キャンプという世界に潜むもの
ふつうに考えたら、キャンプというものはこの上もなく愉しく明るいことである。特に夏季の賑わっているキャンプ場がそうだ。
しかしときとして、そこに別の感興が忍び込むことがある。
日曜の昼を過ぎると、よほど混んでいるキャンプ場を除いては、場内は次第に閑散としてくる。月曜日になると、それは一層はっきりする。
周囲が静寂の空気に満ちる。松の葉が風に鳴る音、松籟が辺りに響く。遠くから鳥の声が聞こえる。
特に森の中にあるようなキャンプ場はそういう気配が濃厚になる。
キャンプ場のような、生の歓びの絶頂にあるような世界の中に、それと正反対の何かが浸透してくる。
言ってしまえば、それは一種「死」に近いような感興なのだ。
あまりに輝いている「生」は、どこかで浮世を乗り越えてしまう。するとそこにあるのは、この世とは思えないような美しい世界なのだ。
キャンプは時として浮世を超え、そういう世界にも一歩踏み込んでいくような時空を作る。
そういう意味では、精神的にけっこうな危なさを伴う遊びとも言える。
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