「自然豊か」というけれど…454
からだをゆるめる
この言葉、よく耳にするようになったけれど…
自分の身体がゆるんだ状態をわかっている人ってどのくらいいるんだろう?
リラックスとか自然体とか、それっぽい言葉はたくさんあるけれど
どんな状態になったら「ゆるんだ=リラックスできている」なのか
逆に、身体がどんな状態になったらストレスがかかっているってことなのか。
歯を食いしばった状態なら、それをしているときに自覚できているのか
肩に力が入っているなら、その状態の最中の自分に「あ、力んでるやん」って気づけるのか。
ストレスなんて言葉が日常に飛び交うようになって久しいけれど、実のところ自分のストレス状態をはっきりと意識的に認識できている人って案外少ないかもしれないなんて思ったりしている。
これね、意識的じゃない人を責めているんじゃなくて、「なるほどな」と思う言葉を聞いてそう思ったからなんだけど。
その「なるほどな」の言葉というのが…
ある女性が、自身のストレス状態を解放するのに「緑の多い、自然の豊かなところへ行きたい!」と旦那さんへリクエストしたという会話が始まりだった。
曰く、彼女は沖縄育ちで海も山も日常だったと。
しかし、海外での生活が始まり、その中で必死に頑張っていたら何やら自分が不安定になってどうしようもなくなった。
そこで自分を振り返ってみると「そうだ!こっちに来てから自然のあるところで過ごしていない!」と気づき、そのリクエストに繋がったということだった。
すると、その話を聞いていた別の女性が言ったのだ
「わたしみたいに都会育ち、都会住みにはその状態のときに即『自然の中へ!』という発想が出ないかも」と。
それを聞きながら
「なるほど、都会の人ってそんな感じなのかー」「小さな頃からなじみがあるってそういうことかー」
みたいなことをぼんやり思っていたのだけど、はたと自分へ質問が浮かんだ。
「で、わたしは自然の中に行けばリラックスできてるの?」と。
小さな頃から畑には行っていたし、畑はもちろん世の中的には自然の部類。
ということは、小さな頃から自然に触れていたと言えるのだけど…
よくよく考えてみると、わたしは畑で…
家や街中よりは身体が楽(主に帯電が抜けるような)ではあるけれど、100%のリフレッシュを得ているかといえば、答えはNOなのだ。
確かに木々も野菜も土も草も「自然」で、しかもバッチリオープンエアー!
どう考えたって「自然」なのだ。
なのだけど…わたしにとってそこは「社会」も同時に見え隠れする場所でもある。
例え誰もいなかったとしても「何か作業ができるんじゃないか?」「何かしないといけないんじゃないか?」みたいなことは正直、頭をかすめる。
(体力を使うという意味の)運動としての発散も、深呼吸をする場所としても、植物を触った時の感触でホッとするのも、もちろんリラックスへ続くことだし実際そうだと思ってきた。
でも、ちょっと待て。
わたしには「ちょっと待て」のエピソード、保留していた案件があるじゃないか…と思い出す。
というのも、数年前、食べること、料理することにどん詰まっていたわたしに旦那さんが言ったのだ
「場を変えることも移動することも大事だから、作業しなくても畑に行ってみるのもいいかもよ」と。
「確かにそうかも…息ができるかも…」と思いながらわたしは言った
「何もしなくていいん?」と。
その時の自分がそれ以上消耗するのは無理だと思っていたから。
そうしたら彼はサラッと言ったのだ
「うん、何もしなくていい。
そこで本読んでも、昼寝しても、日記書いてもいいやん」と。
今なら本当にそうだと思えるし、するけれど、当時の自分に浮かんだのが
「そんなことが通るん?」だった。
…誰が通さないんだ?と今なら聞きたい。
周りが…なんて思ってるけど人のせいじゃない、自分の思い込みだろって言いたいところですが…。
で、自然っていうのにも種類とかそれぞれの定義・意味付けがあるんだということがわかったように感じて、だったら植物がたくさんあるのが「自然の場所=リラックスできる場所」と大ぐくりにするよりも、「自分の体の反応が一番ゆるむ場所ってどこだっけ?」をモノサシにした方が本来の目的にズレがなくていいじゃないか…なんて割と当たり前のことに納得したのだった。
これって「バカンスは海外旅行!」みたいなのも同じだよね、きっと。
「わたしのバカンスは植物園で昆虫と戯れることです」
「バカンスといえば仏像に会いにいくこと」
「最高のバカンスは本をたくさん持って旅館に籠ること」
このどれもが最高の充電になる=本当の意味でのバカンスだよね。
だから自分にとっての「山の自然」と「島の自然」の意味が違うんだ…ということも理解できたと同時に「ソロキャンプ」の意味もちょっとわかってきたかも…な本日だった。