本棚が表すもの 504
昨日、掃除が好きだみたいなことを言っておいてなんだけど…
日々の掃除みたいな軽めの掃除ではなくて、昨日みたいな終日のガチな掃除の後は、できれば泥のように眠りたいのが本音だったりする。
お掃除のプロの方からすれば「何甘っちょろいこと言ってんだ」だったり「やり方が悪いからそんな疲れ方をするんだ」みたいな言葉も出てくるかもしれないけれど…えぇ、素人はついつい全力→電池切れのちびっこモードでやりがちなんです、はい。
(「ちびっこモード」とは、100の力(全力)で遊んでパタっと電池切れになり、100の力(全力)で眠って100の力をチャージして目覚めるちびっこ達のサイクルのことをそう呼んでいる)
やり始めたからにはキレイにしたい、ここを使う人の快適はどこだ?なんてやり出すと、貧乏性ゆえか「あぁしたらいいかも」「これもやっとくといいかも」なんてわらわらと生まれてきて、色々やってしまうのだ。
以前はそれを「計画性のないよくないこと」と思っていたのだけど…「よく考えたらそればかりじゃないぞ⁉︎」ということで、現在はできる範囲での「ちびっこモード」を自分に許すようにしている。
そして運よく、今朝はゆっくりできた日だったので充電もしっかり完了といったところなのだけど。
そんな掃除をしていて思い出したことがある。
自分の家の掃除では見慣れすぎていてそんなふうに眺めることもないのだけど、よく「本棚はその人の頭の中を表している」なんていうことがある。
「なるほど、そんなものか…」なんて思って聞いていたけれど、考えてみると友人の部屋に遊びに行った時くらいしか人の本棚を見た記憶がない。
その人が「今、興味あるんだよね」ってこないだ話してた内容の本が並んでいたりして、ある意味「想像の範疇」に収まる本棚(観察)体験がほとんどだったように思う。
いってみれば、想像の範疇の本棚でも「その人の頭の中を表している」ってことではあるのだけど…わたしは「そうそう!本棚は絶対頭の中の現れだよ!」なんて力強く言えるほどのサンプル体験がないように感じていた。
そんなわたしだけど、たまにお邪魔した先や昨日みたいにお掃除している時にはからずも本棚を目にすることがあって、そういう時はやっぱりちょっとドキッとする。
そのお宅の「洗濯物を見てしまった…」というドキッとは違うドキッ。
もうちょっと、隠れていたものを見てしまった感じというか…その人の知らない一面を見た時のちょっとした「シビれ」みたいな感じ。
別にその人の昔の写真だったり、言ってみれば「生きてきたカタチ」を目にしたわけでもないのだけど、本のようにそのものには温度がないけれど、その中に書かれている世界が生み出す温度の生々しさが逆にその人の温度のように感じられて、グッと何か今まで動いていなかった世界が動き出すような、そんな躍動感を感じることがある。
昨日見た本棚は、そんな本棚だった。
ご本人はいつも豪快にご機嫌に笑ってて、いわゆる勢いのある方ではあるけれど、わたしがお会いした時にはすでにリタイアした後だったから、お勤めのオンタイムの頃のお話はご本人や周りから聞く話でしか知ることがなかったのだけど。
それが、ご本人不在の中ひょこっと目に飛び込んできた本棚に釘付けになってしまった。
土木設計、法令、政治、街づくり…並ぶ背表紙の題名を眺めながら
「あぁ、そうだ、この世界の方だった」
と改めて自分の中のクロスワードのように抜けている部分を埋める作業をしているようだった。
お話していて時折見え隠れする、仕事への心意気や誇り、勢いと日々の小さな刻みのコントラスト、仲間とのつながり方に自分自身の有り様の整え方…
なるほど、この本棚の中身がその方の土台の一部、巡っていた血肉だったりしているんだ…そう思うと、なんというか…こちらの背筋も伸びたけど、もうひとつ、今まで以上にわたしからその方を見るときの「奥行き」のようなものが生まれたような気がした。
そうか、ということは…やっぱり「本棚はその人の頭の中を表している」ってことなのか…というか「その人を表している」ものなのか、と思い直した。
思い直した挙句、自分の本棚を離れたところから眺めてみた。
ざっくり、精神世界、身体のこと、自然療法、植物、農業、雑貨の本、小説、漫画、写真集に画集…
…うん、予想通りぼんやりしてんな…そんなことを思いながら本棚を眺めた夜だった。