一年越しの「うしろの世界」 395
去年の今頃「うしろの世界」のことについて書いたのだけど…って裏社会のことじゃないよ。
自分の背中側の世界、目では見ることのないゾーン、あるようなないような…でもないワケないゾーンのこと。
そんな自分の「うしろの世界」のちょっとしたアップデートにひょんなことから気づくタイミングがあったのだけど。
何を隠そう、その気づくタイミングをもたらしてくれたのは…
わたしのクオリティオブライフを昨日一日揺らし続けた首肩の痛みだった。
昨日の夜、さぁ寝ましょうって時に、やっぱり朝の痛みの再訪はやめてほしいなぁ…なんて思い浮かぶわけで。
そんなだったから、色々姿勢以外の原因も思いつく限り考えていて
「夏だからって髪を乾かさずに寝たのがよくなかったのか…」
「いやいや、枕にちょっと違和感があったのを放っておいたからじゃないの?」
「っていうか枕の高さ?」
なんてつらつら浮かんできた中で「じゃあ試しに…」と手近なところで枕を一段低くしてみた。
わたしは結構な枕ジプシーだった時があったのだけど、ここ数ヶ月はバスタオルを重ねるor丸めて使う枕をしていてとても調子がよかった。
よかったのだけど…それを教えてくれた整体師さんの投稿ではわたしの使っている状態だと「高さが高すぎる」ようなことを書かれていて、ちょっと頭の隅っこにそのことが引っかかっていたので、自分の中では期せずしてこのタイミングで修正をかけることになった。
その枕を使って過ごして一夜明け…
今朝は昨日の痛みをかすかにしか感じることがないほどの回復だった。
正直、自分でやっておきながら「枕でここまで痛みが減ると思ってなかった…」とちょっとひとりでバツの悪い感じがしていた。
とはいえ、日常動作の度に気になるほどの痛みがないということの快適さたるや!
と思えたこの体験が、今後他の方の痛みを軽んじないほどの想像力には繋げていきたいものだとも思ったりした。
そんな痛みから抜けた本日、いつもみたいに自分が気づいたタイミングで
「足の親指に力が入ってぎゅっとなっていたら伸ばすー」
「足指を前に伸ばすのと同時に土踏まずにも意識ー」
「かかとへの荷重が薄くなって、足は外旋していくー」
なんて、布団を片付けながら、台所に立ちながら、外を歩きながら、その度に足元から体重の乗り方や重心の置き場所をチェックしていた時、思い出した
「そうそう、あごが上がってるのをやめなきゃ」と。
で、ただあごを引けば二重アゴ案件なので、これまた以前SNSで見たトレーナーさんの言っていた「あごの引き方」を思い出し、耳を前回転させるようなイメージであごを斜め上後ろに引き上げるようにしてみると…以前よく耳にしていた「頭のてっぺんから糸で引っ張り上げられるような感覚」というのが「このこと?」と思うほどしっくり感じられたのだった。
そうこうしていたら、意外なことに肩甲骨の間、そう背中が勝手に背骨を境にグーっと中央に寄り始めたので、正直驚いて様子を観察?感じて?いた。
「そうだそうだ、ここで力んでたらこの動きが止まっちゃうかも」なんて思い、足のスネから順番に力が抜けているかチェックしていく…
こちらもまた、膝の力を抜いた途端、グーっとおへその上下が思った以上に伸び始めて、正直「お腹ってこんなに空き空間があるものなの?」と自分の体ながら初めての体感を重ねていた。
膝の脱力には前スネ、前ももに入っていた力が勝手に裏もも、お尻の下側に移動するというおまけ体験まであって、本当に「余分な力が抜けている」ことで体がやってくれることのすごさをありありと感じられて、自分の身体ながら感心しきりだった。
背中も肩甲骨の下までは自分の意識が届くように思えていたのだけど、肩甲骨から頭蓋骨の下まで、まさに昨日痛んだところまでが自分としての「感覚がない、もしくは鈍い」「わからない」ゾーンとして存在していたから、余計にこの部分の動きが感じられたのはとても新鮮な体験だった。
で、新鮮な体験ということは…そう「動いた」ということで。
動いたということは「あった」ということ、「存在している」ということでもあって…そう、一年の時を経て、わたしはいよいよ「自分の後ろの空間」を認知し、動かしていくターンに入ったんだ…と理解した。
「ある」と知っていても、それは知識だったり、誰かの話だったりでぺちゃんこだった空間に息吹が吹き込まれて、これから膨らんでいくような…動きだすような…そんな感じ?なんて推測しているけれど…正直これからなんてわからない。
少なくとも血や体液と一緒に何かしらの「気」が通った、巡りだしたってことならば、わたしの「うしろ側人生」は今日からスタートとも言えたりして、なんだかちょっとニヤけてしまうのだった。