私の多次元的体験から #002
はじめにお断りしておくが、このタイトルでの投稿をずっと続けるつもりはなく、今そういう時期のような気がするので書いているだけだ。
連載の次回(3回目=#003)で、ひと区切りにするつもりでいる。
幼稚園から小学校に上がるくらいの頃だったか、あれは今思い返しても現実だったのか、それとも白昼夢のようなものだったのかよくわからない経験をした。
誰かから「嘘をつくと目が白くなる」みたいなことを聞いていて、あるとき、どういう嘘をついたのかわからないが、鏡の中を覗き込んだら、黒目の中に白い輪があり、それが次第に拡大して白目のところで消え、するとまた次の白い小さな輪が黒目のまん中から湧き出てきて、大きな輪になって白目に呑み込まれ、次にまた白い輪が出てくるというわけのわからない現象に出会ってしまった。
幼い私は「これは本当に目が見えなくなってしまうのかもしれない」と戦慄し、周りにもそういうことを言ったが、もちろん取り合ってもらえはしない。
結局何事も起こらなかったのだけれど、じゃあ鏡の中に見えたものは何だ、という疑問だけが残り、そのうちに、そのこと自体も現実だったのか幻影のようなものだったか、わからなくなってしまった。
小学生時分には、何か特別な経験をしたような記憶はない。
ただ、親戚などからは「この子はお線香上げるのが好きな子だね」と言われていたようで、実際、仏壇があるような親戚を訪ねると、自分から言って線香を上げさせてもらったり、「りん」を叩かせてもらったように覚えている。うちは分家だから、その時点では仏壇はなかったのだ。
仏壇のある家では、どういうわけか、お参りすると気分が落ち着くような気がするし、だから、お寺のようなところも嫌いではなかった。
ティーンエイジャーの頃にも、とりたてて何か変なものを見たとかいうような経験はなかった。
今から考えれば、決して安定的な精神状態とはいえない中学時代と高校の前半を送っていて、しかしまあ、その時期は多くの人がそうじゃったんじゃないかと思う。
青春などと言うものは大体において屈託の塊のようなものであり、わかりやすいドラマがそのように仕立てているほど明るくない。
その年代のごく普通の中高生がはまり込むような「青春病」に自分も染まっていたので、つまりは3次元の現実を相手にすることで精一杯だったので、多次元どうのこうなどという感覚はほとんどなかった。
あとになって、「そうか、あのときにあそこで体調が悪かったのは、そういうことだったか」と気付いたこともあれど、当時は気にしていなかった。
(※以下、よく言われる「幽霊」的な話も出てくるので、怖がらせる意図はないものの、そういうのが苦手な人はこの先は読まないほうがいいかもしれませぬ)
大学に入ってから、少し状況は変化した。
一人暮らしをするようになったアパートで夜中に突然寝入りばなに人の気配を感じて飛び起きたり、実家で寝ようとしているときに自分以外に誰もいないはずの部屋で呼吸の音が聞こえて肝をつぶしたりした。
またこの頃が、そういう現象をいちばん怖がっていた時代でもあった。
ただ生活をしにくくなるほどのことでもなかったので、たいがいはしばらくビクビクしていて、そのうちに忘れてしまった。
その一方で、人間という存在をどう理解したらいいのか、高校生の時分よりももっと考え込むようになり、しかし大学の教養科目で選択した心理学では求めていたような解なり方向性なりはまったく与えてもらえなかったので、住んでいた国立で知り合った先輩格の大人たちの影響もあって、神秘学系統の本に少しずつ手を伸ばすようになった。
そういう方向に舵を切ると、宗教の方角へ向かってもおかしくはないのだけれど、もともとの性格の悪さが反映したのか、寺のような場所は好きだが組織的活動は大嫌いということがあったためか、そうなることはなかった。
20代の前半では、最大の関心事は、どうやって本を書くかということであった。
ところが、その「本/Book」をつきつめてゆくと、千年を超えるスパンでベストセラーだったものは何かということを否応なく意識せざるを得なくなり、特にキリスト教に強い関心を寄せているわけでもなかったのに聖書という本の存在が頭のどこかに引っかかるようになった。
