魔法使いは真実のスター

 フジキセキの側にいるうちに、ジャングルポケットは随分花を知るようになった。フジキセキがマジックの小道具としてよく使うからだ。

 大喧嘩していた誰かと誰かを仲裁する時に、魔法の杖のように差し込まれる一本の薔薇。ちょっとしたご褒美として、何もないところから現れるガーベラ。いつの間にか握らされている桜の花。彼女の形のいい指先から咲いては溢れる花たちは鮮やかで、ジャングルポケットはいつも、花って綺麗なもんだし、知らないうちに色々なところに咲いているもんなんだな、と、新鮮な水を浴びたような思いになった。

 学園の花壇に植っているよく手入れされた花も、走り込みの河川敷に咲く野花も、皆んな綺麗に見えて、はしゃぐ度に、フジキセキは花の名前を教えてくれた。やりたがればマジックのタネも教えてくれたけれど、不器用な性質であることもあってか、なかなかすんなりと成功しなかった。

 

 ジャングルポケットが初めてフジキセキからプレゼントされたのは、たんぽぽだった。出会ったばかりの春のことだ。早朝の走り込みを終えて学園に帰ってくると、空の鳥籠を抱えた小さな女の子がしゃくりあげるように泣いている。子供の年齢というものは、自分が成長するとよく分からないものだ。でも、四、五歳といったところだろうか。その隣にフジキセキが座って、女の子の背を撫でていた。

「フジさん、おはようございます。そのガキ、なんかあったんすか」

「小さいレディにガキなんて言わないよ、ポッケ。お家で飼っていた小鳥が窓から飛んでいってしまってね、探しているうちに、お家が分からなくなってしまったんだって」

 幸い、女の子が提げていたポーチに住所と電話番号が書いてあったので、学園を通して保護者へ連絡し、今は迎えが来るのを待っている所だという。何となく去り難くなってしまったジャングルポケットも、二人に並んでベンチに座った。


「勇敢だったね。お父さんがすぐ来てくれると言っていたよ。大丈夫、大丈夫」

 優しく慰めているうちに、女の子はゆっくりと泣き止んだ。泣き疲れたのか、赤い目でぼんやりと鳥籠を抱え直したきり、黙り込んでしまう。

「ね、君の勇気に敬意を表して、魔法を見せてあげる」

 フジキセキは優しく女の子の手を取り、そっとハンカチを被せる。

「さあ、タネも仕掛けもありません」

 優雅な仕草でハンカチを翻すと、女の子の手のひらには一輪のたんぽぽが現れた。彼女が目を丸くしているうちに、フジキセキは茎を縦に割いて、小さな手首に結えてやった。


「お花のブレスレットだよ。よくお似合いだ」

「……ぴーちゃん同じ色」

 涙ぐんだ声がポツリと答える。

「そうか、綺麗な黄色い鳥さんなんだね」

「そう」

「そうしたら、もっと私にぴーちゃんのことを教えてくれるかな? 私たちの学校にはウマ娘がたくさんいるからね、私からみんなにも聞いてみるよ。まずね、ぴーちゃんは何が好きなのかな?」

 結局迎えが来るまでに、ぴーちゃんは小松菜が好きで、にんじんは残していて、一生懸命教えているのにおしゃべりが上手ではなくて、でも時々おはようと言ってくれて、腕に乗られるとちょっと爪が刺さって痛いということまで、かなりのことを知るに至ったのだった。父親が現れると安心したのか、再びワンワンと声をあげて泣き始めてしまったけれど、話しているうちに重たい気持ちが少しは晴れたようで、大泣きしながらもこちらに手を振って帰って行くのが面白かった。

 自分の隣で微笑んでひらひらと手を振りかえしているフジキセキの顔があんまり尊いもののように感じられて、ジャングルポケットの胸はわくわくと高鳴る。


「フジさん、やっぱすげーっす! あんなしょぼくれてた奴の心まで掴んじまって……」

「あのお嬢さんが、私の話を聞いてくれるいい子だったからだよ」

「や、あの、花だすやつがすげーっすわ。横で見てたオレまでびっくりしましたもん。マジの魔法っすよ」

「うーん……」

 フジキセキは困ったように眉を下げている。

「褒めてくれてありがとう。でもね、魔法であの子の元にぴーちゃんを返してあげられるわけじゃないから……元気づけてあげることなら、マジックじゃなくても、ポッケにだってポッケなりのやり方でできるはずだよ」

