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「虎に翼」の何に目が離せなくなっていたのか  472

車に乗るときにドアをパタパタして中の空気を抜かなくて良くなったことに「秋だなぁ…」なんて感じた本日。
雨も止んで気温も落ち着いたからか、お昼近くに犬の散歩をしている姿も見かける。
啓蟄しかり、人間も動物も当たり前だけど自然に合わせて暮らしてる、変化しているのがよくわかる。

今日は、新しい朝ドラを見ながらつらつらと感じたことを書いてみようと思う。

「おむすび」の主人公を演じる橋本環奈さんが紅白歌合戦の司会をした時に「かわいくてこんなにその場のニーズにスイっと応え、場をスムーズに流すことができて…才能溢れるってこういう人のことかぁ」と驚いたのが彼女を認識した最初だった。

今年はイギリスで「千と千尋の神隠し」のミュージカルもw主演で行っていたらしいとぼんやりネットで見ていたところからの今期の朝ドラだから「スケジュール、すごかったんだろうなぁ…」なんて、島の住人が心配するようなことでもないようなことを思うともなく思っていた。


高校生の年齢からスタートという、朝ドラの定番「主人公の幼少期」を描かないパターンは今回も用いられていて「ドラマの進みがスピーディーなのかも…」という勝手な期待をしていたりもした。

真剣に画面の前に構えて見るような見方をしていないから、とやかく言えた筋合いでもないのだけど…1週間を見終えて「あ、いつものパターンの朝ドラなのか」と、自分の中でちょっと熱量が下がってきた。


はい、ここで。
何を「いつものパターン」だと思っているのか?というところなのだけど。

B'zの明るい歌なのか(それはB'zっぽさの話じゃないのか?)、オープニングの作りなのか、家族の中の問題の描き方なのか(父と祖父の対立とか、グズっとするところがありながらうちでは元気な主人公とか)、それを当てがっている制作側の意図なのか…と考えるのだけど…

確かに「言えてる」けど「それ」じゃない。


じゃあ逆に「虎に翼」を録画してまで見ようとか、「シナリオ欲しい…」と早い段階で思ったのはどうしてか?

米津玄師の歌が「今までの朝ドラっぽくなくて」よかったから?
シシヤマザキのオープニングのイラストが好みだったから?
登場人物が、その描かれ方が面白かったから?
脚本にうなったから?

色々思い浮かぶのだけど、つまるところわたしは「虎に翼」は

「古くて新しいことをやっていたから」目が離せなかったんじゃないか?と思うのだ。


確かに「虎に翼」が描いた時代、描いた人物はわたし達からすると過ぎた時代のことでいわば「古いこと」。
調べればほぼほぼの流れはわかるし、その事実を脚本家や番組制作さんがどんなふうに描いたか、味付けしたのかもわかるのだから。

「史実と違う」「本当は…」みたいな言葉も散見していたけれど、そんな「ノンフィクション」を見ているなんてそもそも思っていないし、ココロを動かされたのはそんな「忠実」から生まれたことだけじゃない。


例えば「古い」ということを「古き良き」みたいに言う時、「現代においてもプライスレス」ということを意味していることは少ないと思う。
あの時代においてはよかった、でも今は…みたいなことがくっついているように感じている。

でも「虎に翼」は100年後の世界を「今」として生きているわたし達も、ほぼ同じような事象に対峙して生きているということを伝えていたし、その「今」と変わらぬものを抱えながら対峙し生きた100年前の人たちそれぞれから溢れたものを介しながら「古い中に新しさを見た」、「古い」と勝手に決めて、勝手に思いこんでいたものの新たな見方を提示されてたんじゃないかと思うのだ。

見る側の価値観を問われたドラマというか。

もちろん、脚本の素晴らしさ、制作の方々(時代考証とかそれぞれの国とのこと、時代ごとの家の中(間取り、好きだったー)、街の中の移り変わり、小物の数々の効き具合)の細部まで届くお仕事、俳優さんの力、いろんなものがあっての作品だとわかっているし、それが現代を舞台にしたもの、過去を舞台にしたものそれぞれあって、それぞれでテーマや作用が違うということもわかっている。

ただ、今回の朝ドラシフトを眺めながら、バブルの頃のような「見せる(魅せる)」ドラマを「ドヤさっ」「好きでしょ?」と出す時代は終わって、何かを「問う」たり、新たな流れや価値観を示す方へ変わってるんだろうなーなんて思ったのだった。


ドラマはそんな風に移り変わっているけれど、では現実を生きている私たちは何がどんな風に移り変わっているのか。
はて…。



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