だからと言って、新旧を問わずキリスト教系の宗教団体に近づくような気はさらさらなかったので、キリスト教でもない、仏教でもない、要するに宗教ではないが、人間を多次元的存在とみて、その文化史や精神史を、こんにちの普通にアカデミックな文脈とはまったく別のところで紐解いてみせるような立場、ニューエイジや神秘学の本を読み漁るようになった。
大学を卒業してから所帯を持つまでの約12年間の独身時代は、小説などの自分の創作活動を除けば、総じて上記のような感じで多次元的世界に自分の中で相対していた。
その間に二度、その種の専門家との偶然の接触があった。詳しく書いていると夜が明けてしまうので、はしょる。
一人目は私が20代半ばで最初の職場をやめ、友人の両親がやっている伊豆の某山荘に泊まり込んでいるときに、たまたま同宿した人で、どうやら小さな宗教団体の教祖みたいな人であったらしい。
その人は「あなたは若い人には珍しく霊的なことに関心があり、40過ぎたら成功する」というようなことを言った。
経済的成功はともかく、最初の本を出せたのは40過ぎてからだったから、まあ当たっていると言えるだろう。
次の人に出会ったのは30代になって間もない頃で、フライフィッシングの帰り道、たまたまローカル線の駅で車を止めて休んでいるときに、電車に乗り遅れたのか、次の次の駅のあたりまで乗せていってくれないかと言った熟年の女性で、横に乗るなり私の肩を指圧するように押し、「あなたは肝臓を大切にしたほうがいい」と言った。確かにその当時、私の肝臓の数値は少々高かったので、それから注意するようになり、今では数値も下がった。
話を聞けば、女性は「お祓い」(のようなもの)に行った帰りだと言う。いわゆる霊能者だったのであろう。
その人を家のそばまで送り、別れ間際に「自分は本を書きたいのだが、なかなかうまく行かない。どうすればいいんだろう」というように訊いてみたら、「先祖供養しなさい。そうすれば願いは叶う」と言われた。
それから5年ばかりあとに所帯を持ってから、それまでと違う感じの現象に出くわすようになった。
夜中にトイレに立って、扉の外に人の気配がするので、なんだ、連れ合いが驚かそうと思っていたずらしているんだな、ああ、たぬき寝入りをしているな、と思ったら本当に寝ている。
じゃ、誰だったんだ?というようなことが何度かあり、その存在が女性でどれくらいの年恰好かということが何となくわかるようになった。あるときなどは、プレデターの陽炎のような光学迷彩のような感じで、ほとんど姿が見えそうになったこともあるが、以前と違うのは、確かにびっくりはするが、もっと若い頃に感じた怖さはあまりなかったということだ。
しかしさすがにそういうことが続くと面倒だし、それ以外にもあれこれと問題が生じるようになったので、そういうことに詳しい人にどうすればいいか訊いてみたところ、「お経をあげるといいよ」ということだったので、半信半疑ながら般若心経を読んでみたら、確かにその種の現象はかなり減少したのであった。
しかしそれですべて問題が解決したわけではなく、ほかにもなかなかに面倒なことがあったので、再び詳しい人に尋ねたら、「あなたは経文を毎日読むような坊さん修業をしたほうがいい」というような話になり、もともと宗教嫌いだった私は固辞していたが、いよいよ切羽詰ってきたのと、宗教的組織活動はいやだが、先祖供養や亡くなった親戚、知人等の供養には抵抗はほとんどなかったので、諦めて、寺院のようなところで、アマチュア坊主の修業をすることになった。
修業と言っても、私のような人間でもできることだから、それほど大変なことでもなく、要するに一定の長さのあるお経を毎日読むということが主眼なのである。
誤解のないように記しておくが、あくまでも「経文」なのであって、その内容は僧侶が祭礼において読むものとだいたい同じである。
かくして、在家のまま、止むを得ず、アマチュア坊主の終わることのない修業(のようなもの)を始めてしまったのが三十代の後半であった。
同じ体質の人でないと理解不能だろうとは思うが、やらないと仕方ないという宿命は、どうもあるようなのである。
そしてそのような修業(のようなもの)を続けてゆくことにおいて、また別種の現象に遭遇するようになったのであるが、それは次回で取り上げようと思う。