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つまり、そんなにしたくなかっただけ…という話 611
お昼から昨日の続きでゴソゴソと片付けをしていた時、瀬戸内は揺れたらしかった(とはいえ震度1)。
珍しく近くの震源だったこともあり、「え?その時何してたっけ?」なんて思わず真顔で考えたけれど…片付けの最中だったことしか思い出せない。
こんなこと言ってられるのは幸せなことだとわかっているんだけど…ね。
友人のお母さんが311の時、フラダンス教室の最中で揺れに気づかなかったという話を「マジで?そんなことあるん?」なんて聞いていたけれど…どんどん自分もそんな風になってきたってことか?…って、こちらは震度1でまだまだひよっこですが。
そんな本日の片付けは…不発だった。
不発って言い方がよくないかもしれないけれど、昨日の感じとは全く違って我ながら「?」な時間になってしまった。
着地を決めずに「細々したものを精査しよう」くらいからのスタートだと思っていたら…その精査はいつかの自分がもうやっていた。
やってくれていたんだからすぐ次に進めばよかったのだけど、その「次」が全く浮かばなかった。
他の場所にあるものと合流させたいという思いもうっすらあったり、片付けた後の使い方はどうだったらいいのか?ってところまで自分の中が今ひとつハッキリしていなかったこともあったり…結局、扉を開けて、ただ閉めたみたいなことになってしまった。
予想外の空いた時間で他の細々した日常の片付けをしたけれど、なんというか…昨日ほどの満足感からは程遠い、モヤっとした着地となった。
これって「何の力が必要ってことなんだろう?」なんてぼんやり考える。
例えば、カーテンの見本生地とか、ペンキの見本の色とか、壁紙の見本とか小さいカケラで見本を渡されるもの、結構あると思うのだけど。
みんな、あれでどのくらい自分の部屋や家の姿をくっきり想像できているんだろう?なんて思うことがある。
それがわたしはどうにも下手だから。
ここで必要な力も「そういうものっぽくない?」なんて思っている。
想像力が弱いっていうだけじゃないでしょ、これは…
なんか別の題名がつく能力が欠けてるってことじゃないの?
空間認知能力ってやつ?それとも…何?何があったら「あーはいはい」って余裕で想像できて、余裕で「こっちがいいです!」って選べるんだ?
インスタなんかで渋めのボルドーみたいな色の塗料を壁紙にコロコロで塗りつけている動画なんて見ると「いいなー」なんて思うのだけど、「この数種類の中から選びました!」って小さな何色かの色見本を見ると「なんでこれを選んだんだろう…」なんて結構真剣に考えてしまった。
もちろん「好きだから!」「こういう色にしてみたかったから!」みたいな思い優先ってこともあると思うけど…「ここ塗るなら…」がちゃんと存在して選んだ時って何かを「観てる」んじゃないかなぁと思ったりするのだ。
って、こうやって書きながら「これって、シャーマンの皆さんが何を見ているんだろう?」って興味持ったのと同じ問いかけじゃないか…と気づき、自分のパターンに「またか…」とため息をついた。
視えてるからやるんじゃないのだよ。
やりたいからやるのだよ…ってやつだ。
ってことは、今日のわたしは大して片付けしたくなかったってことか…
地味にしっくりくる理由で悔しくもあるけれど、結局そういうことかもしれない。
基本的な取り違え…。
今日は昨日の続きじゃないってこと、忘れてたねぇ…。
こういうの、少なくしたいよね…なんて紅茶をすすった夕方だったのでした。