街にとけこむ音楽を生み出す弦楽器、チャップマン・スティック奏者SHINOさんインタビュー
2023年11月22日午後1時。わぴあルームで開催された「市民記者ライティング講座」の会場は、切なく温かい音色に包まれていました。
日本国内の奏者数は100人もいないという楽器「チャップマン・スティック」。その1人である和光市在住のSHINOさんは、プロのチャップマン・スティック奏者として各地でライブ活動・BGM演奏などを行っています。
当日は会場でジブリアニメ・魔女の宅急便より「海の見える街」、YOASOBIの「ツバメ」のカバー2曲を生演奏で披露してくださり、わぴあに遊びに来ていた小さなお子さんも美しい音色に釘付けになっていました。
周りの空気を読む子だった幼少期、バンドの休止からソロへの転向、6年前の父の死、チャップマン・スティックとの出会い、反響やこれからのこと⸻。
SHINOさんの現在の活動に至るまでの経緯や想いについて、お話を伺いました。
1.「チャップマン・スティック」ってどんな楽器?
⸻SHINOさんは和光市出身ですか?
元々は、東武東上線の「ときわ台」駅周辺に住んでいました。和光市には6年ほど前に引っ越してきました。
昨年の10月に、和光市内で「コルダ音楽教室」という、ギター、ウクレレなどの弦楽器をはじめチャップマン・スティックの奏法を学べる教室を開校し、現在は約20人の生徒の方に指導をしています。チャップマン・スティックの生徒の方も2人いるんですよ!
レッスンが入っていない時は、基本的にどこかで演奏をしています。路上ライブの候補になる場所はたくさんあるので、その中から「今日はここで演奏しよう」と決めることも多いです。また、演奏の依頼が入っている場合はその場所に行って演奏することもあります。
⸻チャップマン・スティックは元々アメリカの楽器ですよね。日本では奏者は少ないとのことですが、海外ではどうなのでしょうか?
日本同様、あまり知られていないと思います。ちなみに、僕のものは2年前に手に入れたものですが、このシリアルナンバーは「7331」なので、世界で7,331本目に生産されたものということがわかります。
チャップマン・スティックの登場は1970年代と最近なので、おそらく現時点でも、12弦タイプのチャップマン・スティックの生産本数は10,000本以下ではないでしょうか。
チャップマン・スティックが有名になったきっかけは、「キング・クリムゾン」というロックバンドのベーシストであるトニー・レヴィンがチャップマン・スティックを演奏したことだったと言われています。
元々は、そういったロック音楽などのベースラインを担う弦楽器の一つとして使われることが多い楽器です。
⸻チャップマン・スティックの素晴らしいと思う点について教えてください。
弦が多いことによって生じる、音域の広さです。ギターとベースを一つにしたような楽器なので、伴奏とメロディを同時に弾くことができます。
僕がこの楽器を始めたのはコロナ禍だったのですが、人と人との距離を取らなければいけない状況の中で、もし他の人と楽器を持って集まり演奏しようとなると、それは多分難しかったと思うんです。
その点、自分とこの楽器があれば成り立つ、ということも良かったですね。
2.子どものころにふれたゲーム音楽とハードロック
⸻幼少期の頃のお話を聞かせてください。どのようなお子さんでしたか?
自分で言うのもなんですが、結構「空気を読む子ども」だったようです。兄が1人いるので、兄の様子を見て自分は怒られないように行動しているような子どもでした。
⸻音楽に初めて触れたのはいつ頃ですか。
中学2年生の頃だと思います。父が昔フォークソングなどを演奏していたこともあって、ギターが家にある環境でしたし、兄は「B'z」が大好きで、エレキギターを弾いていました。その影響を受けて僕も「B'z」などをよく聴いていました。
高校生の頃には80年代のロックや、「ガンズ・アンド・ローゼズ」などのハードロックをよく聴いていたと思います。
⸻そうなんですね!現在はとても柔らかな、切ない雰囲気の音楽を作られていますが、現在のスタイルに大きく影響を受けた音楽はありますか?
例えば秦基博さんの音楽など、ああいう心を打つようなメロディのものが好きですね。
チャップマン・スティックは(一般的に理解されることが)やや難しいと思われるような音楽のジャンルに使われることが多いので、僕としては「チャップマン・スティックでJ-POP的なアプローチはできないかな」と思い、始めたというところもあります。
⸻ロールモデルにしている方はいますか?
