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はじめまして、ピン芸人のわっきゃいです。
0.04%
みなさんこちら何の数字だと思いますか?
宝くじに当たる確率?
東大に受かる確率?
違います。
「アマチュア芸人がR-1の準々決勝に進出する確率」
です。
まあ僕のことなんですけどね!
これは
・東京都の天気が『晴れのち雹』になる確率
・リスに殺される確率
・好んでごぼうを食べる人の確率
と大体同じくらいです。
そう考えると凄いでしょ?
まあ結果、準決勝には行けず悔しい結果で終わってしまいました。
でもここまで来れたのはやはり僕の才能を信じてくれた多くの人のサポート、応援があったからです。
前置きが長くなってしまいました。
今回は、R-1グランプリ出場を通して僕がピン芸人として生き、勝負する覚悟を決めた経緯。お世話になった人への感謝。そして全ての人への自己紹介。
0.04%の裏側を
まとまりはないですが、つらつら書いていきます。
そもそもなんで芸人に?
これに関しては答えがないというか、
物心ついた時からなるものだと思っていました。なので理由はないです。
高校卒業するまでアメリカで生活していたので
日本語の記録はあまり残っていないのですが、
毎週土曜日通っていた日本語補習校の卒業文集を書いた頃には、既に芸人として芸能界で生きることに迷いはなかったです。
アメリカのここが好き: 右側通行
日本のここが好き: 左側通行
小6の時から、大喜利のセンスはありますね。
ずっと、学校では一番面白い人でありたかったし、なんなら使命感すら感じていました。僕が盛り上げなきゃこの学園は終わってしまうと。
あとから聞いた話なのですが、僕が欠席してる日の方がクラスは盛り上がってたみたいですね。
まあそんな感じで、クラスの人を笑わせたい、から、世の中の人を笑わせたい、に進化していったというか、面白いものを作るのが生き甲斐というのは子供の頃から何も変わってないですね。
YouTubeから芸人の領域へ
日本の大学へ進学し、僕はYouTubeをはじめました。
一本目の投稿であるオリジナル特技「ペットボトルのキャップ投げ」でバズったのですが、
登録者が一万人を超えたあたりで
自分の日常をニュース風に伝えるコント動画
「どうでもいい日常のニュース」シリーズ
の投稿をはじめました。
一万人もの人に自分が面白いと思うものを一方的に発信できる機会なんてないので、求められてなくてもこれはチャンスだと思って全く方向性の違う動画を勝手に投稿し始めたのです。
これが功を奏し、「どうでもいい日常のニュース」も世間に面白いと思ってもらえて、月一本の投稿にも関わらず登録者は60万人くらいになりました。
ただやっぱり、何か足りなかったのです。
それは「生の笑い」です。
何百万回再生されたとしても、子供の頃に自分がやったギャグで好きな子が笑ってくれた喜びとか、友達が腹抱えて転がる嬉しさと同じ種類の快感は味わえないのです。
それを求めて、僕はYouTubeでの投稿を続けるとともに、原点に立ち返り、芸人として勝負することを決めようとしました。
が、二の足を踏ませるトラウマがその判断を躊躇させていました。
ネタ番組滑り散らかし事件、
そして背中を押してくれたお笑い界の先輩
YouTuberとしてコント系の動画を投稿していたので、テレビでもネタを披露する機会を頂きました。
まずは僕を知ってくれたきっかけの人も多いであろう、「行列のできる法律相談所」
吉沢亮さんおすすめのネタとして紹介されたこともあり、スタッフさんから頂いた情報から行列メンバーの日常をイジるニュースネタは大盛り上がり。僕が死んだときに走馬灯でこの時の思い出が流れることは確実です。それくらい夢みたいな時間でした。
そしてその夏、「千鳥のクセがスゴいネタGP」にも出演させていただきました。
こちらもスタッフさんから頂いた情報からネタを構成することになったのですが、たまたま千鳥・大悟さんの認識と噛み合わず大スベリ。ネットは当然批判の嵐。YouTuberは引っ込んでろの声。
ただ大悟さんの「しばいたろかな」などのツッコミがウケてくれて、結果番組としては盛り上がりました。救われました。
これがでも本当に本当に悔しくて。
本当は自分が書いたコントをやりたかったんですけど、
でもさせてもらえないのは当たり前なんですよ。
芸人としての実績は皆無だし、そもそもゴールデンの看板番組に出させてもらえるだけでもありがたい。僕が逆の立場だったとしても22歳のYouTuberのお笑いセンスなんて信用しません。するわけがない。
そんなの首脳外交をトイプードルに任せるようなものです。
でもやっぱり、このまま千鳥さんにも、世間にも、他の芸人さんにも面白くないと思われたまま終わりたくない。このまま成仏できるわけがない。けど通用するかもう分からない。怖い。
そんな時に相談に乗って頂いたのが、相席スタートの山添さんです。
山添さんとはウチのガヤで共演し、キャップ野球でバッテリーを組ませてもらったことからお世話になっていました
それ以降は、僕が一方的にLINEを送り、無視され続ける仲です!
