不動産仲介サービス運営、映画出演。トランジェンダー男性・合田貴将さんの"自分らしい"人生
幼少期、ちょっとしたことから感じた違和感があった。トランスジェンダーだと自覚しながら、誰にも言えなかった青春時代があった。初めての恋人へのカミングアウト。ひょんなことからテレビCMや映画出演。
現在はLGBTQ+向けの不動産仲介サービスを運営する合田貴将さん。なんと今年の誕生日は初めて出演した映画の公開日が偶然にも重なったそうだ。
本日はそんな合田さんのライフヒストリーを聞かせていただきます。
ーーーーーーーーーーー
ライフヒストリーですね。ライフヒストリーか(笑)。
生まれたところからいくと、 まず私は今男性の格好をして男性として人生を歩んでますけど、 生まれた時は女性でした。
ただ結構すぐに自分の性別の違和感っていうところに気づきましたね。もともと心の中に違和感はあったんですけど、一番はっきり、これは絶対おかしいんだって思ったのは、幼稚園の先生に好きな男の子はいるのかっていう風に聞かれたときです。
私は当時好きな女の子がいたんですけど、自分が女の子を好きになるのは普通じゃないんだなっていうのを、当時5歳ぐらいにはもう気づいて、 大人の雰囲気を感じ取って、〇〇君が好きみたいなことを言ってましたね。好きな男の子がいるっていう風に嘘をついて話を合わせていました。
好きな遊びとかも、仮面ライダーごっことか、戦隊ごっことか、 ドッジホールとかで。男の子に混ざってやるっていうことが多かったです。女の子はみんなおままごととか、人形やぬいぐるみとかで遊んだりしていて、幼いながらに、やっぱり自分はどこかちょっと違うのかもなっていう風に感じながら、ただそれが何かわからないままずっと歩んでましたね。
今のランドセルは結構カラフルですが、当時はまだ黒か赤かの2択だったんです。私はどうしても赤のランドセルを背負いたくなくて、母親に、ランドセル赤じゃなくて黒がいいんだと言いました。
母親は、ダメだよ、女の子なんだから赤じゃなきゃダメだよとかは言わずに、そうなんだ!黒いい色だよね。ママも好きだよ。みたいな感じで言ってくれました。ただ、その時に教えてくれたことが印象的で、他の女の子はみんな赤を背負ってるから、ひとりだけ黒を背負ってると変なこと言われちゃうかもしれないよっていうリスクを事前に説明してくれましたね。私は、分かった、それでもいいから黒を背負いたいって伝えて、母親も、分かった!じゃあ黒、いい色だから買ってあげるって言われて、学校で唯一黒を背負ってた女の子でした。
みんなが赤なんだから赤じゃなきゃダメだよっていうわけじゃなくて、この選択をしたらこういうことが起こるかもしれないと、親として事前に説明してあげて、 選択するためのピースが揃った状態にしてあげて、あとは子供に任せるみたいな、そういう感じの教育だったので。
ランドセルのこともお母さん的には、私立の子はみんな女の子でも黒だよ、みたいなテンションでした。私は公立の小学校だったんですけど。一人だけ私立みたいじゃん!みたいな(笑)。いい親でしたね。
ーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーー
中学生に入ってからは制服っていうところがどうしてもあったので、私はやむなく、選択肢もなくスカートを履いて、 死ぬほど嫌だったスカートを履いて登校していましたね。
今はちょっとずつ、身体的に女の子でもズボンを選択できる学校も増えてきていると聞きますけど、当時はまだ選べませんでした。
中学生のある日、当時インターネットが流行り始めた頃だったんですけど、 うちの家にはまだパソコンがなかったので、電気屋さんに行きました。電気屋さんにはインターネットのあるパソコンがあったので。そこで【体は女 心は男】みたいな感じで検索して、トランスジェンダーという言葉だったかは覚えていないんですけど、自分以外にもそういう人がいるんだっていうのをそこで初めて知りました。
そこで衝撃を受けたというか、安心をしました。本当に世界で、地球上で、唯一自分だけだと思い込んでいたので。
ただ、だからといってまだ変なものだという意識があったので、 すぐに親に自分これなんだよとは言わずに心の中に収まっておきました。
高校時代は、女性に見た目をすごい寄せてたんですけど、ただ同時に心は男性として育ってて、やっぱり恋愛とかに興味が出てくるし、周りの友達は恋愛の話ばっかりしてて、恋人もできてみたいな。私も好きな女の子がいて、付き合いたかったけど、一方で体は女性として成長していく。形が変わってきたり、生理が始まったりと。そこで心と体が引き裂かれていくのがタイミングっていうのが、 中学生とか高校生ぐらいでありましたね。
ーーーーーーーーーーー
当時近しい友達とか、自分の悩みを喋れる人はいましたか?