京都で「十一」というユニットで活躍されているsatoruさんという方のプレイはかなり参考にしています。
ただ、僕はどちらかというと都会的・ソリッド(硬い・中身の詰まった、などの意)・写実的なイメージの曲を作ることが多いのですが、satoruさんの曲はもっと大自然に近いところにあり、抽象的で放射状に広がるイメージです。
⸻今までに、音楽以外ではまったことはありますか。
小さい頃からゲームが大好きでした。兄と2人で延々とゲームをしていましたね。「ロックマン」などのアクション系、「どうぶつの森」などのほのぼの系、マリオもやりましたし、カードゲームなどもよく遊びました。
小学校3年生くらいの時、和光市のイトーヨーカドーへゲームの大会に出るために来たこともあります。1回戦でボコボコにやられてしまいましたが(笑)。
そんな感じでずっとゲーム・ミュージックに触れていたことが、実は僕の曲作りにもとても影響を受けています。例えば「ラスボスと戦う」などの大事な局面になると、BGMがドラマチックな曲調に変わることがありますよね。そのソリッドでスタイリッシュな感じが、今の僕の曲にも表れていると思う時があります。
3.チャップマン・スティックの未知の可能性、原動力となる「ありがとう」の声
⸻チャップマン・スティック奏者になった経緯について教えてください。
最初はハードロックをやりたくて、高校生の頃はバンドを組んでギターを弾いていました。音楽の専門学校に進み、そこでもバンドを組んでメジャーデビューを目指していたんですが、24歳の頃に活動休止になってしまったんです。
その後の2年間はしばらく燻(くすぶ)っているような状態で。そのうち、「何か1人でやれるようなことをやりたいな」と思うようになりました。
ギターで活動することも一瞬考えましたが、「何か周りの人がやっていないようなことをやりたい」と思った時に、高校生の頃に動画サイトで見たチャップマン・スティックのことを思い出したんです。
でも、最初は名前が思い出せずネットで検索してもなかなか見つかりませんでした。「スティック」という単語にはたどり着いたけれど、出てくるのはドラムスティックばかりというような状態で。それでも探し続けたら「チャップマン・スティック」という名前だということがわかりました。
とりあえず中古のものをネットで買うことにしたんですが、価格は20万円ほどでした。当時の僕はお金が無く、24回の分割払いで払ったことを覚えています。
⸻当時の自分にとっては高価で、しかも触ったこともないその楽器を手に入れたいと思ったのはなぜですか?
今振り返ると、この楽器に「すごく可能性を感じて衝動的に買った」というのが近いと思います。
ギターは弦が6本なのに対し、この楽器には12本もあります。弦の数が増えるということはすなわち「難しい」と思われがちですが、僕は「音の選択が取れる」ようになると感じました。だからこそ、エレキギターなどでは開けない道を開けるんじゃないかと思いました。
⸻初めて手にした時は、どのような気持ちになりましたか。
「なんだこれ?」と思いましたね(笑)。
恐る恐る弦を触って「あ、一応(音が)鳴る」っていうような感じでした。
調べていくと、フレット(弦楽器の指板にある隆起。指の位置を固定し、目的の音高を出すために使用されるもの)の位置がギターとは全然違うことがわかって「これは最初から覚え直しだな」と果てしないような気持ちになりました。
でも、やったことのないところに踏み出すことにドキドキ、ワクワクしたことを覚えています。当時はギターのお仕事もしていたんですが、仕事以外はほとんどチャップマン・スティックしか触っていなかったと記憶しています。それくらい練習は楽しかったです。
1日平均6〜7時間くらい練習していました。徐々に仕事として演奏できるようになるまでには、約1年くらいかかったと思います。
⸻初めて人前でチャップマン・スティックの演奏をした時の気持ちはいかがでしたか。
「やっとチャップマン・スティックの魅力を伝えられる機会ができた」という喜びを感じましたね。
その後は「どうやらチャップマン・スティックっていう癒しのメロディを持つ楽器があるらしい」と、ファンの方から知り合いの方に口コミで広がっているようです。
CDの購入を希望される方には個別でご連絡をいただき発送しているのですが、届いた方から「聴きました」「この曲が1番良いですね」「寝る前に聴くとすごく癒されます」という感想をいただくと、すごく嬉しいですね。
⸻それは嬉しいですよね。ちなみに、いつも特徴のある衣装を着られていますが、その理由はなんでしょうか?