ただ、本気で芸人として勝負したいと相談した時、山添さんから渋谷のカフェに呼び出していただき忙しい中2時間ほど僕の想いを真剣に聞いてくれました。
「なんでも頼みや」
言葉に甘えていっぱい頼みながら、芸人になりたいこと、でもトラウマがあること、一部のYouTuberや芸人さんから反応が芳しくないことを話しました。
それら全部受け止めてくれて、
「芸人のええところはな、最後は何でも笑い話にできるっていうことやねん。だから、そんなに熱意あんねやったら、本気でやったらええよ。全部笑い話になるから。」
テレビで見るクズキャラからは想像できないくらい熱く優しい言葉で、ここで僕は芸人として勝負することを完全に決意しました。
山添さんはその後「ほなNHKで収録あるからまたな!頑張れよ!」と言い残し、
「ありがとうございました!!」と姿が見えなくなるまでお辞儀しました。
山添さんかっこいいなぁ…、と感動に浸っていたところ、店員さんに声をかけられました。
「お会計、5880円になりますが…」
前言撤回!!!!
やっぱりクズじゃねーか!!!!
R-1グランプリ2022への出場(1、2回戦)
そんなこんなで気合十分な僕はR-1グランプリに出場することに決めました。初出場ですが、目標は日本一。
ただ大きな問題があったのです。
エントリーした時点で既に予選は2週間後。圧倒的に時間がありません。周りの芸人さんは何年も経験がある上に、1年間かけてベストなネタを賞レースに持ってきます。
僕は急いでネタを書き上げ、勝負すると決めたネタが
「助っ人演劇部」
サッカー部にどうしても助っ人をやってくれと頼まれる演劇部の子のコントです。
その演技力をファールを貰うのに活かしてくれと懇願される、自分の中では設定も展開もお気に入りのコントです。
早速動画を回しリビングでやってみたものの、その動画を見たら衝撃でした。
まるで目も当てられない。本当に酷い。
発声、目線、なにより演技力がちんかす。
これではダメだと思い、知り合いの女優の子のツテで演出家の先生(西本健太郎さん)に頼み、みっちり演技の稽古から始めました。
18時間ぶっ通しの稽古を何日も何日もやり、持ち前のセンスと必死さでなんとか形になるようなところまで持って行きました。
そして舞台経験も必要だと思い、「ゲレロンステージ」という地下ライブにまず出演させていただきました。
ただはじめてのライブだったので、ネタ中の音楽を流すのに「オペレーター」という専門のスタッフを用意する必要があることを知りませんでした。必死に連絡を取ったのですが直前すぎて誰も友達を呼べず、親族も無理で、最終手段として頼ったのが、「レンタル彼女」でした。
速攻で来てくれて、でも別にデートとかしたいわけじゃないので状況を説明し、
僕がこのセリフを言ったら、ここの間で音楽を流してね!とネタ合わせをし、
実際に彼女は完璧に仕事をこなして帰りました。
肝心の僕はというと、お客さんは8人くらいだったのに緊張してぐだぐだ。
本番は5日後。もう間に合わないと思いそこからは毎日地下ライブ、路上ライブをこなし、
それでも足りないと感じた僕はウーバーイーツで大量に注文をして自宅に配達員を集め、リビングで単独ライブを開催したりしました。
その甲斐あってその後のライブ、「スマイルチャージ」や「ぶちぬき魂!」ではウケることができ、まずR-1の一回戦を迎えました。
まあ正直、あんま覚えてないですが、いつも通りにネタをやり、ウケました。