ーーーーーーーーーーー
いなかったですね。 もちろん親友とかはいましたけど、仲が良くて大好きだったからこそ言えなかったかな。 関係を崩したくなくて、これは親にも言えることですけど、 親が受け入れてくれないんじゃないかとか、 友達が受け入れてくれないんじゃないかとか。受け入れてくれるんだろうけど、ちょっとでも関係が変わってしまったら嫌で言えなかったですね。 あと、人に言ってしまったら自分がそうであるって決めつけてしまう、逃れられなくなってしまうっていうのもありましたね。誰にも言わないうちはまだ誰も知らないから、 自分は女性でいられるじゃないですか。変な存在じゃない。みたいな。自分の中で受け入れ切れてなかったので、まだその時は、いつか普通に戻れるんじゃないかとか思ってました。 だから誰にも言えなかったですね。
ーーーーーーーーーーー
そんな時代を経て大学生ぐらいになってくると、どんな感じですか。
ーーーーーーーーーーー
大学の時の友達を好きになりました。すごい好きになって、その子とひょんなことから都内でお泊りすることになって、 それでちょっと今までずっと我慢してきたものが抑えられなくなってしまって、 キスしちゃったんですよね。今まで誰にも言ってなかったんですけど、恋心みたいなのが勝っちゃって、告白と同時にカミングアウトしてしまうということがありました。
その子はレズビアンとかではなかったんですけど、私の挙動なのか言動なのか、考え方なのか服装なのかわからないんですけど、 私の心が男性だということを直感的に感じていた。それで付き合えることになって、 そこからは割と幸せな人生です。やっぱり一人受け入れてもらえると全然違うので。
SNSのダイレクトメッセージで相談をいただくことがあるんですが「まだ誰にもカミングアウトしてないんですけどどうすればいいですか、 カミングアウトするとしたらどんな人にすればいいですか」っていう質問が来たときは、 私の経験談として、人生で一人目のカミングアウトは絶対にこの人なら自分のことを受け入れてくれるっていう人にカミングアウトした方がいいと思うと答えています。
私も今はメディアでこんな風に自分のことを 丸出しで喋れてますけど、でもやっぱり私も一人目どころか 十人目くらいまでは手が震えながらカミングアウトしていました。
ただ、一人受け入れてもらえて、 二人目三人目も受け入れてもらえてとなるとやっぱり自信がついてくるんですよね。その自信によって自分を受け入れられるようになっていく。
いくらトランスジェンダーのことを調べてもどうしても自分の中で 受け入れられなかったのが、他の人に受け入れてもらえることでようやく自分の中で自分のことを受け入れられるようになっていくっていう経験があったので、若い方からそういう相談を受けた時は 絶対に一人目は自分のことを受け入れてくれると思える人にした方がいい、それが親じゃないかもしれないですよっていう風に伝えてます。
大学時代に好きな人と付き合い始めてから、しばらくは両親にも言っていませんでした。ただ付き合って1、2年経って、もう就職活動が始まるって頃に親に言わないとどうしようもないなと思って彼女がいることを伝えました。
当時、やっぱりいつかは結婚したいというので、手術がしたいって思ってたんですよ。決意をして この日に言うぞ、と決めたんです。
その日、昼過ぎにバイトが終わって、今日言うぞ、今日言うぞと思って。バイトが終わってから2時間くらい家に帰れなくて、近くの橋の上で本当に今日言っていいんだろうかとか、言ったら人生の全てが狂ってしまうんじゃないのかとか 色々考えていました。でも言わなきゃ人生が進まないと思って夕方帰宅し、父親と母親を話があると呼び、実は私は性同一性障害で手術をするための費用を貯めたいから 大学を辞めさせてほしいっていう風に言いましたね。
当時はトランスジェンダーって言葉は使ってないと思います。性同一性障害って言いましたね。 まだ診断書は持ってなかったんですけど。
私が泣きじゃくりながらカミングアウトしたんで向こうも泣いてましたね。気づいてあげられなくてごめんねって感じでした。トランスジェンダーの友達に話を聞くと、親にカミングアウトした時、手術は絶対に反対だとか、漢方を飲みなさいとか、あなたの勘違いだとか言われたって人もいます。そんな中で、私の親は あなたの人生だから あなたが好きなように生きなさいっていう感じでした。手術もしていいし名前も変えていい。ただ、父親が若い頃に学歴のところで苦労したところがあったので、人生の先輩としてのアドバイスで、大学は出た方がいいという言葉をもらって、私は大学を卒業することにしました。
ーーーーーーーーーーー
就活はどういう風にされましたか?