まず、この楽器を手に入れた時点で「絶対にこれで路上ライブをするぞ」という固い意志がありました。また、僕は路上ライブをするにあたって「街のオブジェのような存在になりたい」というイメージも持っていました。
チャップマン・スティックはアメリカ発祥の弦楽器ですが、その見た目からなのか時々「民族楽器なんですか?」と聞かれることがあります。
雰囲気のある楽器なので、演奏する自分もそれに合わせた服装をと考えたのが最初です。街の雰囲気に馴染んで、かつ親しみを感じてもらえる衣装を考えた結果、現在のスタイルになっていきました。
⸻実際にプロの「チャップマン・スティック奏者」として進む道を決めた理由はなんでしょうか?不安はありませんでしたか?
不安しかなかったですね。「プロ」と言えるチャップマン・スティック奏者は、日本には片手で数えられるほどしかいません。ほぼ前例がないので「本当にやっていけるのか」という思いは今でもあります。
実はチャップマン・スティックを始めた頃、周りから「変わり者」「そんなの始めてどうするの?」といった目を向けられていると感じていた時も、少し辛いものがありました。
でも活動を続けていく中で、演奏を聴いた方から「ありがとう」「今日、実は嫌なことがあったんだけど、SHINOさんの音楽を聴けて良かった」といった声をかけてもらうようになっていき、バンドでギターを弾いていた頃とは違った感触を感じるようになりました。
以前とは違った賞賛の声をいただくようになって、自分の音楽を生活の一部として感じてもらっていることに喜びを感じています。
「その声を聞きたい」という気持ちが、今は原動力になっていますね。
4.人生の分岐点と、活動のこれから
⸻今までの人生の中で、分岐点となった出来事はありますか?
チャップマン・スティックを弾き始めたこと自体が分岐点ではあるのですが、考え方の分岐点となったのは、父親が亡くなった時だと思います。
今から6年前なので、当時僕は24歳でした。「身近な人間の死」を見てから、自分の残りの人生を考えた上で思い切った選択をする、ということができるようになりました。
例えば、チャップマン・スティックを始めるかどうか迷った時も「ここでチャップマン・スティックを『弾かなかった人生』と『弾いたことのある人生』のどちらかに分かれるなら、僕は『弾く人生』を選んだ方がいいかな」というような感じです。
⸻とても大きな出来事でしたね。
はい。父は僕がチャップマン・スティックを弾いていることを知りません。喜んでくれているといいなあと思います。母や兄も、とても応援してくれているので「それに応えたい」という気持ちはいつもあります。
⸻では、SHINOさんにとって「音楽」とはなんですか。
「生活の一部」です。
辛い時、楽しみたいと思う時など、いかなる場合であっても自分たちの生活には音楽があふれています。
音楽は原始時代から変わらずあるものですし、「生活の一部であり、余分だけど無くてはならないもの」だと思っています。
⸻これから挑戦してみたいことはありますか。
日本語版の「チャップマン・スティック教則本」を作りたいです。ネット上にも情報は多少あるのですが、いま日本語で学べる教材は一切ありません。
きっと、そういうものがあると「始めてみたい」と思う人が出てくるんじゃないかなと思うんですよね。実際「そういった教材が欲しい」という声は多くて、中にはかなり強く希望を訴えている方もいます。
僕は、もっとチャップマン・スティック奏者を増やしたいと思っているんですよね。個人的には、次世代のピアノのような立ち位置になれる楽器だと思っています。それこそ、「子どもの習い事」の選択肢の一つになって欲しいです。
何度も繰り返し練習することが重要なので根気は必要だと思いますが、指の長さ・手の大きさなどはそれほど習得には影響しないと思います。
「難しい楽器だから挫折する方も多いのでは」と思われがちですが、僕は順序立ててやればどんな楽器も習得不可能ということはないと思っています。
⸻音楽活動において、今後やってみたいことはありますか。
普段は路上ライブが多いので、より皆さんが楽しめるような場所に出向いて、その楽しさを助長させられるような、そういうことができたらいいなと思っています。
チャップマン・スティックの音は、ヒットチャートの音楽と比べると「豪華ではない」かもしれません。
でも、僕はその中にある「うまみ」みたいなものを、敢えて探していきたいと思っています。
(Instagramアカウント SHINO/街のBGM屋さん)
(和光市のコルダ音楽教室)
【インタビュー後記】
SHINOさんは、芯のあるとても柔らかな印象の方でした。でも、予想以上にユニークな部分もお持ちで、時々笑いも交えながら流暢にお話してくださり、当日はとても楽しいインタビューとなりました!
SHINOさんの奏でるメロディには「癒し」という言葉一つでは表しきれない、心に染みてくるような不思議な魅力があります。これからも和光市民の1人として応援しております!
(制作:和光市広沢エリアマネジメント広報部 市民記者:吉田さやか)
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