事前にシミュレーションをやりすぎて、それで緊張し終わっちゃって、本番ではらくーにできました。
ただ、やはり一回戦でも8割くらいは落とされます。ちょっと心配はしてましたがちゃんと通ってたので安心でした。
問題は2回戦です。
ここからは有名どころも容赦なく落とされるし、シード組もここから参戦します。
勝ったら準々決勝なのですが、初出場のアマチュアがそこにたどり着く確率はわずか0.04%
今まで以上に気合を入れて稽古に励みました。
この頃にはライブでもウケ続け、正直いけるんじゃないかと思ってたときに、とあるライブの出演者募集の告知が目に入ったのです。
それは、竹内ズのがまの助さん主催のR-1グランプリ対策ライブ。すでに出演が決まってるメンバーを見ると、「いやあなた方対策しなくてもいいでしょ!」って思えるくらいの超実力者だらけ。しかも僕と同日にR-1の予選に出る人ばっかり。しかもR-1の予選前日開催。
こりゃもう出るしかない、なんなら名前を覚えてもらおうと意気揚々と参加したところ、まあ天狗の鼻をぽっきりとやられました。
特に衝撃を受けたのはファイヤーサンダーの崎山さん。ABCお笑いグランプリ優勝経験のある実力者です。
ジャンルは僕と同じ一人コント。なのにね、一人じゃないのよ。あそこまで演技力があると。
いないはずのもう一人の存在が見えるんですよ。もちろん会場も爆笑の渦。これがピン芸か。
あぁ…
前日なのに自信が根本からごっそりいかれました。こんな人たちと戦わなきゃいけないのか。
でもなんか寝たらスッキリして、朝には自分の今まで信じてきたことを全力でやろう!って感じで2回戦を迎えました。
そうなんです、僕一つだけ誇れることがあって、
本番に異常なまでに強いんですよ。
大学受験も、空手の試合も、2回戦も、実力の数倍の力を発揮できました。普段教えてくれてる演技の先生も見にきてくれたのですが、びっくりしてました。急に良くなってたので。
結果は準々決勝進出。
本当に本当に嬉しかったです。奇跡です。
東京予選2183人中唯一のアマチュア進出となりました。
必死にやってきたというのもあるのですが、ここに至るまで本当に多くの方にサポート頂いて、R-1って一人の大会ですが、一人の力じゃここまでこれなかったなと感慨深くなっていました。
準々決勝の壁、そしてこれから
僕の悪いクセなんですけど、準々決勝に進出して一旦満足しちゃったんですよね。
僕すごくね?って。みんなにも褒められるし。
準々決勝に向けて2回戦終わって10日しかないのに、3日くらいダラダラしてました。
でもね、これ根本的に間違ってることに気づいたんですよ。
賞レースだからと言って、勝つ負けるとかはどうでもいいんですよ。ステージに立ってる瞬間は、芸人として、目の前のお客さんを笑わせるのが仕事だし使命なんですよ。結果とかはその時見てるお客さんからしたら知ったこっちゃないですから。ただ面白いものを見にきてるわけで。
そんな当たり前なことも忘れて、面白いネタを作るというところからある種逃げてました。
けどもう気づいた時にはやるしかない。残された時間で必死にチャンスを掴むしかない。面白いネタを作ってお客さんを笑わせたい。
その一心で書き上げたのが
「確率」
というネタです。
このエントリーの冒頭にもあった、僕が準々決勝に進出した確率を自慢し、色んなものに例えながらその凄さをアピールするというフリップ漫談です。
僕の本心からやってるネタなので気持ちよく、楽しくできるネタでした。残りの1週間、気が狂うくらい練習して仕上げました。最終的にネタが出来上がったのは準々決勝の当日の朝です。