ーーーーーーーーーーー
大学3年生くらいの時に就活が始まるんですが、大学の同期がどの業界を受けようとか 自己分析をしている中、私は男性もののスーツを着ようか、女性もののスーツを着ようか っていうところから悩んでいました。
みんなが業界絞っていっているのに、私はスタート地点にも立てなかったです。最後までスーツが決められなかったんですよね。実際にスーツ屋さんに行って、男性もののスーツも着て 女性もののスーツも着て それでも決められなくて。就職活動ができないまま、大学を卒業しちゃいました。
卒業後、バイトをしながらやっぱり働きたいって気持ちが強くて、就活活動を再開しました。企業が LGBTQの理解があるかどうかまだわからなかったので、迷った結果、女性としてポニーテールにスカートで就職活動をすることにして、無事に第1志望の証券会社に内定をいただきました。
ただ内定をもらったのはいいけど、女性として入社したらこのままずっと女性として働き続けなければいけないのかと思いすごく怖くなってしまいましたね。
カミングアウトしたらもしかしたら内定を取り消されないかとかも考えましたが、入社前に男性に変更できないかという相談をしました。
私は女性として内定をもらいましたけど、本当は心は男性で、性同一性障害なんです。男性として入社させていただけませんかっていうふうに お伝えしましたね。
内定をいただいた会社は、日本人だけで1万人くらい社員がいるような大きな企業だったんですけど、まだトランスジェンダーを公表している方がいなかったんです。ただ、人事の方は「合田さんが公表していただいた初めての社員です。なので対応方法など合田さんに聞きながらになると思います。こちらもいろいろ教えてください」って言っていただいて、無事に男性として入社することになりました。
その後しばらく金融商品の取引関連の仕事をしていたんですけど、会社の奨励制度で ファイナンシャルプランナーの資格とか 宅地建物取引士の資格を取ると 5万円もらえるみたいな制度がありました。当時新入社員でお金がなかったので 、その5万円欲しさに宅建を取ったんですよ。そこから不動産に興味を持つようになっていきました。
そのタイミングでちょうど、当時付き合っていた彼女と同棲をするための家を探していたんですよね。不動産屋さんに行った時、第一希望の物件を内覧させてもらおうと思ったら、電話で「すいません、オーナーさんがちょっと・・・合田さんの性別のところを気にして、お部屋を見せることができないです」と言われてしまいました。
その不動産屋の担当者さんはすごくいい人だったので、その方に対しても申し訳なく思ったし、彼女に対してもすごい申し訳なく思いました。お互いこの物件いいねって話してたので。
そこから、今のこの状況っておかしいんじゃないかと思い始めました。
正社員で ちゃんと給料ももらってましたし、 絶対に普通の男女だったら部屋を借りられたはずだし、内覧できないなんてことはないはずなのに。ただ性別のところがおかしいって理由で内覧すらさせてもらえないのがおかしいって思いました。
その後、勤めていた証券会社のグループの不動産会社に出向させてもらって経験積んで、その後独立して、今は不動産売買のエージェントをしています。
2024年の6月からは LGBTQの方々向けの不動産仲介サービスを運営しています。
例えば住宅ローンを組むときに同性のパートナー同士でペアローンを組みたいときに、組める銀行組めない銀行があります。組めるとなっても必要な書類が、普通の方とは違ったりするので そこのサポートをします。あるいは購入後の相続対策ですね。同性のカップルですと、家を一人の名義にしておくと名義人にもしものことがあったときにパートナーさんには相続されず、親に相続されてしまって追い出されてしまうというケースがあるので、そういったことの対策をしています。
ーーーーーーーーーーー
数年前のテレビCM出演からメディアに出るきっかけになったと伺いました。どういう流れで出演することになったんですか?
