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知らない場所

「ちょっとドライブしてくる」


休みの日の朝、手際よくアイスコーヒー用の氷をアイスピックで割りながら妻は唐突にそう言った。


「どこへ?」


と訪ねても釈然としない返事が返ってくる。ああ、いつものアレだ。とぼくは思う。



妻の趣味はカフェ巡りでもなければ、陶芸でもなく、ただ、ひたすらに行った事のない道や場所を見つけては其処に入っていくという一風変わったものなのだ。まるで地図の中にある未開拓の部分をマーカーかなにかでひとつずつ順番に塗りつぶしていくかのように。



神奈川県に住んでいた頃は2人して徒歩で、ただひたすらに歩きまわっていた。



適当に降りた駅の何の変哲もない住宅街や国道沿いをアッチウロウロ、コッチウロウロとそれはそれで楽しかった。脳の中にある普段使われることのない部分が活性化されているようで、歩き回った日は大抵、夜に見る夢が鮮明で強烈な事が多かった。


その当時はぼくも妻も片手にはビールか缶チューハイを持って歩いていた。


酒が切れればコンビニに寄って補充してまた歩いた。


夕方頃になると足の裏はジンジンと脈打ったように熱くなり、そして当たり前だけど2人ともへべれけだった。



日が落ちると、適当に赤ちょうちんの居酒屋で食事をして、その日に見た風景や住宅について話しながらまた飲んだ。



駅を見つけて電車に乗って自宅に帰ることもあったし、そのまま帰らない事もあった。



静岡に引っ越してから移動手段が車になったおかげで片手に持つものが缶ビールからアイスコーヒーに変わったけれど、妻のその趣味は今だに続いている。



「今回はどこに行ってきたの?」



帰ってきた妻にそう尋ねると



「今日は海沿いの道を下田の方にずっと南下しながら、入れそうな道はトコトン入ってきたよ」



移動手段が車になってから、ぼくは


「この狭い道だとすれ違いできなそうだな」



「行き止まりだったら大変そうだな」



なんてことを気にしてあまり冒険をしなくなった。普段の乗り物がバイクだからかもしれないが、軽自動車ですら、やはり小回りが聞かなくて不便さを感じる。



たまに、衝動的に大きな車に乗りたいなと思ったりもするのだが、コンビニの駐車場てわランドクルーザーなんかが停めるのに難儀しているのを見かけると

「ああ、やっぱり車は小さい方がいいな」と思ってしまう。



見知らぬ道、見知らぬ場所に行って初めての景色を見て帰ってくると、妻はずいぶん満足そうな表情で数日を過ごす。



そんなものがあるのかわからないけど、たぶん「開拓欲求」みたいなものが満たされたのだろう。



だいたい2年おきに転々と引っ越しを繰り返してきた2人なりの趣味なのかもしれないが



「あ、この前あそこの道入っていったよ」



と妻が指差す道を見ると、あまりにも狭そうで軽自動車ギリギリのサイズの幅だったりして



(あんなところ入っていったんだ。バイクでなら付き合えるけど、車ではこの趣味には付き合えないな)



とつくづく思う。

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只野 漠
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