだが、「男の僕と女の君」をあれこれ周りくどく描こうとしてる歌詞なので気になってしまうのだ。
おわりに
個人PVには本当に期待してる。もうそれだけが希望になってる。
思いっきりストーリーものに振ってきたなおみほのやつが一番楽しみかな。
2人とも演技したい、と言う点は共通してるんだけど、美穂は今本当に家族への感謝とかで溢れてるんだな、というのが伝わってくる内容だし、こさかなは「自分の好きをもっと発信したい」というのが強いんだな、と予告見た限りでは感じている。
2人とも、もっともっと表舞台で活躍してほしいと本当に願っている。