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雑木林の追憶

学生の頃、小さなアパートの部屋で暮らしていた国立(くにたち)には、雑木林の名残があった。
ほとんどが宅地化されてしまった街中に、部分的に木立ちが残っているところがあったのだ。

そういうところも両隣の宅地に挟まれて、長方形の土地になっていたが、地面は整地されずに凹凸があり、道路よりも盛り上がっていた。
そのようなところに、クヌギのような落葉樹が生えていた。
おそらく、宅地として国立が開発される前からそうした木立ちがあったのだろう。

土は褐色で、いかにも関東ローム層という感じだった。
冷え込んだ冬の朝は霜柱が立って、落葉と土を持ち上げていた。

友達ができるまで、国立で私は孤独だった。
宅地以外のところでも、実質雑木林になっているところがあり、そういうところを選んで歩いたりした。

落葉を踏みしめて歩く感覚は素晴らしかった。
私の故郷の平地には木立ちというものはほとんどなく、あっても黒松の林か、落葉しない照葉樹の木立ちだった。

冬枯れの木立ちというのも風情があった。
静岡の平地では、もともとの植生では冬枯れする樹木はほとんどないのだ。
冬も夏もあまり変わらない、ということになる。

冬枯れの雑木林では、そこに差し込む冬の陽がさまざまな陰影を作り出した。
日陰の霜柱にも小さな弱い光が宿っていた。

バブル経済の到来とともに、宅地の中や傍らにあった小さな雑木林は姿を消した。
今では記憶の中にしかない。

だがそのためにその存在感は以前にも増して強く、私はこれから先もそうした木立ちを忘れることはないだろう。

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白鳥和也/自転車文学研究室
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