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体内の「隠れキャラ」が目覚めた夏  427

「あ…まっすぐ切れてる…」

先日グズグズ言いながら作った「だっす」にわたしが一番ハマり、今日も今日とてなすびをみじん切りしている最中に気づいた。

みなさんからしてみれば「まっすぐ以外にどう切るんだ」って話かもしれないけれど、わたしには結構重大な出来事なのだ。

というのも…わたしは自分が「まっすぐだ」と思って切っても、なぜか断面が斜めになってしまうクセがあり、どうにも直せずにいた。

そぎ切りをしていると思えばなんてことないかもしれないけれど、こちらからしたら「まっすぐ」を狙っているんだから、自分の中では完全に別物が毎回出来上がってくる…真面目に受け止めるとまぁまぁのストレスだったりするのだけれど、毎日ごとなので息苦しくもスルーする術を仕方なく身につけた、というか発動している次第なのだ。

その昔、模型の授業で作品の内容よりも切断面を心配され「端材の発泡スチロールで練習しなさい」と講評後ずっとカッターを滑らせたこともあったな…。
(結局、斜めばっかり量産して呆れられたけど)


そんな自分が何にも考えずに切っているものに、まっすぐ刃が入りまっすぐ引かれてまっすぐの断面のものが現れ続ける光景がまな板の上にあるなんて…初めてじゃない?なんてじんわり眺めていた。

でも、なんで今日なんだろう?
意識して刃の角度を変えたりしてないし…
なんでまっすぐ刃を下ろせるようになったんだろう?

そんなことをツラツラ考えていたらひとつ思い当たることがあった。

「尾骨だ…尾骨が登場したからだ」。


そう、最近、わたしの人生には急激にスポットライトが当たった存在がいる。
それは「尾骨」。

尾骨といえば、いわゆる「しっぽの骨」のこと。
え?しっぽの骨って全員にあるじゃん?て話だし、わたしもそう思っていた。
人類は長いしっぽを持たなくなって久しいし、「自分の一部」としてしっぽのあった先祖の時代のことや、日常の自分の尾骨のことを意識に上げながら暮らしている人はそんなに多くないと思う。
もちろんわたしも、申し訳ないけれど「チームわたし」の一員に尾骨がいるということを忘れて人生を送っていたということにこの夏、気が付いたのだから。


先日、自分の骨(骨格)を簡単に絵に描いて、それを模型として使うために切り取る作業をとあるイベントでしたのだけど。

その時に教わった話では、どうやらこの「尾骨」がわたし達の体の中でとても重要な役割を担っているということだった。

その話を耳にするまで、わたしの中では頭から下に向かって連なる背骨の終着点は仙骨だった。
もちろん教科書や模型で見たときは「人類の進化の名残」みたいなものとして尾骨が存在しているということは頭ではわかっていたけれど、正直自分の体に存在していることを本当にすっかり忘れていた。


それが、その骨格のことを教えてくれたイベントの中で「じゃあ、尾骨を上に持ち上げてみて」なんて言われた時には「え?尾骨って持ち上がるの?っていうか自分でなんとかできるやつ?」なんてまさかの呼びかけに思わず自分のお尻に尾骨を探しに行ってしまった。

仙骨から指を下に滑らせると…確かにある、ボコっボコッと指に当たる感触が仙骨のそれとは違っていて、まさに模型の尾骨と同じような形状であることを物語っていた。

そのイベント以降、教わったように尾骨を意識してみたら…足の指の変化から姿勢の変化まで、今まで自分が思っていた「体内の間取り」が「え?」と自分で驚くほど変わり始めている。


で、冒頭のなすびがまっすぐ切れるようになった理由は、つまるところ骨の位置?
体内の間取り?体の使い方が変わってきたから?ではないか…と思ったのだ。

というのも、自分の体感として今までと確実に「違う」から。
なんていうか、矢印が全く「逆」なのだ。
「逆」なのに気持ちいい、「逆」なのに楽、「逆」なのに空間ができる感じがする…って「逆」だから起きているってことかもしれないけれど。


そんなこんなで「体の変化はなすびを通して可視化されるのか…」と何やら感慨深い一日だった。





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