
一年ぶりのおでん 526
晴れの日だと思っていたけれど風も強く、昼からは思わぬ強さの雨も降ったりで突然冬が来たような気分になった本日。
まだそんな天気になる前に、わたしはなんだかどうして「今日はおでんにしよう」と決めていた。
数年前から我が家のおでんは弓田亨さんのレシピのおでんが変わらず続いている。
弓田さんのいわゆる「弓田めし」を知ったのは「マーマーマガジン」からだったのだけど、パティシエの弓田さんが紹介してくれるご自身のレシピは和食から洋食まで幅広く、いりこや厚削り節、ナッツや海藻などとにかく一つの料理に入る食材の数がたくさんあって、本当に力強い味の食事になる。
今までの食卓でも馴染みのあるメニューが初めてのように感じるほど、時には別のものに感じるほど濃厚というか複雑というか…。
そう「味が」というより「イノチ」が溢れている感じ、「イノチ」の複雑さを感じずにはいられないいろんな意味でチカラのある食事だと思っている。
だから「おいしい…」と体中に沁み渡り、本当にエネルギーが養われている体感を持つときもあれば、こちらのコンディションが悪かったり甘かったりするとtoo muchに感じたり、そのエネルギーが濃すぎてしんどく感じたりすることもあった。
そんな時は「イノチ」のそのままを受け取れないほどのコンディションなのだと、自分の状態を観察するのにもってこいだった。
それが、何をどうしたのか昨年は一度もおでんを作らなかったみたいなのだ。
毎日何を食べたか記録しているわけでもないから「そうだっけ?」みたいな感じでもあるけれど、どうやらそうらしい。
…じゃあいったい何を食べて冬を越したんだ?なんて、結構真顔で考えてしまうじゃないか。
厳密に言えば、我が家のおでんはガッツリ弓田さんのレシピ通りではなくなっている。
お出汁や工程はそのままなのだけど、タコやスジなど、うち向きではないものは自然と入れなくなっていったし、練り物やスジの代わりのお肉なんかはレシピにないものも入れている。
でも、作っているとやっぱり紛れもなく「弓田めし」なのだ。
大ぶりに切ってしっかりそのものの味を味わう大根や人参、後から入れて小一時間したら取り出すジャガイモ。
その間もずっと温度を測りながら、お湯を足しながら煮続ける。
別の作り方のおでんとはやっぱり違う。
何が?おでんはおでんでしょ?ってとこなんだろうけど…やっぱり違う。
それは弓田さんの季節の炊き込みご飯でも、具沢山のお味噌汁でも同じことが言える。
レシピにはご本人の一言が添えてあったりするのだけど、とにかく現代の野菜の味や栄養のなくなりようを嘆いていらして、それを補いながら食べる喜びを全身全霊で受け取れるようにというココロがそこにあるレシピ。
それが「弓田めし」だと感じている。
そんな弓田さんもお亡くなりになったことを知ったのは数ヶ月前だった。
お会いしたこともないけれど、なんだかずいぶん淋しい気持ちになった。
ご本人の語りから溢れるように感じられていたあの熱量が、手元にある本だけになったように思ったからなのだけど。
でも、考えてみると、わたしはこの本からたくさんのレシピを教わり、作り、味わい体験してきた。
ということは、わたしの何%かは紛れもなく弓田さんの思いから生まれた料理で養われているということなのだ。
言葉で、体験で、ちゃんと受け取らせてもらっている。
それを、別の人にも伝えられている。
そして、これからもきっと作り続け、食べ続ける。
そして、そんなことを頭に浮かべる暇もなく、今晩のおでんもやっぱりおいしくて、「やっぱりこれだよね」って話しながら、うれしくしながら食べて…
そう、もう我が家の味になっているんだよね。
そんなたくさんの料理を伝え、残してくれたことに感謝を。
そして、その料理で体も心も養いながらこれからも生きるのだ。
本当にありがとう。