カラダとハラが震えた日 457
今日は初めてのお店で初めての方とお会いしてきた。
初めての方との時間もそれはステキなものだった。
透明感のすごい彼女も、そしてそんな彼女が生みだす作品もまたすばらしくて、言葉にするたびにその言葉の追いつかなさにこちらが恥ずかしくなるような気分だった。
音や光や目に見えないものの瞬間を切り出したような、細やかさを超えた細やかさをカタチにした作品。
そこに「我」はなく、ただ生まれてくるものを「そうなんだ」と眺めるご本人。
光と空間のそれは贅沢な時間だった。
その出会いも大きな「ふるえ」だったのだけど、もうひとつ。
その場所で、わたしは人生初の体験をした。
その作品は初めて伺うお店で展示されていたのだけど、その場所のオーナーさんがなんと独学で弦楽器を作ったり、弾いたりする人だったのだ。
そして、その空間にはバイオリンにビオラにチェロ、コントラバスまで弦楽器がたくさん並べられていた。
聞けば、そのオーナーさん、お店をクローズした後やちょっとした隙間時間にそこで音を鳴らしてらっしゃるとか。
ハァァ〜いいじゃないかー!
ちょうど昨年こんなことを書いていたのを思い出し
音色も好きでいつか弾いてみたいねーなんて言っていた…みたいなことを話していると
「どうぞ、弾いてみてください」
と、ご自分のチェロをわたしの前に出してきてくれた。
こんなタイミングで触って、しかも音が出せるなんて思いもしなかったのだけど、しっかり勧められたイスに座っていた。
イスに座って足を開き、その間にチェロを置く。
…思っていたより華奢で、思った以上にホンモノだった。
弾いたことのあるコントラバスの記憶を頭では引っ張り出してくるものの、弓の持ち方からサイズまで当たり前だけど違っていて、やっぱり緊張して恐る恐るになってしまう。
ガイドしてもらって音を鳴らしてみると…
足に胸に、肩に腕に、その振動が伝わってくる。
「揺れ」じゃない「音」の響きが伝わってくる。
自分の体が楽器の続きのような感覚になったとき、とっさに「濁しちゃいけない」と構えてしまう自分に苦笑いが浮かぶ。
もっとこの感覚を感じていたい。
もっとこの状態で音を聞いていたい。
もっとこんな音楽を…もっとこのメロディを…じゃない「もっと」は珍しいことで、自分の中でとても新鮮だった。
…体験してしまった
…知ってしまった
…出会ってしまった
そんな風に思いながら、夕陽が照らすお店からの急な階段を降りていた。
今時だから「初心者キット」なるものは探せばあるし、きっとYoutubeだったり色々と独学する方法もあるんだろう。
あの曲が弾けるように…なんてない
あのレベルまで行きたい…もない
でも「あの体感をまた味わいたい」ができてしまった。
学生の時のように「役割を果たせるように」「もっといい音を出さなくちゃ」「もっと上手に」なんて、もう思いたくないのだ。
そうじゃない音との暮らしが今の自分ならできるんだろうか?なんて考える。
こんな感じでやってくるんだな「やってみたい」って。
ちょっとネットで探してみようかな
ちょっと願いを放ってみようかな
ちょっとウキっと、そう、静かにウキっとした夕暮れの時間だった。