ーーーーーーーーーーー
CMに出るきっかけは、知り合いを通じてでした。
LGBTQに関するCMを作りたい企業さんがいるから、ちょっとインタビューさせてくれないかって。
最初は出演の話はなかったんですけど、インタビューが終わって、最後に泣きながらトランスジェンダーにフォーカスしていただいて本当にありがとうございますと伝えたら、翌日出演の方もオファーをいただきました。
そういえば映画「息子と呼ぶ日まで」のオーディションの時にも最後に泣きながらトランスジェンダーにフォーカスを当てていただいてありがとうございますって伝えて決まったのでこれが決め台詞みたいになってます(笑)。
ーーーーーーーーーーー
映画は何でまず情報を知ったんですか?
ーーーーーーーーーーー
SNSでキャストを募集しているのを知りました。募集している配役がトランスジェンダー男性の不動産屋のアラサーだったんですよ。
私もトランスジェンダー男性の不動産屋のアラサーだったので、ぴったりじゃないかと思いました。
ただお芝居の経験なんて全然なかったので、応募即決したというよりはどこか心に留めて何日か過ごしていましたが、締め切り直前になって思い切って応募しました。
ーーーーーーーーーーー
実際にお芝居をしてみてどうだったか。
ーーーーーーーーーーー
林翔太っていう役なんですけど、黒川鮎美監督からは合田さんのままでいいですって言われていたので役作りといえるようなことはほとんどしてないんです。
ただ、感情を思い起こすトレーニングみたいなのは事前にしました。例えば、父親とのシーンを撮影する朝は実際に自分の父親に電話して、カミングアウトの時どうだったよね、こうだったよねみたいな話をしながら、自分の気持ちを作り上げることはしてましたね。
ーーーーーーーーーーー
実際に完成した作品をご覧になっていかがでしたか?
ーーーーーーーーーーー
映画の中で描かれることが、私も経験したことのあることだったり、トランスジェンダーの人生の中で毎日起こる、つらいことを取り上げてる映画だった。そして、やっぱり周りの人ですね。父親の苦悩、恋人の苦悩。
私は実際に今パートナーと一緒にいますが、戸籍上の性別を変えてないので、今私はパートナーとは戸籍上他人同士なので、こういう映画の中で起こったことが実際に自分たちに起こり得るんだ、今日起こり得るんだって感じて、ちょっと怖くなりました。
ーーーーーーーーーーー
当事者として、役を演じる経験はどうだったか。
ーーーーーーーーーーー
お芝居ではもちろんプロの俳優さんには敵うわけないんですけど、やっぱり身体っていうコンプレックスは表現できると思うんです。表現できるというか、自分の持っているものなので。
https://www.youtube.com/watch?v=teKk8Vy4Hnc
ーーーーーーーーーーー
最後に。メディアの取材、映画出演など、積極的に発信されていますが、その活動全体のビジョンや想いを教えて下さい
ーーーーーーーーーーー
パンテーンのCMがすっごい反響をいただいたんですよ。勇気をもらったとか、たくさんの言葉をいただいたことで、自分が生んできた人生というのは 誰かの背中を押すかもしれないと思ってSNSも始めました。
SNSを始めると、メディアの方からもインタビューの依頼をまたいただいて、発信を続けていくと、また新たに「あなたの人生を知って救われました」っていう人がどんどん増えていきました。
もっと活動していきたいと思います。
私は自分が学生の頃、SNSというものがなかったですけど、ただそんな中でもあるトランスジェンダーの活動家の人からインターネットを通して、すごく勇気をもらっていました。一筋の光が見えたような感じです。だから私もって感じです。私は30歳ですけど 、今10代の子とか、学生の子とかが 私の歩んできた人生だったり、今やっている活動を見て 勇気をもらいましたとか、自分の人生の希望を見いだしてくれたら 嬉しいですね。
合田 貴将 / Takayuki Goda
1993年、東京都生まれ。 LGBTQ+向けの不動産仲介サービス「Borderless不動産」を運営。大学卒業後は金融機関へ就職(約6年)。その後、不動産業界へ。 トランスジェンダーの就職活動や企業との関わり方について、 自身の経験をもとに様々なメディアを通じてお伝えしています。主演映画『息子と呼ぶ日まで』が2024年11月、31歳の誕生日に公開。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?