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「やめること」を決めること  405

今でもあるのかな?夏休みの予定表。
もちろん夏休みのスタートから終わりまでの日程記入からはじまり、1日24時間の時間割まで…
そう、円グラフを自分で割って「ここで起きて、ここで勉強…」なんて、やらないことを知りながら書き込んでいく予定表…。

「しっかりその通りにしてたよー!」なんて人は存在してるんだろうか…。
「全力で予定表を守って、2学期から益々レベルアップした自分になるのだ!」なんて爽やかにやりきってしまうのも、今思えばある意味効率的なことかもしれないけれど…。

なんか、こうやって書いてると、守らないってわかっていて「守ります!」って言う「ダブルスタンダード感」というか「公然の嘘」というのはこうやって始まり、じんわりと人間のあるところを麻痺させていくんだな…ということが分かって、ちょっと切なくもなる…。


さておき、ここで大体共通しているのは「やること」を決めるということだと思っている。
「これをする」「あれをやる」
うん、行動を予定するんだから、それが普通だということはよくわかる。

「やる」と公言する(書いて見えるようにする)と、自分も周りも認知するからやりやすくなったり、よき側面が多いんだろうとは思う。

そこで、自分の立てた予定に押しつぶされそうになるとか、そんなのも夏の思い出かもしれないけれど…。


ただ、もしかしたら最近の人類には「やらない」ことを決める方が色々効果的かもしれないなんて結構真剣に思ったりする。

「だらだらYouTubeを見ない」とか…色々あるよね。

「やらない」ほうが生活が引き締まったり、リズムがつきやすくなるみたいな効能は「やること」を決めるよりスムーズに結果が出るかもしれない。


大人になっても「ステキだな」なんて思う人が現れて、じゃあ「ステキなその人は何をしてるんだろう?」なんてリサーチして、使ってる化粧品を同じにしてみるとか、同じような運動してみるとか、服のブランドを揃えてみるとか…そんなのはわりとメジャーなやり方だと思う。

そこで、そのステキな人は「どんな価値観でいるんだろう?」なんて、もうひとつ違った見方をしてみる。
どんな基準で化粧品を選んでいるんだろう?
何が理由でその運動を選んだんだろう?
そのブランドの服を選ぶ理由は…
なんて、何も考えずにコピーしていたところから一歩進んでみる。

それでもずいぶん面白い情報を得られたり、変化のきっかけになるようなことはあるだろうと思うのだけど…

ふと思ったのだ。

それを見ている自分がそもそも「何を抱えたまま」そのステキな人の情報を見ているんだろう?って。
その抱えたものをフィルターとして見ても、重たいだけ=軽やかに変化していくには「邪魔になるものがある」ってことじゃないのか?と。


たとえばステキなあの人は「とても豊かな人」だとしたならば。
「わたしも豊かな人になりたい」の前に「貧乏(な自分)をやめる」を決めた方がスッキリと「濁りが少なく」軽く願う矢印の方へ移動しやすいんじゃないか…と思ったら、結構震えたのだ。
そう、その自分の中の無意識の「濁り」になっているものの影響は思った以上に大きいように感じられたりする。

自分を「貧乏」と思っていなかったとしても、ここぞ!という時にお金が理由で諦めるようなことが続いたりすると「お金のないこと」に慣れる=当たり前と思うようになる自分も出てきたりする。
そこを潜り抜けるべく「節約」やあの手この手があるんだろうこともわかるのだけど、お金のない状態に慣れて「仕方ない」に変化しだすとそれこそ自分から変化が遠のくことになるよね…とも思う。

この「慣れ」や「思い込み」って結構厄介で、スルッと自分の中に馴染んでいたりするように思っている、まるで贅肉のように…。


で、これって大きく「断捨離」ってことだ、と思ったのだ。
ものを捨てることで、記憶や執着をリセットするっていうのがメジャーな断捨離のイメージかと思うけれど。
この自分の頭の中の「初期設定」というか「思い込み」「前提」、こういうものを「やめる」。
その状態の自分でいることを「やめることにする」と決めることって、本当にこれまでのパターンを「断じて」その思い込みの状態である自分を「捨てて」その思い込みから、その状況から「離れる」ってことじゃないの?と。

その思い込みの場から離れて、新しい場に足をつくようなイメージというか…。

そう思うと、案外決めるのは「やること」の前に「その自分でいること」を「やめること」で、そのことが大きく人生を動かしたりするんじゃないの?なんてツラツラ考えていた夏の午後だったのだ。





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