 何でも叶える魔法は、残念ながら使えないからね、と冗談めかすフジキセキの視線が左脚に落ちる。彼女のレース人生を断絶させた、大きな怪我がかつてそこにはあったのだ。

 わかりやすくしょんぼりとしてしまった後輩の目の前に、フジキセキはスッと手を示す。翻すと再び鮮やかにたんぽぽが現れて、フジキセキは微笑んでそれを彼女に差し出した。

「ポッケ。君にはカリスマがある。魅力的な走りがある。きっと君なら、君の走りなら、たくさんの人に素晴らしい時をもたらすはずだよ。これから私と一緒に頑張ろうね」

「……ハイ!」

 ポケットは受け取ったたんぽぽをぎゅっと握りしめた。目が醒めるような、太陽のような黄色が本当に美しく感じられて、ずっとこの花を取っておきたい、でも、花屋で管理されていた花ではないのだ。花瓶にさしたって、きっとすぐ萎れてしまう。なら、この春の日差しと、緑の匂いと、フジキセキの声がふんわりと優しかったこと、この空気を、気持ちを、丸ごと、しっかりと覚えておこう、と誓ったのだった。 


 結局、マジックは何度か練習もしたけれど、一向に上手くならなかった。趣向を凝らさずに、真っ直ぐにそのまま気持ちを伝えることのほうがジャングルポケットの性にはよほどあっている。そして今日ばかりは、どうしてもフジキセキに喜んで欲しかった。

「フジさん、出走おめでとうございます!」

 ジャングルポケットは、抱えるほどの大きさの花束とともに控え室に現れた。久しぶりの、本当に久しぶりのフジキセキのレース出走だ。すでに勝負服に着替えているフジキセキは、目を丸くして彼女を迎えた。

「ありがとう。素敵な薔薇だね。どうしたの? これ」

「エアグルーヴ先輩が育ててたやつを譲ってもらいました!」

「わあ、彼女にもお礼を言わなきゃ。丹精したものだろうに……」

「大丈夫す。快く譲ってくれたんで!」

 厳密には、事情を話して頼み込み、二週間の清掃ボランティアと引き換えにしてもらったのだが、この場では伏せた。

「とてもいい香りだね。イングリッシュローズかな」

 鮮烈な黄金色の花に、フジキセキの顔が寄せられる。見立て通り、彼女の艶やかな黒髪に大輪の黄金はよく似合って、ジャングルポケットは自分の選択を自分で褒めたかった。

「イッチバンでかくて、いい匂いで、品がよくって、綺麗だったやつにしました!」

「ありがとう……」

 フジキセキは大きな花束を抱えなおす。つ、と、一瞬だけ、彼女は目を伏せた。

 ジャングルポケットはフジキセキに一番良く似合う花束を贈れた。でも、だからこそ、そっと伏せた眼差しの一瞬の翳りがどうしようもなく胸に刺さる。気づけば真正面から花束ごと彼女を抱きしめていた。

「ポッケ? お花が潰れるよ……」

 腕の中のフジキセキは珍しく狼狽えている。構わず回す腕に力を込め直した。ああ、後輩たち相手なら、激励のハグも背中を叩いてやることも上手くできるのに、背の高いこの人相手だと励ますどころかしがみついているようになってしまう。それでも何とか背伸びを続けながら、必死で叫んだ。

「俺の力! 全部貸します!」

 ポッケ、せめてボリュームは落とさんかい、と、一部始終を見ていたトレーナーが諌めるのが後ろで聞こえる。でも、とてもじゃないがそんな余裕がない。

「フジさんとはいつかターフでバチるから、だから、今貸すしかできないすけど……でも、今は、俺の全部持ってっていいです。だから……」

 ジャングルポケットは大きく息を吸い込んで、今までずっとずっと言いたかったことを叫んだ。


「奇跡! 見せてください! フジさんの魔法! そしたら俺、もっともっと速くなります!」


 あんまり必死に叫んだものだから、ジャングルポケットは荒く息を吐く。その息遣いを頬に感じながら、フジキセキは眉を下げてふにゃりと笑った。張り詰めていた何かが、優しく切れるのを感じる。

  私が本当は、とても怖かったことに、どうして気づいてしまうんだろう?

「私のダービーウマ娘はかっこいいなあ……」

 フジキセキは空けた左腕で、ジャングルポケットに抱擁を返した。

「ありがとう。見ててね。君の煌めきを受けた私を」

 花の香りを纏って、フジキセキは歌うように軽やかに控え室を後にした。抱えきれないほどの花束と、ジャングルポケットが残った。ほれ、始まるぞ、と、トレーナーが背を叩いて彼女を促してくれる。とても声を出せなくて、ジャングルポケットは黙って頷いた。

 美しい奇跡を目の当たりにするまでは、泣きたくなかったのだ。

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