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夏の終わりに車の話  433

今日から新学期のところもあるようで…。
油断していたら、あっという間に「切り替え期間」がやってきている。

外はまだまだ暑いし、空だっていい感じに夏っぽいし…なんて目には映るのだけど、きっと海に入れば水の温度だったりその時の風だったり、はたまたくらげの数だったりで夏の初めの「それ」とはちょっと違うってことが体感として伝わってくると思う。


これだけ世の中「夏」だったのに、これだけ海が近いのに…
今年の夏も海に行かなかったことに今頃気づく。
気づくなんていうとマイルドだけど、人の多い海っていうのが苦手だから自然とハイシーズンの海に近づかなくなるというだけなのだけど。

そんなことを思っていたら、今年の夏はロングドライブをしていないことにも気づく。
またどっか行きたいなー…なんて思う自分に笑えてくるのは、小さな頃の自分が聞いたら真顔で怒りそうなことだから。


わたしは車酔いする子供だった。

学校の遠足でバスに乗って遠出…なんて時にはもう、その前から緊張と「なんでそんなことしなきゃいけないんだ」という怒りとでまぁ…ドス黒いブルーな日々が続いたりした。
体調悪くてタクシーで病院の時も辛かったな。

あの頃は何故か窓を開けることを嫌がる大人が多い印象だったけど…
空調きいてた訳でもないのになんだったのか、今でもよくわからない。

家族や知人が運転する乗用車でも酔うし、挙句こういう時に何故か大人の誰かが
「大丈夫?」の前に「早く寝ないからだ」「姿勢が悪いからだ」「そもそも普段の…」みたいなことを言いだすのがパターンだったから、ここぞとばかりに言われることと気分の悪さと体調の悪さで、結局「誰だよ、車作ったやつ」みたいに車を嫌いになる矢印しか自分の中に生まれてこなかった。


そんなわたしの車への印象が変わったのは、やっぱり自分が運転するようになってからだった。

とはいえ、免許は欲して取りに行った組ではなかったけれど。
学生の時に手にした免許は本当にただの身分証明書だったし、その身分証明書すら「学生の間は実家に置いていけ」のお達しだったので、ハタチを超えても車とわたしの関係に大きな変化はなかった。


変わったのは社会人になって通勤のため、どうしても車に乗らないといけなくなったからだった。
「4年の間に乗ってればこんなことにはならなかったのに…」なんてブツクサ言いながら、すっかり忘れた運転から車庫入れまでを夜な夜な練習したのもいい思い出だけど…。

そんな理由で思いもよらずいわゆるマイカー生活が始まったのだけど、慣れてしまえばとても快適だった。
(今でこそこんなこと言ってるけど、必要にかられて車を買うときのわたしは免許を持っていたくせに普通車と軽自動車の区別もついていなかった…)

最初は誰かと予定を決めたり、お願いしたり、行き先を妥協したりしなくていいという開放感がうれしかった。
でもいつしか気づいたのだ「自分が運転すれば酔わない」ということに…。


もう、これ以上のことはなかった。
酔わない快適さと、ここぞとばかりにブツブツ言われないことがあまりにも素晴らしかったので、「運転疲れるでしょ?」なんて言ってもらっても「全然平気!なんなら元気になります!」みたいなもんだった。

そんなにどこへでも行きたい方でもなかったし、詳しくもなかったけれど、何故だか初めての道でも「迷ったら戻ればいい」と思っていたから、ひとりでも「行く!」と決めれば緊張こそしても怖くはなかったように思う。


そんなこんなを経て、じゃあもう車酔いからは解放されたの?といえば、どうも違ったみたいでw
助手席だと平気だけれど、後部座席はやっぱり鬼門であることに変わりはないようで…じわじわと「姿勢が悪いからだ」説が本当だったのでは?なんて思えてくるから恐ろしい。


そういえば、秋元康さんが結婚を決めた理由が、ドライブの時に「酔い止め」として高井麻巳子さんがおへそに梅干しを貼ってバンドエイドで止めてきたから、みたいな話があったな…なんて思い出す。

車にはいろんなエピソードがたくさんあるんだろうけど、結局、ごきげんさんで乗れることが一番いいってことだろなーなんて思ってしまう。

こんなことを書いていると、どっか行きたくなてきたな…
台風が来るとか言ってるのにな…なんてタイミングだけど、お天気を見ながら「車でどっか行こー!」と決めた朝だった。




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