で、いよいよ迎えたルミネでの準決勝でしたが、
緊張などは一切ありませんでした。
広い会場なはずなのに、お客さんの顔は全員見えていたし、すごく余裕を持って、とにかく楽しくできました。そして想像以上にウケました。
まあ結果はダメだったんですけどね。
準々決勝での敗退となりました。
結果を受けてすぐに今これを書いてるので感想とかはまああまりないんですが、悔しさはあまりないです。
負けたのが実力不足だって分かってるので。分かるくらいちゃんと頑張ってやったので。こんな風に言えるの、人生で初めてです。辛いことからは逃げまくる人間だったので。努力ってしてみるもんですね。
ていうか努力というより愛情なんですよね。全ては。
自分が生み出したネタを、どれだけ愛せるか。
いっぱい練習したらそのネタはお客さんに笑ってもらえるし、練習しなかったらお客さんにダメなネタだと思われる。
愛してたら、そのネタをすべらせることなんて、どうしてもできないんですよ。やっぱりみんなに笑ってほしい。だから練習するんです。勝ちたいからとか努力したいからとかじゃない。
芸人として一歩目を踏み出すにあたって、まずこれに気づけてよかったです。今回は、愛情が足りなかった。実力も。
自己紹介
あらためて自己紹介をします。
はじめまして、ピン芸人のわっきゃいです。
日常から笑いを生み出すのが得意です。
自分が面白いと思うものを信じて、ネタを作っていくので、お笑いの世界の先輩方、お笑いファンの皆さん、どうかお見知りおきを!
日本一を目指して頑張ります。
長く拙い文章でしたが、ここまで読んでいただきありがとうございます。
スペシャルありがとう
最後に
伝えきることはできないんですけど、ここまで支えてくれた皆様への感謝です。
こんな応援しがいのない人間を懲りずに応援してるファンのみなさん。
わがままな僕のスポンサーとして、活動を支えていただいているイーアイデムさん
芸人になる前からネタの相談などに付き合っていただき、お笑いライブとか芸人のいろはを色々教えてくれたクロコップ・荒木さん。
M-1に出場した時からお笑いの基本を教えてくれたなすなかにし・中西さん
ゲレロンステージで居場所がない中話しかけてくださり、舞台での立ち回り方、ネタのアドバイスを頂いた徳原旅行さん
サッカー部のコントをやるにあたって、高校のサッカー部のユニフォームを貸してくれた水戸一高の池田くん
YouTubeはじめた頃からずっと才能を信じてくださっているZIZAI・塚本さん
エンタメの世界で生きていくきっかけをくださった日本テレビ・黒川さん
いつも刺激をもらい、理解頂き、応援してくれるげんげん、及びStardyのみんな
ずっとずっと身近でパワーをくれる修一朗
忙しい中ライブのサポート、オペレーターをしてくれたよき親友の鑑人
急なお願いにも関わらず、分かりやすい指導で演技を基本から指導してくださったにしけんさん
R-1を応援しにきてくれた友達みんな!
2回戦前日に自宅で稽古をつけてくれた佐川ピン芸人さん
最初にお笑いに一緒に向き合ってくれたひろきさん
実績ないのに快くお笑いライブに出させてくれた
「トンガリ」
「スマイルチャージ」
「ゲレロンステージ」
「ぶちぬき魂」ぐんじんさん
「ひるまによん」
もっともっといますが!
本当に皆さんありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。