夏の108冊? 379
今朝、「言語化が上手な人の頭の中」みたいな話を聞いた。
聞いたって言ったけど、厳密には見る(聞く?)つもりはなかった。
というか、勝手に始まった…そう、YouTubeが勝手に次の動画として再生し始めただけなのだけど。
その中でお話していた男性に「言語化が上手な人の頭の中ってどうなってるんですかね?」と質問がなされた。
喋り慣れた感じで画面の中の男性は「〇〇ができる人のことでしょ?」と会話が続いていく。
「ふーん…」なんて半分閉じたような目をしながらぼんやり聞いていた。
そして、言語化ができる人は「後天的にも作れる」という話になった。
その質問に答えている男性も「言語化ができる人」として何をしてきましたか?と問われ、「夏の108冊ってあるでしょ?あれ全部読んだ」と答えていた。
「…夏は100冊でしょ。それじゃ煩悩の数だよ。」
なんてボソボソ言っていたら、その人は言うのだ。
「好きか嫌いか、読みたいかどうかは関係ない。ただ全部読んだ。それがとても力になった」と。
「あぁ…なるほど、そういうことか」途端に腑に落ちた。
わたしは夏の100冊が好きだ。
厳密には、夏の100冊を眺めるのが好きだ。
夏休みが始まる少し前の本屋さんには各出版社さんのブースができていて、文庫本がズラリと並んでいる。
その光景も好きなんだけど、それぞれの出版社の今年の夏の100冊をまとめた冊子、あれが好きなのだ。
そう、読んでなくても読んだ気になれるアレ。
あの話題作はもう文庫になって夏の100冊に入ったんだ、とか
あの定番の名作を、このテイストの表紙でまとめたんだ、とか
イメージキャラクターのこの人は…誰?とか
特に内容と関係ないことばかり見ていた。
そんなだから、もちろん今でも読んだことのある本の方が少ないけれど…。
そんなわたしでもでもやっぱり毎年数冊は手に取る文庫があるけれど…
改めて考えてみても、興味のないもの、苦手なものを購入したことはなかった。
サンクコスト的、損得的な考え方でいけば「好き」だったり「役にたつから」みたいな理由のないものに手を出すことに意味はなくなる。
そんな考え方をして本を選んだつもりはなかったけれど、こうして見ると結果的には同じようなことになっていることに気づく。
案外、本のような「嗜好」の色が出しやすいものでも、いや出しやすいゾーンだからこそ、あえて自分が「好きかどうか」「興味があるかどうか」を超えてみたところに思いもよらない自分の余白を埋めるものがあるのかもしれない…ってことか。
夏の読書には「課題図書」みたいな「負の記憶」もあったりするし、たっぷり時間があるでしょ?設定だからか、この季節だからか、しっかりした重量のある内容のものと出会うタイミングでもあって「えーと、そちらは遠慮しておきます…」みたいなついつい及び腰になってしまうような本も多いよね…。
こうして、ちょっと違った眺め方のきっかけも巡ってきたワケだし。
今の自分が普段手に取らない本を読んだらどうなるのか、自由研究だな…なんて思った日だった。