眠さは続くよ本日も… 461
昨夜はこの夏始まって以来(って、もう秋だけど)久々のエアコンを入れずに寝た夜だった。
たった1日の雨、しかもそんなに量のない雨でこんなに秋めくとは…
「秋分ってタイミングに寄せてきたの?」なんて理由を色々妄想し始めると収拾つかなくなるので早々に頭の中で終わらせる。
この夏の間中鍛えられて「暑さ慣れ」してる自負はあれど、「寒さへの対応」や「寒くなっていく道中でのふるまい」をさっぱり忘れているらしく、ちょっと肌寒く感じたからとタオルケットをかぶっても「え…これでも寒いの?」なんてちょっとビクつく自分の万年フレッシュ味あるリアクションに一人苦笑いする。
昨日は宣言通り早く寝たにも関わらず、今日も眠さは続いている。
読みたい本を読める待望の時間が持てたにも関わらず、本を開いて早々に寝落ちしていたり…そんなだから、これを書いているわたしの右のほっぺにはヨガマットの丸い小さな模様が転写されているのだけれど…。
春は春眠なんて眠くなるものと思ってるけど、秋ってこんなだったっけ?
こんなことを書きながら「これって自分の知ってる秋を今の中に見ようとしているってことだよなぁ…」と気づく。
だから知らないと探し始めるんだな…。
知らないことを「知ろうとすること=調べること」これっていいことって思ってたけど…辞書で図鑑で調べるのとは、ちょっと意味が違うんだ。
逆に、知ってるものを探そう、知ってるものに当てはめて分かろうとすることは、ちょっと危ういことなのかもしれない。
「今はそうなんだ」「これはこうなんだ」が抜け落ちてるから。
「あの時と一緒だ」「これと同じことだよね」
そのものを判別したようで「あの時」のくくりを、「これ」の種類を増やしただけなのかもしれない。
そのもの単体を見る、受け入れることをすっ飛ばしているのかもしれない。
例えば電車が時間通りに来なかったり、そのせいでもらってたお得なチケットが無効になっちゃったり、そんなタイミングで家族のトラブルの話を耳にしたりすると、「あー悪いことは重なるー」なんて捉えがちだけど、これって、ひとつひとつに因果関係はまったくないらしい。
因果関係がないってことは「原因」も「結果」もないってこと。
それだけがただ起きたってこと。
もっと言えば、それ自体には「いい」も「悪い」もなくて、自分がそれを「いい」と思うか「悪い」と思うか、ただそれだけ。
物事のラベル貼りは個々人のモノサシで行われている…って話をそういえば聞いたんだった。
ということで、本日のわたしは
とにかく眠くて
読みたかった本を読めておらず
ほっぺにヨガマットの型がついていて
晩ごはんのメニューを決めていない
それだけなのだ。
「それだけって、まぁまぁ…どうなん?」と思うのはわたしのモノサシだからそう見えるという、ただそれだけ…ということで。